江戸時代は醤油で大儲け?2ヶ所に建てられた「龍野城」の歴史

龍野城というお城を聞いたことがありますか?姫路と赤穂の間にあって少し存在感が薄いのですが、(すいませんが、それが以前の私のイメージ)立派な城があり、城下町の雰囲気が残っている良いところなのです。ここでは、龍野城の建造物や、たつの市内の歴史スポットにはどんなものがある?龍野の名産、醤油の歴史は?また龍野城と龍野藩にはどういう歴史があるのか?ということについて見ていきたいと思います。


龍野城と龍野の城下町、龍野市内の歴史スポットは?

現在龍野城と龍野市内に残っている建造物は?

現在龍野城と龍野市内に残っている建造物は?

image by PIXTA / 26004059

龍野城は兵庫県の姫路駅から姫新線に22分ほど乗った本竜野駅から歩いてヒガシマルの工場の横を通り、揖保川を渡って21分ほどの所にあります。

龍野城は鶏籠山(けいろうさん)の山城と山麓の平山城との2期に分かれていて、山城は約500年前に播磨の守護大名だった赤松村秀によって築城され、現在の平山城は寛文12年(1672年)に信州飯田から脇坂安正が移ってきて築城したとのこと。

そして、龍野城では本丸御殿、白亜の城壁、多聞櫓(たもんやぐら)、埋門(うずみもん)、隅櫓などが復元されています。
私も少し前に龍野城を訪れたのですが、復元された建造物が白く立派でした。

また、私が訪れたときは休館日で残念だったのですが、龍野城本丸御殿上段の間がきらびやかな黄金の間となっていて、一室全体がきらびやかな黄金の間となっているそうです。
これを見逃したので、また龍野を訪れなければいけませんね。

また、城下町の旧脇坂屋敷周辺には江戸時代の町の雰囲気が残っており、また如来寺周辺には寺院、浦川、醬油蔵などがあり、城下町の風景が残っていて、聚遠亭(しゅうえんてい) の心字池の上にある茶室は庭園、池、杉垣根などと調和した書院造りを模した数奇屋風(すきやふう)の建築。
池の上にある建築って好きなのですが、見るだけで楽しくなるのは私だけでしょうか?

野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)には「龍野」の名の由来が。
相撲の元祖、野見宿禰(のみのすくね)が故郷の出雲に帰る途中この地で病死し、出雲から多くの人々が来て川からリレー式に石を運び墓を築いたとされています。
「野に立つ人」「立野」が、いつしか「龍野」になったそう。
また、「龍」がつく土地には「たびたび洪水が起こったから「龍」の名が付いた」という話も聞いたことがあります。
龍野も揖保川がよく氾らんしたりしていたのでしょうか?

また龍野市内には古墳や弥生時代の遺跡などもあり、歴史スポットはたくさんありますよ。

龍野の町はどんなもの?

龍野の町はどんなもの?

image by PIXTA / 26004057

現在の龍野城を建てた脇坂安政が入封した当時の城下町は立町・下町・横町・上下の川原町の5ヶ町からなり、547軒と7ヶ寺からなっており、享保8年(1723年)年の人口は4120人ですが、以降減少傾向をたどり、幕末期には3400人台となっています。
姫路という大きい町が近くにあるのに、減っていくのは意外です。

龍野城下の町政機関として立町に惣町会所があり、現たつの市のほぼ中央を流れる揖保川を、薪(たきぎ)を積んだ舟が龍野町を通過する場合および他領の舟が龍野町に薪の積み売りにきた場合、龍野町の薪仲買はいずれの場合も舟一艘につき銀5分ずつの浜運上を取っていました。

宍栗郡(しそうぐん)山崎町の出石(いだいし)河岸を起点として発達した高瀬舟が播磨北部の産物である木材・薪炭(しんたん)あるいは鉄といった商品を龍野経由で網干(あぼし)へ積み降ろしていました。
網干からさらに姫路や大坂などへ送られていたのでしょうか?大坂や京から比較的近いですし、需要がたくさんあって儲かったのかもしれませんね。

龍野の醬油はどのように広まっていった?

