湯もみ・湯畑・温泉饅頭!魅力たっぷり「草津温泉」の歴史を辿る

草津よいとこ一度はおいで~ア~ドッコイショ♪民謡『草津節』で有名な草津温泉。町中が湯けむりと硫黄の匂いにつつまれ、力強く湧き出す豊富な湯量で日本有数の温泉地として知られています。超有名な温泉なのに「行ったことあるけど何県にあるのかよく知らない」という人もちらほら。そこで今回は、歴史から効能から見どころまで、名湯・草津温泉の魅力を余すところなくたっぷりとご紹介してまいります!

開湯はいつ頃?意外と知らない草津温泉の始まり

草津温泉はどこにある?まずは地理や地形から

草津温泉はどこにある?まずは地理や地形から

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草津温泉は北関東・群馬県の北西部にある吾妻郡草津町にある温泉。
地元の方に怒られてしまうかもしれませんが、他県の人間から見ると、ちょっとわかりにくい場所。
伊豆の温泉地のように海に突き出た半島にある温泉や、新幹線の駅や主要な高速道路の降り口近くの温泉ならすぐイメージしやすいところですが、草津温泉は新幹線や高速道路、大きな鉄道駅からも離れた場所にあります。
温泉の北方面にスキー場があるため「スキーバスで夜中に往復したので、何度も行ってるけど何県にあるのか知らない」という人もちらほら。
でもこれって、とってもすごいことなのかもしれません。

戦国時代や江戸時代に於いても、主要な街道から離れたところ、交通の便が良いとは決して言えない地域にありながら、多くの湯治客が訪れる人気の温泉地だった草津温泉。
白根山(標高2160m)の南東側、標高1200mという高地に位置し、山間ですが秘湯というわけではなく、町は古くから大いに賑わっていました。
名のある戦国武将が通ったという話も伝わっており、江戸時代の儒学者・林羅山の「日本三名泉」にもうたわれているほど(日本三名泉:有馬温泉・下呂温泉・草津温泉)。
この地を訪れた著名人の足跡がそこここに残る草津温泉は、どんな歴史を辿ってきたのでしょうか。

草津温泉が知られるようになったのはいつ頃?

草津温泉が知られるようになったのはいつ頃?

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草津温泉の開湯については、明確な書物は残っていないようですが、歴史はかなり古いようです。

諸説ある草津開湯伝説の中で最も古いものとして、大和朝廷の日本武尊(ヤマトタケル)が東夷征伐(相模や甲斐など東国への勢力拡大・四世紀頃)の際に草津周辺荷立ち寄り温泉を発見した、という話が伝わっています。
神話や伝説を持つ温泉地は珍しくないのかもしれませんが、何とも勇壮で神秘的。
残念ながら伝承が文書で残っているわけではないようですが、この場所からお湯が湧き出ていることは、かなり昔から知られていたようです。

もうひとつ、奈良時代の僧侶・行基が発見したという開湯伝説も、草津の地に伝わっています。
行基による開湯伝説は東北や北陸を中心にたくさん残されており、草津温泉もそのうちのひとつ。
仏教では入浴は病を退けるとして奨励されているのだそうで、行基や空海、一遍など名高い僧による開湯伝説が多いのはその影響と言えそうです。

毎分32,300リットル以上、1日にドラム缶約23万本分!自然湧出量では日本一を誇る、豊富な湯が湧く草津温泉。
しかも、少し強めの酸性泉(硫黄泉が湧く場所もあるそうです)でピリッと刺激的。
温まるだけでなく、切り傷や神経痛、美肌効果も高いという嬉しい効能つきのお湯がこんこんと湧き出る様は、きっと昔の人々の目にも神秘的に映ったはず。
史料や書物には残されていなくても、古代から広く知られていた温泉であることには間違いないようです。

”くさいみず”?諸説あって面白い地名の由来

”くさいみず”?諸説あって面白い地名の由来

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開湯伝説に古い歴史があるのと同じように、草津の名前の由来もなかなか奥深くて面白いんです。

”くさつ”という地名の語源にはいくつか説があるようですが、有力説は2つ。
ひとつは、草津独特の温泉の強い臭いから、「臭水」→「くさみず・くさうず・くそうず」となり、それが「くさつ」へと変化した、というもの。
確かに、現代の人たちならこの臭いの正体が何であるか知っているから何とも思わないでしょうし、「効きそう!疲れがとれそう!」って思う人もいるくらいですが、臭いの正体を知らない昔の人なら「何この臭い水!」と口々に叫んでいたかもしれません。

