宿敵・松永久秀との戦いに半生を捧げた筒井順慶、「日和見主義」の誤解を解く!

最近はあまり聞かない言葉かもしれませんが、「洞ヶ峠(ほらがとうげ)」の意味をご存知でしょうか。「日和見を決め込む」という意味なんですね。この逸話の元とされてしまった戦国大名が、筒井順慶(つついじゅんけい)。実は、洞ヶ峠の話は大いなる誤解なんです。順慶は、戦国時代を生き抜くために戦い続けた立派な戦国大名でした。宿敵・松永久秀(まつながひさひで)との因縁など、苦労続きの彼の人生を紐解いていきたいと思います。


父・順昭と「元の木阿弥」の話

父・順昭と「元の木阿弥」の話

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筒井順慶は、天文18(1549)年に大和(奈良県)の戦国武将・筒井順昭(じゅんしょう)の嫡男として誕生しました。
しかし翌年には父を病で失ってしまい、いきなり波乱のスタートとなります。

ところで、まず父・順昭にまつわる逸話もご紹介しましょう。

順昭は筒井家の全盛時代を築いた若き名君でしたが、病に苦しみ、27歳で突然出家してしまいます。
その翌年に亡くなってしまうんですが、この時に家臣たちを呼び寄せ、幼い順慶に忠誠を誓うことを約束させました。

そして、自分に良く似た盲目の僧・木阿弥(もくあみ/黙阿弥とも)を影武者とし、3年間(1年間とも、順慶が成人するまでとも)は自分の死を隠せと命じたんです。

その後、木阿弥は順昭として贅沢な生活を送りましたが、3年経って体制が固まり、順昭の死が公表されると、一介の僧に戻ったといいます。
これが「元の木阿弥」という故事成語の元となったわけなんですね。

宿敵・松永久秀の侵攻

宿敵・松永久秀の侵攻

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おそらく父の顔を覚えることもなく死別してしまった順慶は、叔父の順政(じゅんせい)の後見を受け、家臣たちの補佐のもと成長します。

実は、この家臣たちの中に島左近(しまさこん)がいます。
彼は後に石田三成に仕え、関ヶ原の戦いで活躍した人物。
この頃は筒井家の重臣でした。

何とか幼い主を盛り立てようと頑張る筒井家臣団ですが、順慶が16歳の時に叔父・順政が亡くなってしまいます。

そして、ここであまりにも恐ろしい敵が現れます。

松永久秀。

戦国一の梟雄と称され、主家乗っ取り・東大寺焼き討ち・織田信長への2度の反逆と壮絶な最期…という派手な生き様が有名です。

当時の久秀はまだ主家の三好家の家臣でしたが、大和国内に手を伸ばし始めたところでした。
折しも、最初の天下人とまで呼ばれた三好家当主の三好長慶(みよしながよし)が亡くなり、久秀は三好家の実権を握ったんです。

こんな人物に狙いを定められた筒井家の運命は、もはや風前の灯。
それを察知した味方の豪族の中には、久秀の方へ寝返った者もいたんですよ。

久秀との対決と敗北

久秀との対決と敗北

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勢いを増す松永久秀と、三好家重臣の三人(通称:三好三人衆)は結託し、ついには室町幕府と将軍の存在を邪魔に思うようになります。

そして、三好三人衆と久秀の息子・松永久通(ひさみち)は、永禄8(1565)年、将軍・足利義輝(あしかがよしてる)を暗殺してしまったのでした。
これが「永禄の変」です。

ただ、久秀と三好三人衆の歩調が合っていたわけではなく、わずか3ヶ月後に彼らは決裂します。

その時を、順慶は家臣たちと共に狙っていたのでした。

順慶は三好三人衆とひそかに同盟を結び、反・松永の兵を挙げて松永方の城・飯盛山城(いいもりやまじょう)を攻めたんです。

しかし、そこは百戦錬磨の松永久秀。
ぬかりはありませんでした。

順慶と三好三人衆もまた、同盟したばかりで一体化が進んでいません。
そこを順慶は突かれてしまったんです。

飯盛山城を順慶らが攻めた2日後、まさに電光石火の早業で、順慶の居城・筒井城は久秀に攻め落とされてしまいました。

順慶は一族の城に潜伏し、反撃の機会をうかがうこととなりました。
この間にも離反する家臣が続出し、彼の苦境は続いたわけです。
本当に、苦労してます…この時の筒井順慶、まだ16歳。
当主とはいえ、ひとりの少年には辛い出来事の連続でした。

