野球の世界最高峰・MLBが歩んできた歴史とは? 大きな出来事から現在まで

現在多くの日本人選手が参戦し、日本でも一般的な存在となっている野球の世界最高峰「MLB(メジャーリーグ・ベースボール)」。現在まで150年以上の歴史を誇るMLBにはアメリカや日本だけでなく南米から多くの選手が参戦、驚異的な技術でファンを魅了し続けています。それではそんな野球最高峰・MLBは現在までどのような歴史をたどってきたのか、今回はこれまでの大きな出来事から見ていきましょう。

始まりは1857年にできたアマチュアリーグ

始まりは1857年にできたアマチュアリーグ

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MLBの始まりは1857年に野球最初のアマチュアリーグ「全米野球協会(NABBP)」が誕生(団体は1870年まで運営されたのち解体)したことから始まります。
その後1868年には「プロ選手規定」が正式に制定されたことで「プロ化」が解禁、翌1869年に誕生したシンシナティ・レッドストッキングスは初めて「プロ選手のみ」で構成された野球チームに。

その後1871年に最初のプロ野球リーグ「全米プロ野球選手協会(National Association of Professional Base Ball Players)」が創設されると次々と新たなチームが誕生、この流れで誕生したチームには現在も存在する「シカゴ・カブス(当時はシカゴ・ホワイトストッキングス)」や「アトランタ・ブレーブス(ボストン・レッドストッキングス)」もありました。
こうしてチームが誕生したところで1876年に「ナショナル・リーグ (NL) 」が発足、1876年4月22日にペンシルベニア州・フィラデルフィアのジェファーソン・ストリート・グラウンズの試合が最初の試合に。

1901年にはナショナル・リーグ傘下のマイナーチームであった「ウエスタン・リーグ」が「アメリカン・リーグ(AL)」に変更、ALは自らを「メジャーリーグ」と宣言しますがこれにNLが反発。
最終的にはALをメジャーリーグとして容認、これとは別にマイナーチームを統括する組織として「ナショナル・アソシエーション(現在のマイナーリーグ・ベースボール(MiLB))」が発足。
1902年以降はNL、AL、MiLBそれぞれが独立経営する形となり、1903年からはAL、NLの勝者が対戦する「ワールドシリーズ」が開始。
第1回は「ボストン・アメリカンズ(現在のボストン・レッドソックス)」が「ピッツバーグ・パイレーツ」を破って王者に輝いています。

野球界を揺るがす「ブラックソックス事件」

野球界を揺るがす「ブラックソックス事件」

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MLBではいくつか大きな事件が発生していますが、その中で有名なものが1919年のワールドシリーズで発生した「ブラックソックス事件」。
この年のシリーズではシンシナティ・レッズがシカゴ・ホワイトソックスを5勝3敗で破っていましたが、優勝を予想されていたホワイトソックスが敗れたことで以前からの「八百長疑惑」が強まり、1年後に選手たちが事実を認めることに。
八百長に手を染めた選手たち8人はMLBから永久追放されることになりますが、この選手の中には当時のスター選手であったジョー・ジャクソンが含まれており、裁判所から出てきたジャクソンに少年ファンが「嘘だと言ってよ、ジョー」の言葉は有名なフレーズの1つに。

この事件はホワイトソックスのチーム事情が絡んでいたとされ、当時チームオーナーのチャールズ・コミスキーはチーム運営に必要な経費を出さず選手は低賃金でのプレー、ユニフォームの洗濯代を自腹で支払わされるなど過酷な環境に置かれていました。
こうした運営に不満を募らせた起こしたのがこの事件であり、事件の名前は選択できずユニフォームが黒ずんでいたことから付けられています。

野球人気の回復「ベーブ・ルースの登場」


野球界を揺るがす「ブラックソックス事件」により信頼失墜、大きな危機を迎えていたMLBにある男が登場します。
レッドソックスからニューヨーク・ヤンキースへ移籍したベーブ・ルース(ジョージ・ハーマン・ルース)は移籍初年度の1920年に54本のホームランを記録。
前年に当時の年間ホームラン記録となる29本を記録していたルースは自身の記録をあっさりと更新。
ルースは大の子ども好きでも知られ、病気の子どもとホームランを打つ約束をして実際に打つなど積極的ファンサービスを展開。
MLBのスターになったルースの存在により、野球人気は回復していくことになるのです。

スターとなったルースは翌年に記録を更新する59本、1927年にも60本を記録。
1935年に引退するまで714本のホームランを放ち、1974年に破られるまでMLBの通算本塁打記録を保持し続けました。
野球に限らず業界の人気回復には「スター」の存在が不可欠なのですね。

MLB初の黒人選手「ジャッキー・ロビンソン」


第2次世界大戦を経た1947年には、黒人選手の歴史を変える出来事が起こります。
この年の4月15日、ブルックリン・ドジャース(現在のロサンゼルス・ドジャース)のジャッキー・ロビンソンはニューヨーク・ブルックリンのエベッツ・フィールドで行われた試合でメジャーリーグデビュー、黒人選手初のMLB選手となりました。

