顔良し!頭良し!戦も強し!井伊直政ってどんな武将?

大河ドラマ「おんな城主 直虎」で、青年期を菅田将暉さんが演じる井伊直政。菅田さんはもちろんカッコいいですが、史実の直政はどうだったのか、気になりませんか?実は直政、史料にも書かれているくらい美形の猛将に成長したんですよ。徳川家康に仕えて大出世、「徳川四天王」のひとりに名を連ねるほどになったんです。今回は、直政の誕生から家康との出会い、そして名を挙げていく様子、すべてを余すところなくご紹介します。


生まれてすぐに父が亡くなり、井伊家ピンチ

生まれてすぐに父が亡くなり、井伊家ピンチ

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永禄4(1561)年、織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を破った翌年のこと、遠江国祝田(ほうだ/静岡県浜松市)で井伊直政は生まれました。
幼名は虎松と言いますので、しばらく虎松とします。
父は今川氏に仕える井伊直親(なおちか)、母はひよ(大河ドラマでは「しの」)。

大河ドラマが現在進行形で放送されていますが、あくまでも解釈のひとつですので、この記事では通説をメインとしてご紹介していきますね。

父の直親は井伊家の当主となりますが、「今川に敵対する徳川家康と直親が内通している」と家老の小野道好(みちよし)が今川当主・今川氏真(うじざね)に讒言し、直親は27歳という若さで殺されてしまいます。
この時、虎松はまだ2歳でした。

実は井伊と今川には因縁があり、虎松の祖父、すなわち直親の父も、家老の小野(道好の父)の讒言によって殺されているんです。

このころの井伊家はピンチの連続で、桶狭間の戦いで当主の直盛が戦死しています。
そのため直親が当主になったわけですが、こんなことになってしまいました。
その後、家を支えてくれた家臣たちも次々と戦死してしまうんです。

こうした井伊家存続の危機に立ち上がったのが、かつて直親の許婚であり前当主直盛の娘である次郎法師(じろうほうし)、後の直虎でした。
彼女が当主となったんですよ。

苦難の連続だった幼少期

苦難の連続だった幼少期

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直虎は虎松の養母になったとも言われています。
それは確実ではありませんが、将来の井伊を背負って立つ虎松の成長を見守ったことは間違いありません。

直虎の奮闘にもかかわらず、井伊はさらに追い込まれます。
今川は虎松の命まで狙っていますが、この時は何とか助命されました。

しかし永禄11(1568)年、虎松8歳のとき、家老の小野道好が彼の命を狙ってきたため、やむなく虎松は周囲の者によって出家させられ、山深い三河(愛知県)の鳳来寺(ほうらいじ)に入ることとなったのでした。
戦国時代、寺は特殊な場所であり、戦国武将といえども簡単に手出しできる場所ではなかったのです。

そしてこの鳳来寺で、虎松は6年間を過ごすこととなったのでした。

虎松の帰還

虎松の帰還

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天正2(1574)年、14歳になった虎松は父の墓参りのために井伊家の菩提寺・龍潭寺(りょうたんじ)を訪れます。
立派に成長した虎松を見て、直虎や龍潭寺住職の南渓瑞聞(なんけいずいもん)らは協議し、彼をぜひ家康に仕えさせようということになったんです。

まず、虎松の実母ひよを家康家臣の松下清景(まつしたきよかげ)と再婚させ、虎松をその松下の養子にしました。
いったんは井伊という名前が途絶えることになりましたが、家康へのコネクション作りのためにはやむを得なかったのでしょう。

そして翌年、ついにその時がやって来ました。

徳川家康との出会い

徳川家康との出会い

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天正3(1575)年のこと。
直虎は鷹狩りの好きな家康が城下に出るときを狙い、直政を連れて道端に控えさせました。

家康は、この立派な装いの少年に目を留めます。
整った顔立ちと漂う品格に、家康は「面構えが尋常ではないぞ」と感じ、名をたずねたのでした。
直虎の目論見はみごとに成功したのです。

虎松というこの少年が、今川に殺された井伊直親の実子と知った家康は、「召し抱えないわけにはいかぬ」とすぐさま虎松を小姓として迎えることにしました。

虎松は万千代(まんちよ)と名を改め、井伊家の領地だった井伊谷(いいのや)を回復し、ここで井伊家は再興されたのでした。

美少年(のち美青年)小姓・万千代(直政)

戦国武将は小姓を側におき、時に性的関係を結ぶこともありました。
戦場に女性を連れて行けないときなど「お役目」を果たすこともありましたし、中には本気で愛し合うようになった者たちもいます。

