クリスマスマーケットの街の歴史も知っておこう!南ドイツのロマンティック街道の街7選

冬になると日本でもクリスマスマーケットなどのイベントがちらほらとみられるようになりましたね。

ドイツでは小さな町でもクリスマスマーケットの市場がたつほど。街によっては年中クリスマスのアイテムを売っているお店もあるそうです。私たちもドイツ・冬と聞くと、クリスマスを想像するのではないでしょうか。

最近では旅行ツアーでクリスマスマーケットを回ることも多いそうですが、せっかくその街に行くのでしたらちょっと歴史を知ってから行ってみませんか?

今回はロマンティック街道の街を中心に人気のクリスマスマーケットがある街などを7つご紹介いたします。


神聖ローマ帝国の戴冠式が行われた都市・フランクフルト

神聖ローマ帝国の戴冠式が行われた都市・フランクフルト

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フランクフルトには大きな空港もあることから、この都市の名前を知っている方も多いと思います。

フランクフルトの正式名称は「フランクフルト・アム・マイン」。

マイン川沿いのフランクフルトという意味で、そのほかの同名の都市と区別するため14世紀ごろから「アム・マイン」をつけて呼ばれるようになりました。

この都市は中世9世紀にはフランク王国の王の居城もあり、中世をとおしてドイツ内でも数の少ない帝国自由都市でした。

司教や地域の領主に納められていた他の都市と異なり、神聖ローマ皇帝直属の都市で自治を認められていたのです。

12世紀には歴代の神聖ローマ帝国の選挙と戴冠式が行われており、以降19世紀の帝国滅亡まで、戴冠式が行われるのはフランクフルトと決められていました。

その神聖ローマ帝国の選挙と戴冠式はフランクフルトの大聖堂で行われました。

13~15世紀に建てられたバロック様式の大聖堂は95メートルの塔を持ち、地元ではカイザードーム(皇帝の大聖堂)と言われています。

大聖堂内部も煉瓦の壁面で、シンプルな内装の中でひときわ大きなパイプオルガンが目立ちます。

入って右側の礼拝堂の一角で皇帝を選ぶ選挙が行われました。

この大聖堂の近くにあるレーマーと呼ばれる階段状の切妻屋根が美しい旧市庁舎は貴族の館3棟を15世紀に市が買い取り、市庁舎にしました。

ここの2階には歴代の神聖ローマ皇帝が戴冠式の後の祝宴が開かれた広間・カイザーザールがあります。

現在は神聖ローマ皇帝52名分の肖像画が展示されています。

この都市ではドイツとは切っても切れない神聖ローマ帝国の歴史を知ることができます。

600年の歳月をかけて完成した大聖堂の街・ケルン

600年の歳月をかけて完成した大聖堂の街・ケルン

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続いて、ドイツの中でも歴史の深い、ケルンの街をみてみましょう。

この街は紀元1世紀にローマ帝国の植民都市として作られた「コローニア」が発祥でした。

ライン川沿いにあるケルンは人も物資も行きかう交通の要所で、中世・ルネサンスの時代には神聖ローマ帝国の中でも有数の大都市でした。
ライン同盟などの主要都市として発展していきます。

古来から発展した年でしたので、キリスト教の伝来も早く4世紀には伝道のための司教座がおかれ、8世紀には大司教座がおかれることとなりました。
ケルン大司教は王の助言役となったほど発言力がありました。

