数々の奇行に異常性癖も見せた「ローマ帝国史上最凶・最悪の皇帝」ヘリオガバルスとは?

かつての歴史上に多く存在した「暴君」と呼ばれる人物。彼らは「目的のために手段を選ばない」考えのもと暴虐の限りを尽くし人々を苦しめ、人々を震え上がらせる数多くのエピソードを残した人物もいます。今回はそのような歴史に残る「暴君」から「ローマ帝国史上最凶・最悪の皇帝」と言われる第23代ローマ帝国皇帝・ヘリオガバルスを見ていきましょう。


名門の一家に生まれたヘリオガバルス

名門の一家に生まれたヘリオガバルス

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皇帝ヘリオガバルス(ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス)は203年に父セクストゥス・ウァリウス・マルケルス、母ユリア・ソエミアスの子としてシリアのエメサ(現在のシリア西部・ホムス)で誕生。
父はのちに古代ローマの統治機関・元老院(げんろういん」の議員を務め、母はセウェルス朝(193年~235年のローマ帝国王朝)の創始者セプティミウス・セウェルスの皇妃一族という名門の家に生まれたのです。

しかしそんな名門家に見える家族のつながりにはある問題がありました。
母ユリア・ソエミアスの従兄弟関係に「カラカラ帝」がいたことです。
カラカラ帝は209年から217年までローマ帝国の皇帝を務めた人物ですが、残虐な性格などから「ローマ史上に残る暴君」として知られ、217年4月8日にメソポタミアのハッラーンで暗殺された人物。
その後皇帝に即位したマクリヌス帝はカラカラ帝の一族を宮殿から一掃、セウェルス朝復活を阻もうとしていました。

しかしこれに納得しないのがカラカラ帝の伯母でありヘリオガバルスの祖母であるユリア・マエサ。
ユリアは自らの孫であるヘリオガバルスを皇帝に就任させることを考え、マクリヌス帝がパルティア(228年までイラン高原東北部に存在した王国)に敗れて軍隊からの信頼を失ったことを知った母・ソエミアスは「私はカラカラ帝の妾(めかけ)であった。
息子(ヘリオガバルス)はカラカラ帝の落胤(らくいん。
身分・地位のある男が正妻でない女性に産ませた子ども)である」という全くのウソ証言をすることに。
ヘリオガバルスを「何としてでも皇帝に」しようとする祖母と母親の「ギラギラ感」が相当伝わってきますね。

15歳の若さでローマ帝国皇帝に

15歳の若さでローマ帝国皇帝に

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ヘリオガバルスを「何としてでも皇帝にしたい」祖母と母親は、ついに本格的な動きを見せます。
祖母・マエサは軍人から人気の高かったカラカラ帝の威光を利用することを考え「第3軍団ガッリカ(ガイウス・ユリウス・カエサルによって編成されたローマ軍団)」の兵士や将軍を買収することで戦力を調達。
そして218年5月16日、エメサに駐屯するローマの軍団に潜入するとヘリオガバルス少年は名前をカラカラの本名(マルクス・アウレリウス・アントニヌス・カエサル)から「マルクス・アウレリウス・アントニヌス」と改名。
祖母と母親の早い準備はもちろんすごいですが、名前まで変えてしまうヘリオガバルスもすごいです。

こうした反乱を知ったマクリヌス帝は遠征軍を派遣して鎮圧を狙いますが、ここで軍団兵による内乱が発生。
反乱したものがヘリオガバルス側についてしまいます。
こうした動きに対抗するマクリヌス帝は元老院に「ヘリオガバルスは「偽」のアントニヌスである」と手紙を送り、これに元老院も同意。
こうして元老院から支持を得たマクリヌス帝は自ら軍を率いて戦いに挑みますがヘリオガバルス軍相手に苦戦、「アンティオキアの戦い」で敗北するとカッパドキアで捕らえられ斬首刑。
祖母と母親が計画した「ヘリオガバルスを皇帝に」計画はいよいよ実現に近づいてきたのです。

