観光前に知りたい!「鳥獣人物戯画」で有名な高山寺の歴史と見どころ

京都にある高山寺。この寺院の名前を知らない方でも蛙や兎が登場する絵巻物「鳥獣人物戯画」を知っている方は多いのではないでしょうか?この高山寺は有名な国宝である「鳥獣人物戯画」を伝える寺院。京都市街の北西にあり、紅葉の名所として名高い高雄山神護寺からさらに奥に入った山中に位置するひっそりとした寺院ですが、古都京都の文化財として世界遺産にも登録されている由緒正しき寺院なのです。今回は、数多くの貴重な文化財を今に伝える高山寺についてご紹介します。

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高山寺とは

高山寺の歴史

高山寺の歴史

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高山寺は、京都市右京区にある栂尾(とがのお)にあり、紅葉の名所として有名な高雄山神護寺からさらに奥にある古刹。
高山寺と言えば、鳥獣人物戯画・日本最古の茶園として有名です。

高山寺の歴史は古く、創建は奈良時代とされ度賀尾寺・都賀尾坊と呼ばれる寺院がはじまりと伝えられています。
また、774年(宝亀5年)第49代光仁天皇の勅願で建立されたとも伝わっていますが、詳しいことはわかりません。
平安時代になると、高雄山神護寺の別院となり、神護寺十無尽院(じゅうむじんいん)と呼ばれ、隠棲修行の場所とされていました。

高山寺の実質的な開基(寺院を創始すること)は、鎌倉時代の華厳宗の僧であった明恵です。
明恵上人・栂尾上人とも呼ばれています。
父は平重国・母は湯浅宗重の四女で現在の和歌山県有田川町に生まれました。
幼い頃に両親を亡くし、9歳で明恵は、神護寺の僧・上覚のもとで仏門に入りました。

明恵は、南無阿弥陀仏のお念仏で有名な法然が唱えた「専修念仏」の思想を批判し、華厳宗の復興に努めました。
明恵は、仏陀の説いた戒律を重んじて、その精神を受けつぐことが大切であると生涯、戒律の護持と普及を身をもって実践していきました。
この明恵が34歳の時、1206年(建永元年)に後鳥羽上皇からこの栂尾の地を与えられました。
そして、寺名のもとになったと言われる「日出先照高山之寺」の額を下賜されたと伝えられています。
この時を現在に伝わる高山寺の創立とされています。

「日出先照高山」とは、「華厳経」に一文で、朝日が登り、一番先に照らされるのは高い山の頂き」という意味で、高山寺はそのように光り輝く寺院であって欲しいという意味が込められていると言われています。

室町時代の末期には、戦火によって多くの建物を焼失。
鎌倉時代の建物で、現存するものは石水院のみになってしまいました。
江戸時代になると、1636(寛永13)年に永弁上人と秀融上人が再建に力を注ぎ、ある程度旧観を取り戻したと言われていますが、明治時代におこった廃仏毀釈により、再び荒廃。
その後、1931(昭和6)年に茶祖のひとりである明恵上人の七百年御遠忌記念で全国の茶道家の篤志によって茶室が高山寺に建てられました。
その後、文化財や史料類を保全する倉庫などを再建し少しずつ復興していきました。
そして、1994年には「古都京都の文化財」のひとつとして世界文化遺産に登録され京都を代表する古刹として現在に至ります。

高山寺の宝

高山寺の宝

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高山寺には、実に数多くの国宝や重要文化財が伝えられています。

言わずと知れたに日本最古の漫画とも言われる「紙本墨画鳥獣人物戯画 4巻」 ・新羅の華厳宗の祖とされる義湘と元暁の伝記絵巻である「紙本著色華厳宗祖師絵伝 7巻」・「樹上座禅像」とも呼ばれている山中の自然の中に明恵の姿を描く「紙本著色明恵上人像」・明恵の念持仏でもあり、明恵自身による書き込み遺っている「絹本著色仏眼仏母像」・中国梁代成立の漢字辞書玉篇を写したと伝わる「玉篇巻第廿七」・有名な空海が編纂したと言われている漢字辞書の唯一の古写本と伝わる「貴重篆隷万象名義 6冊」・唐代成立したと言われる仏教説話集の写本で現在最古の本と言われている「冥報記3巻 」などが国宝に指定されています。