龍野の醤油はどのように生産、運送され、消費された?

龍野の醤油はどのように生産、運送され、消費された?

image by PIXTA / 30285788

現在一般的に用いられている醤油が商品として大量に生産されるようになったのも近世のこと。
原料は小麦・大豆・塩・麹(こうじ)と水で製造法や道具は酒造に似ています。

良質な小麦と塩の産地として、播磨では醤油製造業が17世紀から行われていましたが、18世紀には京・大坂・江戸の大消費都市へ売り込むことで生産規模を拡大。
三都の中でも京は醤油生産の先進地で「造醤油仲間」が形成されていたところへ播磨や備前で生産される醤油が流入するようになり(私の地元でもある岡山の備前に美味しい醤油のお店があるのですが、やはりそういうお店があった所は昔は醤油の生産が盛んだったのでしょうか?)、他国醤油問屋の仲間が形成され、とりわけ京に出店も設け積極的に進出したのが龍野の醤油製造業者です。

龍野の代表的な醤油醸造家、圓尾家(まるおけ、後のヒガシマル)は近世初期には酒と味噌の醸造を行っていましたが、淡口(うすくち)醤油を開発し、京都市場へ進出して成功したとされます。
現在、関西や西日本で薄口醤油が広まっているのは、やはり龍野のヒガシマルが源流なのでしょうか?

龍野の醤油はブランド品?

龍野の醤油はブランド品?

image by PIXTA / 12307331

文化13年(1816年)には播州の17軒の醸造元から合計4万6641樽が京に積み登されていますが、これは同年の他国醤油の61.7%を占めていて、これはかなりのシェアですよね。
また龍野だけで3万2904樽あり、圓尾家だけで1万樽を超えていて、ある番組の言葉を借りれば、「江戸時代の龍野は淡口醤油でガッチリ!」といった所でしょうか。

龍野で作られた醤油は前述の揖保川水運を通じて網干へ送られ、廻船で大坂に運ばれて、次は淀川舟運で伏見を経由して京都に積み送られたのです。
また文政5年(1822年)には龍野醤油の偽物が横行したため御改極印請負(特許のようなもの?)の出願がありました。
それが実現したかは不明ですが、すでに龍野醤油がブランド商品になっていたことを物語っています。

偽物が出回るほど美味しい醤油だったということになりますよね。
龍野に寄ったとき、お土産に買ってみても良いんじゃないでしょうか?

龍野城にはどんな歴史がある?

Writer:

子供の頃から坂本龍馬に憧れ、歴史小説を読み込んでいて司馬遼太郎が特に好きで、城を巡って旅行をするのも好きでいろいろと回っています。地元岡山の歴史についても本を読んで調べていて、過去の時代の岡山がそんな風景だったか想像するのが好きです。バンド「レキシ」も好き。 よろしければブログも読んでみてください。http://tatsuyakawakami.hatenablog.com

この記事のカテゴリ

歴史

関連記事を見る

歴史の記事を見る

敬虔なるキリシタン武将・明石全登、ドラマチックに登場した大坂の陣と謎の行方
苦節55年!?日本を代表する近代建築・国会議事堂は誰が建てた?
落ちぶれた本願寺を再興した救世主・蓮如が歩んだ道のりを徹底解説!
偉大すぎる父とできすぎた弟たちを持った毛利のプリンス・毛利隆元の苦悩
絶対敵にしたくない男No.1!「敵はとりあえず暗殺」の宇喜多直家、でも家臣は大事にした?
奈良時代から現存する「東大寺法華堂」ってどんなところ?
秀吉は本当に一夜で城を完成させたの?岐阜・墨俣城を訪ねてみた
出奔されてもコイツが必要!と伊達政宗に思わせたデキる親戚・伊達成実ってどんな人?
冬の立山連峰を越えた男・佐々成政、時代に翻弄された悲劇の最期
負け戦に敢えて挑む男のプライド。秀吉に刃向った武将・九戸政実の生き様
秀吉vs勝家!決戦の地・賤ヶ岳古戦場の歴史を辿る旅
小牧山城で近世城郭の始祖・織田信長の築城技術を学ぶ