「地上最後の楽園」バリ島の魅力、歴史がわかるともっと楽しい!

広い空、青い海、白い波、照りつける太陽…「神々の島」「地上最後の楽園」とも呼ばれ、観光地として大人気の美しき島・バリ島。でも、よく耳にするけど、どのへんにあってどういう歴史を辿ってきた島なのか、実はよく知らない、という人も多いのではないでしょうか。お寺や遺跡はあるの?どんな宗教を信仰している?王様はいるの?などなど、数々の疑問を解消しつつ、麗しき癒しの島・バリ島の歴史を辿りながら名所旧跡をご紹介してまいります。

バリ島ってどこにある?いつ頃から人が住んでるの?

東南アジア・インドネシア共和国バリ州

東南アジア・インドネシア共和国バリ州

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バリ島はインドネシア共和国の島。
バリ州という州に属しています。
インドネシアは世界地図で見ると日本の真下、オーストラリアの真上に位置し、赤道直下、東西5110kmと横に長く伸びる、大小様々な1万3000を超える島々で構成された国。
バリ島はインドネシアの南側、島々が細く長く弓のように連なっているところの、ほぼまん中あたりにあります。
すぐお隣、西側(左側)は、首都ジャカルタがあるジャワ島です。

島の面積はおよそ5600平方kmで、東京都の2.5倍くらい。
横から見たダルメシアン犬の顔のような形をしていて、喉元あたりにデンパサール国際空港があります。

人口はおよそ400万人ほど(インドネシア全体の人口はおよそ2億4000万人)で、バリ・ヒンドゥーという、インド仏教やヒンドゥー教とバリ島古来の信仰が融合した独特の宗教が、島の信仰の大半を占めているのだそうです。

気候は年間平均気温が28度ほど。
雨季と乾季がありますが、雨季でも雨が少なく温暖な気候が続くため、一年中が観光シーズン。
物価も安く、治安も比較的安定していることなどから、時期を問わず多くの観光客が訪れます。
バリというとビーチリゾートを思い浮かべる人が多いと思いますが、実はかなり歴史が古く、多くの王国が誕生したり、オランダによる植民地時代などを経ているため、歴史的スポットの宝庫でもあるんです。
温かく過ごしやすく、火山や森林による恵みある土地は、古くから多くの国々や民族を育んできました。

長い長い歴史を持つバリ島。
どんな民族や王国があったのか、遡って見ていくことにいたしましょう。

バリ島には紀元前から人が住んでいた!?

バリ島には紀元前から人が住んでいた!?

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すぐ近くにあるジャワ島では、100万年以上も前のものと思われる化石人類、いわゆる「ジャワ原人」の化石が見つかっていますので、バリ島にもその頃から人類が住んでいた可能性はありそうです。
今のところ、バリ島内にはそうした遺跡や発掘場などはなさそうですが、何せジャワ島とバリ島は、最も近いところで3kmほどしか離れておらず、お互い見える位置関係。
ジャワ原人と同じように100万年以上前にも人の暮らしがあったのでは?と考えてもおかしくはなさそうです。

紀元前300年頃、東南アジアを中心に広まっていったドンソン文化という金属器文化(主に青銅器)が、バリ島にも伝わってきます。
鉄や銅でできた道具や農耕具などが島の中でも見つかっており、同じ頃に、稲作の技術も島に広まっていったようです。

紀元前1世紀~紀元後5世紀頃には、お隣のジャワ島や、遠くインドや中国とも交易が行われるようになっていました。
特にジャワ島の影響は強かったようで、ジャワ島を通じて様々な物資と共にヒンドゥー教や仏教などが伝来。
10世紀頃まではジャワ王の支配のもと、発展を遂げていたものと思われます。

バリ島の歴史的スポット(1)ドンソン文化の青銅器が眠る寺院「プナタラン・サシ寺院」

バリの古い時代を飾った、ドンソン文化時代の遺構が見たい!と思ったら、「プナタラン・サシ寺院」を訪れてみて下さい。

バリ島の内陸・中心部に位置する、田園風景が広がるウブド。
ビーチとは違ったバリの過ごし方ができる地域として、観光客にも人気がある地域から5kmほど離れたところにあるペジェン村にある、バリ島6大寺院の一つとも言われているバリ・ヒンドゥー教寺院。
建立時期や建立者についてまだよくわかっていないという、ミステリアスな一面も。
敷地はそれほど広くはありませんが、独特の形をした建物や石像が並んでいて、まるで異空間に迷い込んだかのようです。