ケルンの街の真ん中には世界遺産になったケルン大聖堂がたたずみます。

正面には大きな双子の塔が2本あり、157メートルの高さをもつゴシック様式の大聖堂。

この大聖堂は火事などで3度の建てなおしをしており、1248年に3度目の建てなおしに着工し、現在の姿となりました。

しかしこの1248年に着工した大聖堂が完成したのは1880年。

約600年かかって完成したのには、財政難や16世紀の宗教改革などで工事が止まってしまったことが原因でした。

ナポレオンの登場でドイツ内に民族回帰の風潮が高まり、ドイツらしい建物などが見直され、19世紀にはいって建設途中で止まっていた大聖堂の建築を再開したのです。

1248年に着工した計画では、当時最新の技術と様式で作られたアミアン大聖堂の影響を大きく受けています。

当初の計画とほぼ変わらず作ったため、珍しく19世紀に完成したゴシック建築となりました。

内部にもバイエルン王ルートヴィヒ1世が奉納したステンドグラスの窓や東方三博士の頭がい骨が聖遺物として祀られている黄金細工の聖棺などがあります。

ゴシック特有の天井を高く、より神に近付くための神の家。

中世の信仰を垣間見ることができる大聖堂です。

ロマンティック街道の出発点 ヴュルツブルグ

南ドイツで人気の観光ルートのひとつ、ロマンティック街道の北の出発点ヴュルツブルグ。

ここはマイン川の両岸に開けた街です。

8世紀から司教座があり、その司教が領主となってこの地を納めて発展しました。

16世紀に創立したヴュルツブルグ大学では14人のノーベル賞受賞者が教鞭をとったり研究したりしています。

日本に来て有名なシーボルトもこの町に生まれて医学を学んでいます。

そんな文化的な反面、この町は17世紀半ばまで魔女裁判が盛んな地域でもありました。

この町でぜひ見ておきたいのは、世界遺産のレジデンツとマリエンベルク要塞。

レジデンツはドイツのバロック建築の代表的な建築物で、18世紀半ばに大司教の宮殿として建てられました。

豪華な宮殿の見どころは「階段の間」。

その天井にはヴェネツィアのフレスコ画の巨匠とも言われるテイエボロが描いた世界で一番大きい1枚のフレスコ画が。

18メートル×32メートルに奥行き5メートルの丸天井で、できた当初は柱がないことやあまりに大きい絵画だったため、設計ミスともすぐに天井が落ちるといった評判でした。

しかし、設計者のバルタザール・ノイマンは砲弾を受けても壊れないと反論しており、実際に第二次世界大戦の空襲にも絶えて残っています。

材に凝灰岩を使っていて、軽くて丈夫なうえ耐火性があったからでした。

マリエンベルク要塞は、中世の時代から政局が安定してくる18世紀まで司教領主が居を構えた場所でした。

マイン川を越えたブドウ畑の上にそびえる要塞で、紀元前1000年ごろからケルト人が住んでいた跡があります。

706年ごろ建てられた聖母マリア教会はメロヴィング朝の円形の建物。

各方角に建てられた塔と1500年代に作られたルネサンス様式の居住空間とがあり、歴代支配者の時代が反映された建物が建ち並びます。

中世の宝石箱と呼ばれるローテンブルク

ドイツにはいくつかの観光ルートがあります。
今回ご紹介しているロマンティック街道とは別に、オーストリアまで伸びる古城街道という人気のルートがあります。

その古城街道とロマンティック街道どちらにも含まれる街がローテンブルクです。

13世紀にたくさんの市場があり交易などの商業で発展した街で、17世紀には街の力が衰退したことでそのままの姿を現在に残しています。

街の衰退は1618年に神聖ローマ帝国内で起きたプロテスタントとの対立から端を発し、ヨーロッパ全土に飛び火した三十年戦争に巻き込まれたことでした。

ローテンブルクの街は中世の時代のまま城壁に囲まれていて、歩いても充分1日で回れる大きさです。

城壁の中に入ると、歴史の中で忘れ去られたような街のたたずまいにタイムスリップした気分になります。

街全体の形を知るにはぐるりと囲む城壁の上を歩くのがオススメです。

大きな建物の裏の小道を見下ろすと切妻屋根を間近に見えて、ガイドブックには載っていない自分だけの発見があるかもしれません。

中世の街なみを感じさせる木組みの建物が多く、昔から街の中心地だったマルクト広場。

市場がたっていたこの場所には市議宴会館があり、その正面にある仕掛け時計は毎正時になると動き出します。

時計から街を侵略したティリー将軍と大ジョッキを持ったヌッシュ市長が現れ、ワインを飲み干します。

一見しただけではわかりませんが、この仕掛け時計は街に残る昔話を伝えているのです。

三十年戦争の際に、街を侵略したカトリック派のティリー伯が街を焼き払うと宣言し、困った参事たちは歓迎のワインで出迎えます。
そのワインに気を良くした伯は3.25リットルもあるワインを飲み干す人がいるならば街には危害を加えないと言います。

そこに年老いた市長のヌッシュが一気に飲み干して街を守ったというお話です。

実際はそのような史実はないようですが、ローテンブルクでは初夏に行われる聖霊降臨祭の「マイスタートルンク」でも歴史劇として上演されるほど街の人々に親しまれているのがわかりますね。

反対のものが共存する街 アウクスブルク

反対のものが共存する街 アウクスブルク

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アウクスブルクは紀元前15年に初代ローマ皇帝が作った前線基地から始まりました。

地名も「アウグストゥスの城」から派生しています。

ローマの領土が拡大するに従い前線基地としての役割から食料物資などの補給路の用地となり、その後イタリアと北方のドイツ地域の経済ルートの中継地として発展していきました。