こうして戦いに勝利したヘリオガバルスは218年6月8日、元老院の許可なしに皇帝即位を宣言。
これは「ローマ法の定める秩序に違反した行為」でしたが、これに対する対策としてヘリオガバルスはマクリヌス帝を批判する手紙を元老院に送付、自身の行動を正当化する作戦を実行。
祖母と母親は相当なやり手ですが、ヘリオガバルス本人にも計算高さが見えますね。

こうして皇帝即位への準備をしっかり実行したヘリオガバルスの即位を元老院は認め、彼が「カラカラ帝の実の子」であることも承認。
事実ではない歴史を事実にして歴史を変えてしまったわけです。

祖母と母の支配下・目立ち始める奇行

祖母と母の支配下・目立ち始める奇行

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こうして新皇帝に即位したヘリオガバルスでしたが、ここでも存在感を見せるのは祖母と母親。
祖母ユリア・マエサは神官のローブを身にまとったヘリオガバルスの肖像を、ウィクトーリア女神(古代ローマ神話に登場する勝利の女神)像の前に掲げさせるのです。
これは元老院の議員が女神像に捧げ物をする習慣があることを利用した行動であり、これによって神官姿のヘリオガバルスにも捧げ物をする形に。
さらにこの2人は元老院に名誉称号を要求してソエミアスは「クラリッシマ」、マエサは「元老院の女神」という称号を授かることに。
ここでも計算高さが際立っています。

こうした準備を進める皇帝一族は巨大なご神体「黒い石」をエメサから運び出していたためにローマ到着が遅れ、219年の初秋にようやくローマに到着。
こうしてローマに到着した際のヘリオガバルスは紫色の地に錦糸をあしらった司祭服、豪華なネックレスや腕輪、帝冠を身につけた「女装姿」で登場。
これは「成金」の感じがプンプンしますし、これを見た人々は「こいつに国を任せたら滅ぶ」という嫌な予感しかしなかったでしょう。

こうして周囲が不安になりそうな姿で登場したヘリオガバルスはヒエロクレスを共同皇帝、ゾティクスを皇帝の執事長に任命しますが、2人はヘリオガバルスの愛人。
こうした様子を見た反マクリヌス派の軍はヘリオガバルス支持を次第に後悔し始めるように。
見事に「ダメダメ感」しか漂わないひどい公私混同ぶりですし、この人事を見せられては国の先行きに不安しか感じないでしょうからね。

短期間で破たんする結婚生活

短期間で破たんする結婚生活

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ヘリオガバルスは女性との結婚でも逸話を残しています。
220年に結婚したユリア・コルネリア・パウラは彼にとって最世の相手で、シリアに領地を持つ貴族の娘。
彼女はのちに「アウグスタ(皇后)」の称号を得ますが、パウラが「皇帝の異常な性愛に耐えられなくなった」ことが理由で関係は年内で終わりを迎えることに。

220年末に2人目の妻として迎えたアクウィリア・セウェラは竈(かまど)の神・ウェスタに仕える巫女で、彼女は神に仕えるは「純潔」を守らなければいけないという決まりを守っている身。
それを破った場合は生きたまま穴埋めされるという恐ろしい罰を受けるのですが、「そのような決まりは関係ない」と考えるヘリオガバルスは無理やり結婚へ持ち込むことに。
しかしこうした結婚生活は当然長続きせず、2人の関係は半年で解消。
前回の結婚生活で教訓を得られなかったのでしょうか。

前妻2人と短期間の関係で終わったヘリオガバルスは、221年7月にアンニア・アウレリア・ファウスティナを3人目の妻として迎えることに。
彼女はローマ帝国の皇帝「五賢帝」のひとりであるマルクス・アウレリウスの曾孫で当時はポンポニウス・バッススという夫と一男一女の家庭を持つ女性でしたが、結婚したいヘリオガバルスはなんと夫を処刑して無理やり結婚へ持ち込もうとするのです。
しかしこれもうまくいかず年内で結婚生活は破たん。
最終的には2人目の妻・アクウィリアと4度目の結婚となります。

