繊細で美しい文章を生んだ夭逝の天才小説家「梶井基次郎」とは?

大正から昭和にかけて活動した小説家「梶井基次郎(かじいもとじろう)」。繊細で美しい文章を用いた作品を数多く残しながら病魔により31歳でこの世を去りますが、残した作品は死後80年以上経過した現在も教科書、学校の推薦図書として採用されており、彼の存在は後の文学界に大きな影響を与えています。そんな彼は31年の短い間にどのような生涯を送ってきたのでしょうか。


家計が厳しい中で過ごした幼少期

家計が厳しい中で過ごした幼少期

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1901年(明治34年)2月17日に父・宗太郎、母・ヒサの次男として誕生した梶井基次郎。
宗太郎は貿易会社(海運会社)の「安田運搬所」に勤めていましたが、酒を好み接待などで浪費を繰り返すことから母・ヒサは子どもとともに堀川へ身を投げようとしましたが、子どもたちに『百人一首』など文学に親しむよう教育。
放蕩癖のある夫、子育てで挟まれる中でも強い母を見せていますね。

教育を受けた基次郎は1910年(明治43年)に「私立頌栄尋常小学校」転入。
しかし父・宗太郎の放蕩ぶりはエスカレート、酒浸りの日々で家計は逼迫(ひっぱく)したことから母・ヒサと姉・冨士が内職をして生計を立てることになります。
その後1914年(大正3年)に大阪府立北野中学校(現在の大阪府立北野高等学校)2年生に転入、1916年(大正5年)に成績優秀ながら中退しますが1917年(大正6年)に復学。
ここで長く関係を持つ同級生・宇賀康らと知り合うことに。
この頃病気に悩まされ結核性の病気を患いますが、その時に森鴎外『水沫集』や夏目漱石の全集『漱石全集』を読んで過ごします。

夏目漱石への傾倒ぶり

夏目漱石への傾倒ぶり

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基次郎は夏目漱石の影響を強く受けています。
1919年(大正8年)3月に中学校を卒業した基次郎は好意を寄せた父の友人・池田鹿三郎の弟・竹三郎の娘へ夏目漱石の失恋英詩を写し書きした手紙を執筆。
第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)受験へ勉強を始める頃にはますます傾倒、友人への手紙にも漱石『三四郎』の影響から「Strey sheep(「迷える羊」の英語表記。
作品の登場人物・美禰子(みねこ)が三四郎を表現するときに使った」と署名して「梶井漱石」と署名することも。
漱石へのほれ込みぶりは相当なものです。

さらに第三高等学校の理科甲類へ入学後の1920年(大正9年)4月に上京区浄土寺小山町小山(現在の左京区浄土寺小山町)に下宿した際は実家から漱石全集を所持、この頃には「全集のどこに何が書いてあるか」を暗記。
どれだけ作品を読み込んでいたか、すぐにわかりますね。

病気との闘い・父の放蕩ぶり

病気との闘い・父の放蕩ぶり

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漱石への傾倒ぶりを見せる基次郎でしたが、そこに病魔は忍び寄っていました。
1920年(大正9年)5月に「肋膜炎」の診断を受け実家へ戻ると休学届を出して病床で小説を読む生活。
9月に「肺尖カタル(肺結核の初期症状)」と診断されると母から「学問を諦めるよう」通告されますが、納得できない基次郎は友人に「気楽なことでもして、生活の安固をはかれ、といふ母はふんがいに堪えん」。
病魔との戦いによる苦悩がうかがえます。

療養生活を送る基次郎は1921年(大正10年)春休みに紀州湯崎温泉(現在の白浜温泉)の旅館「有田屋」へ、ここで結核療養中の医学生・近藤直人と親しくなり生涯の友人に。
同じ境遇の者同士で心が通じ合うものですね。
その一方家庭では父・宗太郎が鉄工所を退職しており、退職金で店を開店しますが従業員の若い女と浮気して店の経営状態も悪化。
頭の痛い問題が再び顔を出してしまいます。

ある女学生とのエピソード

ある女学生とのエピソード

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基次郎は第三高等学校時代に「恋」に関するエピソードを残しています。
通学に汽車を利用していた基次郎はある日、汽車内で出会った同志社女子専門学校(現在の同志社女子大学)の女学生に一目惚れ。
すると基次郎はエリザベス・バレット・ブラウニングの詩集を破り、彼女の膝に叩き付けるという驚きの行動に出ました。
好意の寄せ方がなんとも不器用ですね。

驚きの行動に出た基次郎は後日詩を「読んだか」と問いますが、女学生は「知りません」と拒絶。
この失恋経験「中谷妙子に捧ぐ」として表現、平林英子(中谷孝雄と同棲)に見せに行き英子に原稿をあげますがその後紛失、基次郎の幻の作品に。
現在目にすることはできませんが基次郎の「暴走ぶり」はどのようなものであったのでしょうか。
「若気の至り」が見られそうですね。