もうひとつの有力説は、ちょっと難しいんですが『大般若経』の中の「南方有名是草津湯」という一節からきている、というもの。
ただ、実際には『大般若経』の中にこのような一文は見当たらないそうで、伝承の域を出ない、との見方もあるそうです。

”津”というと港や海辺をイメージする漢字。
広島県にある草津は、港町として発展したため(草=民間)このような名前がついたと言われていますが、群馬県の草津温泉には海も港もありませんし、港に関わるものも見当たりません。
”くさいみず”が転じて「草津」となったという説にも頷けます。

”くさい”から変化したのでは、というこの説には、”くさいみず”ではなく”腐処(くさと)”や”臭處(くさと)”が語源

ではないか、という説もあるそうです。
どちらにしても、草津の地名の由来は、硫黄の強烈な匂いからそう呼ばれるようになった、と考えていいのかもしれません。
熱いお湯に浸かって硫黄の臭いを感じながら、草津の地名の由来について思いを巡らすのもまた一興です。







草津温泉の歴史

温泉番付では堂々大関!湯治客で賑わう草津温泉

温泉番付では堂々大関!湯治客で賑わう草津温泉

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文書や記録はほとんど残っていませんが、奈良時代には既に湯場として広く知られていたと思われる草津温泉。
温泉としての記録が見られるのは、室町時代の後期から戦国時代の頃からになります。

室町後期といえば応仁の乱が終わって世の中が大きく変わろうとしていた時代。
戦が多く、戦国武将たちにとって兵の傷を癒す温泉場は貴重な存在だったのです。
草津の湯は小さな釘なら数日で溶かしてしまうほどの強い酸性泉。
昔から「恋の病以外なら何にでも効く」と言われ、特に切り傷などの治癒に珍重されていました。

戦国時代にはこの辺り一帯を治めていた真田氏や、真田氏が仕えていた武田氏に関する文献の中に「湯本氏」という名前が何度も登場するようになります。
周辺には平地が少ないため米の収穫はそれほど多くなかったと思われ、その分、草津を訪れる湯治客から湯銭を徴収。
真田氏の貴重な財源となっていたと考えられています。

また、真田氏が豊臣秀吉や徳川家康を草津温泉に招待した、という話も。
秀吉は草津を訪れ湯を楽しんだと言われていますので、真田氏は草津の湯を接待や外交にも活用していたとも考えられています。

江戸時代に入ると真田の領地は江戸幕府の直轄地に。
草津温泉は主要な街道から離れた山間にも関わらず湯治客で日々賑わい、江戸時代の観光ガイドと言うべき「諸国温泉功能(温泉番付)」では、西の有馬温泉と並んで堂々の大関(当時の最高位)に選出されるなど、湯治場としての人気は不動のものとなっていました。

山岳鉄道が走っていた?明治時代の草津温泉

山岳鉄道が走っていた?明治時代の草津温泉

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1878年(明治11年)、ドイツ人医師エルヴィン・フォン・ベルツ博士が始めて草津を訪れ、医学的有効性を高く評価。
草津温泉を世界に紹介したことで、日本の温泉の科学的研究が盛んになっていきます。

草津温泉の存在は、より多くの人々に知られることとなりましたが、交通の便が良くないという難点がありました。
多くの湯治客を呼び込むためには、交通機関の整備は必要不可欠。
そこで持ち上がったのが登山鉄道開通計画でした。
箱根や湯河原など、富裕層が好む温泉場では、早いうちから鉄道や道路の整備が進められていた時代のことです。
満を持して草津温泉にも、1926年(大正15年)、軽便鉄道(けいべんてつどう・一般的な鉄道より簡便で安価に建設された鉄道)「草津電気鉄道」が開通。
新軽井沢駅から草津温泉駅までのおよそ55㎞、浅間山麓の高原地をトンネル無しで、スイッチバックを繰り返しながら急斜面をひた走る山岳鉄道が誕生したのです。

嬬恋や北軽井沢、万座温泉など通る高原列車として話題になりましたが、勾配がきつく運転が困難な区間も多かったそうで、移動スピードは若干ゆっくり。
戦後、道路の整備に伴うバス輸送の増加などの影響で、客足は次第に減退していき、1962年(昭和37年)に全線廃止となってしまいました。

続いていたなら、草津温泉を走る山岳鉄道の雄姿を見ることができたのですが、残念ながら草津電気鉄道は残っていません。
草津温泉駅があったところは小さな公園になっており、駅舎があったことを示す記念碑が静かに時を刻んでいます。

次のページでは『「時間湯」って何?草津温泉名物「湯もみ」の歴史とは』を掲載!
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