目立ち始める異常な性癖

目立ち始める異常な性癖

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再婚したアクウィリアとの関係がまたも短期間で終わったヘリオガバルスは、次第に変わった性癖を見せるように。
女性相手では公共浴場の女風呂をのぞく、女性をベッドルームに連れ込んで彼女たちの行動を観察するなど異常行為に及ぶようになり、男性との関係では陰茎の大きな男性を宮殿に連れ込み性的な行為に及んだり、神殿内で飼育する猛獣に切り落とした男性器を食べさせたりすることも。
このほかにも自身のいる神聖な宮殿を「売春宿」にして客を呼び込み、自ら客にサービスを提供することもあり、誰も行動を理解できない領域に入ってきましたね。

こうした異常行動を繰り返すヘリオガバルスは「夫」であるヒエロクレスには「妻」として従っており、化粧をして「妻」になりきり他の男性とも肉体関係を結ぶことも。
こうした振る舞いに激怒したヒエロクレスは「妻」であるヘリオガバルスを罵倒、暴力行為に及びますが、ヘリオガバルスは殴られたことを喜んでいたとのこと。
殴ったのに落ち込むどころか喜んでしまうヘリオガバルス、その姿をみたヒエロクレスは戦慄を覚えることがなかったのでしょうか。

エスカレートする奇行・怒る人々

エスカレートする奇行・怒る人々

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奔放な結婚生活、異常な性癖を見せるヘリオガバルスの行動はさらにエスカレートしていきます。
自身が信仰するシリアの太陽神「エル・ガバル」を主神にすえたヘリオガバルスは「エラガバリウム」という神殿を建設、女性一団とふしだらな踊りを踊って神殿へ向かい、少年を生け贄として神殿に捧げるという行動に出ます。
こうした横暴なふるまいには周囲の人間や民衆、元老院の人々などは激怒。
皇帝とは思えないふるまいの数々に「もう耐えられない」といったところでしょう。

人々がヘリオガバルスに怒り始めたころ、王族内でも彼を押した祖母ユリア・マエサまでも見切りをつけるように。
しかしともに実権を握ったヘリオガバルスの母ユリア・ソエミアスはヘリオガバルスへの協力姿勢を崩さず、マエサはソエミアスの妹ユリア・アウィタの息子でマエサの孫アレクサンデル・セウェルスを後継者として擁立することに決定。
ユリアはアレクサンデルをヘリオガバルスの養子にするよう認めさせ、アレクサンデルを「カエサル(副帝)」とすることに。
ヘリオガバルスを皇帝にしたときもそうですが、祖母は相当なやり手です。

破滅に向かって・悲惨な最期

破滅に向かって・悲惨な最期

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祖母にも見切りをつけられ窮地に立たされたヘリオガバルス。
アレクサンドルの養子縁組については一度受け入れますが、アレクサンドルが近衛隊の兵士たちから人気を集めると「養子縁組の取り消し」を実行。
兵士たちには「アレクサンドルは死亡した」と伝え混乱させようとします。
自分の地位がさらに脅かされることを恐れていたのでしょう。

しかしこれでヘリオガバルスの支持が回復するわけありません。
この振る舞いに激怒した兵士たちはすぐさまアレクサンドルの生死確認を要求。
これに慌てたヘリオガバルスはアレクサンデルの生存を発表しますが、兵士はヘリオガバルスへの忠誠を拒否。
ヘリオガバルス相手に反乱を起こすことになります。

明らかな劣勢に立たされたヘリオガバルスに反撃する力は残っていません。
母・ソエミアスとともに反乱軍に捕らえられたヘリオガバルスは母と2人揃って首を切り落とされ処刑。
2人の遺体は市民たちによって引き回されたのち切り刻まれ、テヴェレ川に捨てられることに。
こうして18歳で命を落とした「暴君」追放後に皇帝となったのは、人々が支持したアレクサンデル・セウェルスであったのです。

Junya Higashi

Writer:

これまで旅行に行った土地は鹿児島・霧島や韓国・ソウルなど。世界の土地や風習のことなど、自分の知らない世界を調べて見るのが好きです。旅行経験やライター活動で得た知識が、これから旅行を楽しむ人の役に立てば大変嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします!

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