また、奈良時代末期の作である乾漆薬師如来坐像・開山堂に安置されている鎌倉時代の作である木造明恵上人坐像・雌雄の鹿を狛犬風に作った大変珍しい木造鹿1対・高山寺の鎮守神として祭られたと伝わる木造白光神・鮮やかな彩色の鎌倉時代初期の作である木造善妙神立像・高山寺に平安時代から近世に渡り伝わっている仏典や記録などの高山寺典籍文書・明恵自身が見た夢を記録した日記と伝わる高弁夢記などが重要文化財に指定されています。

京都の山奥の古刹でありながら、これほどの国宝や重要文化財を伝えているのは大変貴重で珍しいことです。

見どころ







石水院(せきすいいん)

石水院(せきすいいん)

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石水院は、高山寺で唯一の鎌倉時代建物で国宝に指定されています。
石水院は、時代によりその用途を様々に変化させていきました。
高山寺の創建間もない1230年(寛喜2年)の高山寺境内図によると、当時の石水院は経蔵(経典や仏教に関する書物を収蔵する建物)でした。
現在の石水院は、経蔵として建てられた後、寝殿造の住居建築に改造されました。
さらに建物正面にふきおろしの屋根やひさしをつけ、向拝にして社殿として使われていました。
このような数々の改築をされてもなお国宝に指定されているのは、開基である明恵の唯一の遺構であること、鎌倉時代初期の寝殿造の特徴を色濃く残しているからと言われています。

石水院の建物は、正面に五間・側面に四間あり、正面の一間に向拝が付けられ拝殿風となっています。
屋根は入母屋造で妻入り、こけら葺き。
鎌倉時代の建築様式を見ることができます。
京都の山奥と言うよりは、北鎌倉にいるような錯覚を起こす建物となっています。
また、寝殿造建築の特徴として建物の外側に壁は少なく、蔀戸(水平に跳ね上げる扉)を引き上げることで室内から庭全体を見渡すことが出来るため開放的なつくりとなっています。

また、石水院には善財童子の像があります。
大変可愛らしい像で目を引きます。
善財童子は、インドの裕福な家に生まれますが文殊菩薩の導きによって旅に出ます。
そして、53人の人々を訪れ、のちに悟りを開いたと伝えられています。
この童子の像のまわりには静かで不思議な空間が広がっているので、一度訪れてみて下さいね。

開山堂・金堂(かいざんどう・こんどう)

開山堂・金堂(かいざんどう・こんどう)

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開山堂は、明恵が晩年を過ごした禅堂院の跡地に立っています。
明恵上人坐像が安置されています。
当初の建物は室町時代の戦火により焼失してしまい、現在の開山堂は江戸時代に再建されたものです。
現在では、法会などはこの開山堂で営まれることが多く、1月8日の明恵上人生誕会・1月19日の明恵上人命日忌法要・11月8日の献茶式などが行われています。

金堂は、かつての本堂の位置あり、桁行3間・梁間3間の一重入母屋造です。
1219年(承久元年)に完成した本堂は、東西に阿弥陀堂・羅漢堂・経蔵・塔・鐘楼・鎮守を従えた5間4面のお堂で、有名な仏師であった運慶作の丈六盧舍那仏像などが安置されていたと伝えられています。
その本堂は残念ながら、やはり室町時代に焼失してしまい、現在の金堂は江戸時代に御室仁和寺真光院から古御堂を移築したものになっており、釈如来像を本尊としています。
周囲は古い木々に囲まれており、静寂であり、時が止まったようなまるでそこだけ別世界のようです。

高山寺の楽しみ方

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