暴れる20歳前後の基次郎

暴れる20歳前後の基次郎

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20歳ごろの基次郎は女学生との出来事以外にもエピソードを残しています。
1921年(大正10年)頃のある日、泥酔した基次郎は八坂神社前の電車道で大の字になり「童貞を捨てる」と大声で絶叫。
友人たちに遊郭へ連れて行かれると今度はものを吐くのです。
この後はおとなしく時間を過ごしたとされますが、このときの様子を連れて行った中谷は「この日のことを思い出して「俺は純粋なものが分らなくなった」とか「堕落してしまった」と言うが、私は全く取合わなかった」とのこと。

またこの頃の基次郎は絵画や音楽、舞台芸術への関心をさらに高め、西洋近代絵画の画集を立ち読み、「室内を自分好みの道具類で飾り、私に西洋皿を見せながら「これ、エリザベス朝時代の皿だよ」とニコニコして言っていた(外村繁)」などの行動を見せることも。
どこか「メルヘンチック」な一面が見えますね。

その後の基次郎は「焼き芋・甘栗屋の釜に牛肉を投げ込んだ」など酒に酔っての奇行が見られ、放蕩の借金で下宿代を払えなくなり友人の下宿を転々とすることも。
そのような荒れ方は劇研究会の仲間も引くほどで、中谷はこの頃の基次郎を「いささか狂気じみて来た」と回想。
仲間の中でも「近寄りがたい人物」になっていますね。
そのような生活を送った基次郎は12月、大阪に帰ると生活を両親に告白して謹慎。
その後はトルストイを読み耽る生活を送ります。

荒れる生活・進む創作

荒れる生活・進む創作

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1923年(大正12年)3月になると基次郎は「特異な風貌」で有名になります。
この頃再び落第した基次郎は「破れた学帽」に「釣鐘マント」の風貌で現れるように。
完全に「不審者」ですね。
こうした中でも創作は続行しており、5月には下宿先の老婆、女教師の娘の存在を「貧しい生活より」の題材として小説「ある心の風景」の舞台部屋に。
周囲をよく観察しているのですね。

9月には劇研究会の公演準備で「多青座」を組織、同志社女子専門学校の女学生2人を加えて稽古しますが、これが「不謹慎」との噂が広まり公演中止命令。
公演に失敗した基次郎は祇園神社石段下にあったカフェで酒を飲んで暴れ、ここから泥酔の日々が始まることに。

それでも1924年(大正13年)8月には三重県飯南郡松阪町へ養生を兼ねて向かうと松阪城跡を歩いて風景スケッチ、草稿ノートを書き留め(のちに「城のある町にて」の素材に発展)、9月には京都・加茂の河原の風景を言葉でスケッチ。
見たままを描く心は大事にしていますね。

同人誌『青空』の創刊

同人誌『青空』の創刊

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基次郎が同人誌を創刊するのは1925年(大正14年)のこと。
前年から同人誌の創刊を考えていた基次郎らは『青空』の創刊を決定、京都時代の鬱屈した内面を客観化した「瀬山の話」内にある「瀬山ナレーション」の断章挿話「檸檬」を独立作品として創刊号に発表。
1925年(大正14年)に創刊号は第三高等学校時代の音楽仲間・小山田嘉一に推奨されますが、ほとんど評判にならず。
その後松阪城跡でのスケッチを基にした『城のある町にて』を掲載した第2号も発表しますがこちらも評価されず。
しかし雑誌が評判にならない中でもめげることはなく1925年(大正14年)6月、著名作家に『青空』第4号を寄贈することになると広告ビラ書きなどに尽力。
10月には帝国ホテルで開かれたジル・マルシェックスのピアノ演奏会に通い、これが「器楽的幻想」の題材に。
題材探しの意欲に衰えはないですね。

その後も4月中旬には島崎藤村宅を訪問して第15号を直接献呈。
7月には「川端康成第四短篇集『心中』を主題とせるヴァリエイシヨン」を掲載した第17号を発行しますが8月中旬に病状が進行、雑誌『新潮』編集者から依頼を受けた新人特集号の執筆も満足にできず(この時に未完の作品が「ある崖上の感情」となる)。

病状が悪化した基次郎は1926年(大正15年)12月暮れ、療養のため伊豆へ向かうことに。
ここでは「冬の日」(前篇・後篇)を翌年3月まで執筆、川端康成が執筆する『伊豆の踊子』刊行の校正手伝いにも関与。
このとき川端は「校正ではずいぶん厄介を掛けた。
「十六歳の日記」を入れることが出来たのは梶井君のお蔭である」と回想。
その後の1928年(昭和3年)に小説『ある崖上の感情』を発表。
これは小説家・舟橋聖一が称賛することに。
少しずつ評価は高まっていますね。

Junya Higashi

Writer:

これまで旅行に行った土地は鹿児島・霧島や韓国・ソウルなど。世界の土地や風習のことなど、自分の知らない世界を調べて見るのが好きです。旅行経験やライター活動で得た知識が、これから旅行を楽しむ人の役に立てば大変嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします!

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