お目当てのドンソン文化時代の以降は、敷地内に祀られています。
紀元前3世紀ごろ製作されたとされる「ペジェンの月」と呼ばれる世界最大の青銅製銅鼓(どうこ・片面の太鼓)。
その大きさたるや、直径160cm、高さ186cm。
南国風の建物の中に安置されていて、見学することができます。
こんな大きなものを2000年以上も前にどうやって作ったのか、ただただ感嘆するのみです。

バリにはこの「ペジェンの月」にまつわる伝説があります。

昔々、バリの夜空には13の月が輝いていて、そのひとつがこの村に落ちてきてヤシの木に引っかかってあたりを明るく照らしていたが、あんまり明るいので泥棒が困って、月に放尿したとたん爆発し、地上に落ちたのだそうです。
後半の怒涛の展開はどうかと思いますが、何とも面白い伝説。
実際、どうしてこんな大きなものがこの寺院にあるのか分かっていないそうなので、こうした伝説とあわせて見学すると、楽しさも倍増しそうです。







栄枯盛衰・中世のバリ島の歴史

王国の誕生とバリ独自の文化・芸術の発展

王国の誕生とバリ独自の文化・芸術の発展

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10世紀の始め頃、バリ島独自の王朝が誕生します。
913年から400年ほど続いたワルマデワ王朝です。
四代目ウダヤナ王は東ジャワクディリ王国の王女マヘンドラダッタを妻に迎えており、ジャワ島とのつながりも続いていたとみられています。

1248年、東ジャワのクディリ王国を滅ぼしたシンガサリ王国によってバリ島も征服されそうになりますが、数年後にシンガサリ王国が衰退。
事なきを得ます。
しかし結局、1342年、ジャワの新王国・マジャパヒト王国に征服され、400年続いたワルマデワ王朝はついに終焉を迎えることに。
マジャパヒト王国はクディリ王国の末裔をバリに送り、ゲルゲル王国を築かせて支配。
バリ島はマジャパヒト王国の支配を受けつつも、ゲルゲル王国によって統治され、勢力を拡大していきます。

16世紀に入ると、ジャワ島にイスラム勢力が侵攻。
マジャパヒト王国は衰退し、貴族や僧侶、技術者たちが一斉にバリ島に逃げてきます。
この影響で、ジャワ島のヒンドゥー教文化が広まり、バリ・ヒンドゥー文化が確立。
ゲルゲル王国にはバリ独自の文化・芸術が花開き、古典文学や音楽・彫刻、そして多くの寺院が建設されていきます。

分裂・小王国時代とオランダの侵攻

分裂・小王国時代とオランダの侵攻

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1651年、順風満帆だったゲルゲル王国にかげりが。
家臣たちの間で内乱が起こり、国力が一気に低下してしまったのです。
変わって力を持ち始めたのが、地方を治めていた領主たち。
国を治める力を失ったゲルゲル王国は、それぞれの領主に領地を治める権限を与え、自らはクルンクルン(現在のスマラプラ)に遷都。
ゲルゲル王国はクルンクルン王国に変わり、これに並んで各領主たちが打ちたてた小国(カランガスム王国、ギャニャール王国・バドゥン王国・タバナン王国・バンリ王国・ムングィ王国・ブレレン王国)が乱立するという状態に。
これらの王国の名前のうちのいくつかは、現在のバリ州の県の名前となって残っています。

19世紀、バリにもヨーロッパからオランダの船団がやってきて侵攻。
植民地化の波が押し寄せます。
オランダ東インド会社の船は17世紀には既にバリに上陸していたのですが、バリにはヨーロッパ好みの特産品が少なかったのか、バリの植民地化が進められたのは19世紀に入ってからとなりました。

バリの小国は次々にオランダに制圧され、1908年にはクルンクルン王国も滅ぼされて、バリ島全土がオランダの支配下に入ります。
小国の中には、オランダ軍に降伏せず抵抗した国も。
非力な王国に対して強大な武力を差し向けたオランダ軍に、世界中から非難の声が寄せられます。
これを受けてオランダは、バリを制圧したにも関わらず、バリの伝統的な文化を保全するミチを選ばざるを得なくなったのです。

次のページでは『バリ島の歴史的スポット(2)山間に作られた王家のお墓「グヌン・カウィ遺跡」』を掲載!
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