この街で見ておきたいポイントは2つ。

1つ目は15~16世紀ごろに銀行業でこの都市を経済的に発展させたフッガー家の残したフッゲライという社会福祉住宅です。

銀行業で大成功を納めたフィレンツェのメディチ家と並ぶ豪商となったフッガー家。

その財を使って、カトリック教徒のアウクスブルク市民で生活に困窮している人に向けて社会福祉住宅を提供しました。

これは世界最古の社会福祉住宅で、上記で負債がない事が入居できる条件です。

現在でも年間わずかな1ユーロ未満の家賃で運営されています。

当時はこの社会福祉住宅に住んでいる人には、フッガー家の人々への感謝と神へフッガー家へのしょく罪を祈ることが課せられていました。

中世の時代から銀行業では高利貸しの一種とみなされ、キリスト教の教義の上では罪のある仕事でした。

そのため多くの富を得た豪商は神の許しを得るための寄進や施しをする考えがありました。
その背景からフッガー家の社会福祉住宅が生まれたのです。

シンプルで黄色い壁が特徴の長屋フッゲライと対照的なのは、豪華な装飾の市庁舎。

17世紀の都市の繁栄ぶりがよく現れています。

フッゲライとあわせて見ると当時の光りと影を感じることができます。

もう1つのポイントは旧市街にある聖ウルリヒとアフラ教会などの教会です。

アウクスブルクは ローマ時代には司教座が置かれるほど早くからキリスト教が伝わった都市ですが、ここはプロテスタントの拠点の1つでもあった都市でした。

宗教改革の波に巻き込まれ、後の神聖ローマ帝国の統治にも影響した宗教和議の舞台にもなりました。

この和議で帝国内の領主がカトリックかプロテスタントのルター派化を選ぶことができ、さらにプロテスタントの領主が大聖堂などのカトリックの教会を統治できるようになったのです。

神聖ローマ皇帝は立場上、カトリックの代表。
その皇帝が臣下にプロテスタントを包括することになったのです。

この和議を象徴するかのように、10世紀のカトリックの聖人ウルヒリとプロテスタントの聖人アフラに捧げられた教会が同じ建物にある世界でも類をみない教会となりました。

平原の中できらめくヴィース教会

広い平原の中にポツンと佇む白いシンプルな教会。

この教会は18世紀に建てられたドイツロココ調を代表する世界遺産に登録されている建物です。

外観と異なり中に入ると華麗で繊細な美しい空間に包み込まれます。

この教会の始まりは、この地で働く農夫婦に近所のシュタインガーデン修道院の修道士が彫った1体のキリスト像を手にしたことでした。

1738年にもらったこの「鞭に打たれるキリスト像」が、涙をこぼしたという奇跡が起こります。

公式には認められませんでしたが、この噂は広まり巡礼が農夫婦の家に集まり溢れるようになりました。

そこで、シュタインガーデン修道院が浄財の寄付を募り、このキリストを納める教会を建てたのです。

設計を担当したのは、ドイツロココの完成させたと言われる名匠ドミニクス・ツィマーマン。
天井画は宮廷画家の弟が担当しました。

天国の扉へ向かう復活したキリストと扉の鍵を持つ聖ペテロなどが鮮やかに描かれた天井画は、見上げると吸い込まれていきそうです。

ドミニクスはヴィース教会に特別な愛情と情熱を注ぎ、完成した後でも離れがたく、すぐ近くに居を構えて生涯この教会の側で過ごしました。

自分の理想だけを夢見た王がいたシュヴァンガウ

自分の理想だけを夢見た王がいたシュヴァンガウ

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日本人になじみ深いドイツのお城の代表・ノイシュバンシュタイン城。

ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとなったことでも有名なこのお城のある街がシュヴァンガウです。

このお城は1869年から1884年にかけてバイエルン王ルートヴィヒ2世が作りました。

彼はこのお城を要塞としてでも政治をするための宮殿のためでもなく、ただただ自分の愛するワーグナーの物語や中世騎士道物語の世界を具現化するために作ったのです。

耽美で繊細な世界観を反映するかのように、自らがこだわった箇所への作りこみは深く、自分の玉座よりも優先しています。

この当時のワーグナーの影響力と、まだこの城を作るだけのバイエルンの力があったことが分かります。

精神疾患として捕えられたルートヴィヒ2世がお城で過ごしたのは102日だけ。

彼は謎の死を遂げますが、残したお城は実用性がなく、当時財政難になっていたバイエルンはこの城をすぐに観光向けに解放します。

最初の半年で18000人が訪れたとも言われ、今でも観光スポットとして不動の人気を誇り、ドイツの観光資源となっているのは歴史の皮肉のようです。

Writer:

旨いものとヨーロッパが大好きなアラフォー女子。背中に羽の生えたペガサスのようにジャンルを問わず様々なことに興味を持ってはアレコレと調べるクセがあります。 1人でも多くの方が、今まで見たことのない景色や面白さを感じていただけるような記事を書けるよう、精進の日々です。

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