家康はあまり小姓とそうした噂のない人物でしたが、万千代は別だったようなんです。

ある時、家康の寝所に忍び込んできた暗殺者を万千代が討ち取ったことがありました。
大手柄ですが、つまりは、万千代が家康と同じ寝所にいたからこその手柄だったわけですね。

また、本来なら10代で元服するものですが、万千代の元服は22歳と当時としては遅めでした。
これは、家康が万千代を側に置きたがったためという説もあるんですよ。

これはずっと後のことになりますが、豊臣秀吉が家康を何とか自分に仕えさせようと、実母の大政所(おおまんどころ)を家康のもとに人質として送ったことがありました。
その時に接待をしたのが直政だったんですが、その美男ぶりと細やかな心遣いに、大政所と侍女たちはすっかりほれ込んでしまったそうです。
そのため、大政所は秀吉のもとに帰ることになった際も、警護役には直政をと望んだんですよ。

美男であるだけでなく、振る舞いも素敵だったというわけですね。

外交デビューと元服、「井伊直政」となる

外交デビューと元服、「井伊直政」となる

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天正10(1582)年、22歳のときに万千代はようやく元服を迎え、名を直政とします。
ようやく、井伊直政の誕生です。
この年に、彼を守ってきた直虎が没しています。

天正10年と言えば、大きな出来事がありました。

織田信長が本能寺で明智光秀に討たれたのです。
「本能寺の変」ですね。

この時、家康もまた最大のピンチを迎えました。
というのも、家康はほんのわずかな供だけを連れて信長へ挨拶に訪れ、その帰りに堺(大阪)の街を見物していたところだったんです。
このままでは京都から明智軍が押し寄せ、あっという間にやられてしまう…そこで彼らが選んだ道が、山深く危険な伊賀(三重県)を抜けて本拠地の三河に帰るというものだったんですよ。
直政ももちろん家康に随行しており、この困難な道のりを共に乗り越えました。

その後、豊臣秀吉ら信長の重臣たちは後継ぎを決める清洲会議(きよすかいぎ)を開いていましたが、家康はそれに参加するどころではありませんでした。
というのも、信長が死んだので、旧武田の領地などを巡って争いが起きていたんです。
これが天正壬午(てんしょうじんご)の乱といい、主に家康と北条氏の争いでした。

直政はここでも活躍を見せます。
彼のイメージは猛将ですが、この時はまったく違いました。
北条との講和の使者をつとめ、外交能力に長けていることを証明したんですよ。
実はこの時はまだ元服していなかったそうで、いかに家康に信頼されていたかもわかりますよね。
幼い頃から様々な所をたらい回しにされ、周囲とうまくやっていく処世術などを身に着けていたからこそ、そういった外交も上手だったのではないでしょうか。

ここで成果をおさめたため、以後、直政は各合戦後の調停役などを務めるようになっていきます。

最強軍団「井伊の赤備え」の誕生

最強軍団「井伊の赤備え」の誕生

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天正壬午の乱が終結すると、家康は武田氏の領地と武田の遺臣両方を得ることになりました。

そこで、彼はその武田の遺臣を直政に預けたのです。
彼らは武田の兵法を受け継ぎ、武田の猛将山県昌景(やまがたまさかげ)が朱色の軍装をさせていたのも引き継いでいました。
それらをすべて預けられた直政は、この部隊を上手く使いこなし、やがて「井伊の赤備え」と呼ばれるようになるんですよ。
真っ赤な軍装は戦場で目立つので狙われやすいのですが、それ以上に彼らは強かったんです。

そして、天正12(1586)年には家康と秀吉の間で小牧・長久手の戦いが起こります。
この時に、井伊の赤備えは戦場に初登場することとなりました。
直政は鬼の角が生えたような迫力ある兜をかぶり、赤備えを率いて戦場へ斬り込み、「井伊の赤鬼」という異名で呼ばれるようになったのです。

とにかく直政は大将なのに先頭を切って敵陣に突っ込むのがモットーだったようで、対北条氏の小田原攻めや関ヶ原の戦いでも同じようなことをしています。
部下とすればハラハラさせられっぱなしだったでしょうが…。

家康が関東へと領地を移すと、直政は箕輪(群馬県高崎市)に12万石の領地を与えられました。
家康の家臣の中でいちばん石高が高く、いかに彼が重要な位置にいたかを示しています。
しかも、彼はまだ新参者扱いだったのですから。

ちなみに、高崎の名付け親は直政なんですよ。

Writer:

世界と日本がどのように成り立ってきたのか、歴史についてはいつになっても興味が尽きません。切っても切り離せない旅と歴史の関係を、わかりやすくご紹介していけたらと思っています。

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