【マリメッコの歴史】かわいらしくて斬新なデザインが特徴、フィンランド生まれの「マリメッコ」

マリメッコやイッタラなど、フィンランドにおけるデザインや文化における技術って凄いですよね。競争が激しいファッションや生活雑貨の分野で、どうしてマリメッコ社の人気が60年以上も続いているんだろうって気になりませんか?今回は、マリメッコの歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

カラフルで大きな花柄が超かわいい!マリメッコって何?

カラフルで大きな花柄が超かわいい!マリメッコって何?

image by iStockphoto

1951年にフィンランドで誕生し、今や世界中で愛される人気沸騰中のマリメッコ。
ファッションアイテムはもちろん、テーブルクロスやキッチンアイテム、建築などなど、多くの事業を手掛けるほどに成長しました。
先見性あるデザインは、若い女の子からセレブ世代まで、さまざまな人々に注目され、40ヶ国でマリメッコの商品が販売されています。
もちろん、現在日本にも直営店だけで、約30店舗あるんですよ。

マリメッコと言って頭に浮かぶのは、1964年に人気に火が付いた「ウニッコ(Unikko)」とよばれる、お花のデザイン。
これは、ケシの花をモチーフにしているとか。
カラフル&斬新でトレンドに流されない、デザイン力の高さが魅力です。
世代を超えて愛される、マリメッコがどうやってここまで成長できたのか?を、紐解いてみたいと思います。

創設者アルミ・ラティアの設立前の苦労


マリメッコは、アルミ・ラティアとその夫ヴィリオによって創設されました。
アルミは、1935年に工芸学校を卒業し、その年にヴィリオと結婚したそうです。
ヴィリオが陸軍で兵役に就いている間、生まれ故郷のカルヤラに戻っていました。
その時に、織物工房を立ち上げました。
この工房では、家具用生地やラグ、壁掛けを製造しており、最終的には6人の職工を雇うほどになっていたようです。

でも実はこの頃のアルミは、現場で実力を付けつつ、業界の有力な協会とも交流を深めていました。
しかし、残念なことに、1939年にロシアがカルヤラに侵攻してきたため、織物工場は閉鎖せざるを得なかったようです。

マリメッコの誕生


アルミは、一時期を移住先で過ごし、その後、ヘルシンキへ戻り、7年間もコピーライターとして広告代理店に勤めました。
第二次世界大戦後には、デザイン業界に戻りました。
その始まりが、1949年にユイル・ラグがこれから流行ると、雑誌で予測したことでした。
その予想が的中し、1950年代にフィンランドのテキスタイルアート業界で、カラー・ユイル・ラグが、流行りました。

1949年に夫のヴィリオが、オイルクロスの印刷工場を買収し、新作のデザインをアルミに発注しました。
彼女は、元々ファブリックプリントに関心をもっており、これがチャンスと思い立ち1951年にマリメッコ社を設立したのです。
デザインだけでなく、経営面でも先見性があったんですね!

でも、これには理由があり、フィンランドにはテキスタイルにおける伝統はあったのですが、メーカーはプリント・ファブリックの確保には、海外の輸入に頼っていたのです。
この会社設立に関して、「有望な若いアーティストたちを集め、今までとは違った大胆で新しい柄をデザイン」を、依頼しようというビジョンをもって生地製作に取り組む決意を固めていました。

売れずに苦悩する日々


設立してすぐに、若いデザイナーの一人「マイヤ・イソラ」がデザインした、アムフォーラが注目を浴びました。
イソラは1987年に引退するまで、家庭用テキスタイルデザインを始め、マリメッコのために533店のデザインを提供しました。
1961年からは、フリーランスのデザイナーとなりましたが、それ以降もマリメッコにデザインを販売しています。

デザインはいいと言われるのに、生地は全く売れない日々が続きます。
ここで、「デザインされた生地をどう扱えばいいのか?」と世の中に宣伝することから始めなければならないことに気付いたのです。
彼女は、1951年5月にファッションショーを開催するという快挙に打って出ます。
「この生地から、こんなすてきな洋服が生まれるのよ」と言わんばかりのショーだったようです。
ヘルシンキのカラスタヤトルッパ初のショーは大成功でした。
だって、このショーの服飾デザインは、リーッタ・インモネンに依頼したんですもん。
当時、評価の高かった彼女とのコラボは、成功するに決まっていますよね。

初の直営店を開店し、ますます人気となるマリメッコ


1952年にマリメッコは初の直営店をオープンさせ、2年後にはロゴが完成しました。
1956年からは海外輸出も始め、世界的に人気ブランドへの道を歩み始めます。
服飾では、リーッタ・インモネンの後には、ヴオッコ・エスコリン=ヌルメスニエミが担当しています。
彼女は、フィンランドの女性たちを苦しめていたコルセットを使わない、機能的な洋服をデザインしました。
これは、フランスのココ・シャネルを彷彿とさせるものだったようです。

1960年代に入ってからの成長は目覚ましく、50年代の終わりごろには、スウェーデンやアメリカにも進出しました。
アメリカにおいてケネディ夫人が、マリメッコのワンピースを着てマスコミの前に出たことも大きな要因でした。
大統領候補のJ.F.ケネディは、一度に7着も購入したとか。
ここから、マリメッコの商品は、生活に密着したものとなり、ラインナップも豊富になったようです。
また、ワンピースに加え、今も人気度が高いシャツ「ヨカポイカ」をデザインしています。

人気作品が止まらないマリメッコ


独立したイソラもこの頃、テキスタイルのデザインをどんどん生み出しています。
大胆で華やかなデザインのウニッコ柄が登場したのが1964年のことです。
実は、ウニッコ柄の誕生には秘話があります。
アルミは、デザイナーたちに、花柄以外で布いっぱいに好きな絵を自由に描いた作品を作ってほしいと依頼をしました。
「花はそれだけで美しい。
だから装飾のモチーフとしては相応しくない」と、宣言した時にできた作品なんです。

イソラは、布地いっぱいにケシの花を描き、「これでも、洋服に花柄は必要ない?」と見せました。
でも、この花柄の洋服はフィンランドだけでなく世界中で評判を浴びました。
現在もマリメッコを象徴するデザインのひとつですね。
泉をモチーフにした「カイヴォ(Kaivo)」も、彼女の作品です。

ピーターラビット

Writer:

世界遺産ブームをきっかけに歴史に目覚めてから、国や城、庭園などの成り立ちに魅了された主婦です。何だろう?と思ったことを調べて、皆さんにお伝えすることで気持ちを共有できたら幸せだな~と感じながら仕事をしています。ちょっとマニアックな歴史記事ですが、軽い気持ちで触れてみてくださいね!

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