ロビンソンがMLBの世界に入ったのは1945年。
ドジャースの社長兼ゼネラルマネジャーであったブランチ・リッキーが「ニグロ・リーグ」の有望選手からロビンソンを選び契約することになったところから。
契約の際にリッキーは「どのようなことがあってもやり返さないこと」などをロビンソンと約束、契約することが決まります。

契約したロビンソンを待っていたのは厳しい仕打ちで、ドジャースと対戦予定のチームによる対戦拒否など苦しい日々を過ごすことに。
しかし仕打ちを受けても紳士的に対応するロビンソンの姿勢は周囲の信頼を勝ち取り、監督レオ・ドローチャーは「選手の肌が何であろうとチームに必要であれば使う。
自分に反対するなら出て行くことになる」と意見を表明。
信頼を勝ち取ったロビンソンはプレーでも存在感を示し、この年から制定された「新人王」の初代受賞者に。

選手と経営者の戦い「ストライキ」

選手と経営者の戦い「ストライキ」

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MLBではこれまでに「ストライキ」が5度行われていますが、その中でも大きなものとなったのが1981年と1994年。
1981年はFA選手の前所属球団に対する補償問題が解決せず、6月12日からストライキに突入。
このときは「選手喪失球団にドラフト選択権を与える」ことで解決、8月10日にリーグ戦が再開されることに。
ストライキの影響でシーズンは変則的な2シーズン制によって行われることとなりました。

それから13年後のストライキは年を越して232日間にわたる、プロスポーツ史上最長のストライキに。
このときは年俸高騰が問題となっている中で球団経営者側から提示された「サラリーキャップ制度(選手の年俸総額に上限を設ける制度)」導入を選手側が却下。
8月12日から始まったストライキは終わりの見えないものとなり、残り公式戦やプレーオフ、ワールド・シリーズが中止となる事態に。
翌年4月25日にようやく再開するまでアメリカでは「MLBのない日」が続くことになりました。
ファンとしては複雑な心境でしょうが、選手側は自分の生活がかかっていますから難しいところです。

全米が注目「1998年のホームラン争い」

全米が注目「1998年のホームラン争い」

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1998年にはMLB史に残るハイレベルなホームラン記録争いが展開されました。
当時セントルイス・カージナルスのマーク・マグワイアとシカゴ・カブス所属のサミー・ソーサは開幕から驚異的なペースでホームランを量産。
それまでシーズン最多ホームラン記録を持っていたのは1961年のロジャー・マリス(当時ヤンキース)でしたが、2人そろって記録を更新する勢いでした。

こうして迎えた9月8日、2人が所属する2チームは記録更新がかかった状態で対戦を迎えることに。
マグワイアはマリスの記録を更新する62号のホームランを放つとベースを回りながら相手選手ともハイタッチを交わし、そこにソーサが自分の守備位置から駆け付け「投げキッス」でマグワイアを祝福。
さらに試合に招待されていたマリスの遺族がマグワイアと抱き合い記録を祝福するというシーンも。

その後も激しい争いは続き、ソーサは9月13日の試合で2ホームランを放ち62号に到達。
最終的にマグワイアは70本、ソーサは66本でシーズンを終えホームラン王はマグワイアの手に。
敗れたソーサは打率.308・158打点で打点王のタイトルを獲得、リーグのMVP(最優秀選手賞)を受賞することに。
2人の争いは全米が注目する大きな出来事となり、ストライキで遠のいていた観客動員の回復に貢献することとなります。

1996年からは「海外での公式戦」も開催

1996年からは「海外での公式戦」も開催

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MLBではアメリカ国外に飛び出し海外での公式戦も行われています。
最初に海外公式戦が行われたのは1996年8月16日から18日にかけてのニューヨーク・メッツ対サンディエゴ・パドレス戦で、これ以降は日本で2000年のメッツ対カブスを始め4度、2014年には初めてオーストラリアで開催されるなど海外での試合が行われるように。

その中でも多く海外公式戦を行っていたのは、かつてのモントリオール・エクスポズ。
2003年からの2年間は主催81試合中の22試合をプエルトリコで開催していますが、そこには経営難状態の球団が観客動員増加など「現状打破のため」に行っていたという苦しい事情が隠されていました。
球団は2004年のシーズン終了後にアメリカの首都・ワシントンD.C.に移転、それ以降はプエルトリコでの試合は実施されず。
2016年にはピッツバーグ・パイレーツとマイアミ・マーリンズの試合が開催予定でしたが、ジカ熱流行により中止に。

2018年にはイギリス・ロンドンでニューヨーク・ヤンキースとボストン・レッドソックスによる試合が開催されるという話もあり、今後も積極的な海外展開は続きそうですね。

Junya Higashi

Writer:

これまで旅行に行った土地は鹿児島・霧島や韓国・ソウルなど。世界の土地や風習のことなど、自分の知らない世界を調べて見るのが好きです。旅行経験やライター活動で得た知識が、これから旅行を楽しむ人の役に立てば大変嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします!

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