公家趣味が彼を滅亡に追い込んだ?大内義隆を殺したのは、かつての愛人だった…!?

重臣・陶晴賢の謀反:大寧寺の変

重臣・陶晴賢の謀反:大寧寺の変

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武断派家臣と義隆の間の溝は決定的なものとなっていました。
陶晴賢などは領地に引きこもり、義隆の元に顔を出すことさえなくなっていたんですよ。
そのため、彼らに謀反の噂も流れ、一時は義隆も武装して館に立て籠もるなど緊張が高まっていました。
そして、晴賢からの暗殺を恐れた相良武任などは、出奔してしまっているんです。

その際、側近らは陶ら武断派の討伐を義隆に進言したんですが、なぜか義隆はそれを受け入れることはありませんでした。
対立しているとはいっても、主従の契りを結んだ仲…裏切るはずがない、とでも思っていたんでしょうか。

こういうところに、義隆の主としての決断力の低さが見えてしまいますよね。
早くから家督を約束され、平和というぬるま湯に浸かって育ってしまったことが、多少なりとも影響があるとは言えないでしょうか。

そして、天文20(1551)年、陶晴賢は義隆に対して反旗を翻し、挙兵しました。

これが、後に本能寺の変と並び称される下剋上のモデルケース・大寧寺(たいねいじ)の変です。

全盛から一気に滅亡へ

全盛から一気に滅亡へ

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晴賢率いる軍勢は義隆の領地へと侵攻し、義隆が「彼らは敵にはなるまい」とタカをくくっていた他の武断派たちをも味方につけ、5千~1万という大軍勢となり、あっという間に迫って来ました。
そこで、ようやく義隆は事態の深刻さを悟ったのです。

義隆は、最初は津和野(つわの/島根県津和野町)の親族を頼ろうとしましたが、暴風雨のためにそこまでたどり着くことはできませんでした。
そこで、長門(ながと/山口県長門市)の大寧寺にこもりますが、すでにこの時、彼に味方する重臣はほとんどおらず、兵の数も3千に満たないほどだったそうです。

事ここに至り、義隆は腹を決め、大寧寺で切腹して果てました。
享年45。

晴賢の挙兵からたった2日しか経っていませんでした。

そして、義隆の嫡男・義尊(よしたか)も殺され、事実上、大内家は滅亡に追い込まれたのです。

大内家を頼って来ていた公家たちも、巻き添えとなってほとんどが殺されました。
武断派は、義隆を取り巻く公家たちを快く思ってはいませんでしたから、ひどい殺され方をした者もいたようです。
そして、その中には、武田信玄正室(三条夫人)の父・三条公頼(さんじょうきんより)までもが含まれていたんですよ。

晴賢はこの謀反劇について、こう言及したそうです。

「我が運も義隆の御運も、天道のはからいなり」

自分の運も、主・義隆の運も、すべては天の導き、運命によるものだということを主張したんですね。

あれだけ放蕩を尽くした義隆ですから、そんなことを言われてしまうのも仕方なかったのかもしれません。

その後の大内家

その後の大内家

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義隆を自害に追い込み、その嫡男を殺害した晴賢は、ひそかに近づいていた毛利家の援護を受けて、大友家内での自分への反対勢力を一掃。
そして豊後(ぶんご/大分県)の大友宗麟(おおともそうりん)の弟であり、一度は義隆の猶子となっていた義長を大内家の当主に迎えました。
まあ、事実上の傀儡です。

しかし、晴賢の時代も長くは続かず、厳島の戦いで彼が毛利元就に敗死すると、大内家は空中分解していったのでした。

この時、義長は実兄の大友宗麟に助けを求めましたが、宗麟は応じることもなく、義長もまた毛利勢に攻められて自害するという末路を辿ったんです。
宗麟、ちょっとひどくないですか…?

こうして、義隆の死からわずか4年後、戦国大名としての大内家は滅亡しました。

雅な公家文化がもてはやされ、西国一の大名と呼ばれた全盛期からのあっという間の転落劇。

信じられないほどのスピードで、大内家は地獄へと落ちてしまったのでした。

そのハンドルを握り、アクセルを踏んだのは、紛れもなく大内義隆だったんです。







命を絶つ瞬間に何かを悟った義隆

義隆の辞世の句とされているものがこちら。

「討つ者も 討たるる者も もろともに 如露亦如電(にょろやくにょでん) 応作如是観(おうさにょぜかん)」

「如露亦如電 応作如是観」とは、金剛般若経というお経の一節で、この世のものすべてが露や電光のようにはかなく一瞬のものであるのだから、そのことを頭に入れて物事を見ていきなさいという意味なんだそうです。

つまり、最期を迎えるに当たり、義隆は「討つ者・討たれる者みながはかなく一瞬で散るものだ」という、何だか悟りの境地に達したような句を詠んだんですね。
この心情で大内家を治めていたら、もっと違った未来がひらけていたような気がするのは、私だけでしょうか。

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