反撃の狼煙と筒井城奪還

反撃の狼煙と筒井城奪還

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反撃の機会は、意外にも早くやって来ました。

筒井城を追われた翌年の永禄9(1566)年、順慶は手始めとして、まず離反した家臣を責めます。
そして、三好三人衆との結び付きを強め、一気に松永方に戦いを挑み、見事筒井城を奪い返したのでした。

久秀は三好三人衆の勢いに押され、とりあえず和睦を結ぶと、行方をくらましてしまいました。
もちろん、また出てきますよ。

実は、筒井順慶が「順慶」を名乗ったのはこの直後からなんです。
その前は「藤勝」や「藤政」と名乗っていたんですが(殺された将軍・足利義輝の旧名「義藤」の字をもらっていた)、筒井城奪還を期に、僧侶の身分も得て「順慶」と名乗るようになったんですよ。

筒井家は元々、奈良の興福寺(こうふくじ)の衆徒(しゅと/僧兵のようなもの)であり、順慶自身も信心深い人物だったようです。
でもまだこの時は18歳。
あまりにも苦労しすぎて、老成していたんだろうなと思いますよ。

またも登場・松永久秀との戦い:追いつめた!と思いきや…

またも登場・松永久秀との戦い:追いつめた!と思いきや…

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そしてこの翌年、松永久秀はまたも戻ってきます。
しかも今度は、三好家当主・三好義継(みよしよしつぐ)と連携していました。
いつの間に…!と思いますが、三好三人衆にないがしろにされるのを恐れた義継が久秀を頼ったとも言われています。

こうして、松永久秀・三好義継連合と三好三人衆・筒井順慶連合は、東大寺を戦場に戦を繰り広げることになりました。
これが「東大寺大仏殿の戦い」です。

序盤は三人衆側が優勢でしたが、久秀の奇襲により混乱が起き、そのうちに火災まで起きてしまい、大仏の頭まで焼け落ちるという悲惨な状況になってしまいました。

どうやら順慶は後方に布陣していたらしく、三人衆ほどのダメージは受けることなく、さっさと兵を引き上げています。

信心深い順慶としては、大仏の首が焼け落ちるという状況には、相当胸を痛めたんじゃないかと推察しますね。
だからさっさと帰ったんじゃないかとまで思ってしまいますよ。

その後も松永勢との小競り合いは続きますが、東大寺大仏殿の戦いの翌年、順慶と三好三人衆の連合軍は、久秀の居城・信貴山城(しぎさんじょう)を落とし、支城の多聞山城(たもんやまじょう)も攻めたて、久秀を追いつめました。

しかし、そこに割って入ってきた人物が、織田信長だったんです…!

順慶、再び城を失う

順慶、再び城を失う

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永禄11(1568)年、将軍・足利義昭(あしかがよしあき)を奉じて上洛を果たした織田信長は、もはや天下人の一歩手前まで来ていました。
その勢いはもはや天下に鳴り響いていたんです。

ここで松永久秀はすぐさま信長に恭順し、援軍を頼みます。
この変わり身の早さはさすがと言うしかありませんね。

これで、信長の次なる標的は三好三人衆となり、彼らは次々と駆逐されていきます。

同時に、久秀は信長の援軍を頼みに、またも筒井城に攻撃を仕掛けてきたんです

こうした久秀の狡猾さは、まだ20歳と若い順慶にはありませんでした。
目下、久秀との戦いにしか目が行っていなかったんですね。
そのため、家臣の中には彼を見限る者がまたも出始めたんです…。

加えて、信長に攻められた三好三人衆には、順慶に出す援軍はありません。
順慶は少ない兵で松永勢に抵抗しましたが、奮戦むなしく、筒井城は落城してしまいました。

そしてまたも、順慶は親族を頼って落ち延びて行ったんです。

同じ相手に2度も城を奪われるとは…順慶の胸の内には、「打倒・松永久秀」の炎が燃え盛っていたことでしょうね。

胸にあるのは「打倒・松永久秀」のみ

胸にあるのは「打倒・松永久秀」のみ

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親族の元に身を寄せた潜伏期間、順慶はひたすら打倒・久秀の策を講じていました。
もはや今の順慶にはそれしか見えません。
それでも仕方ないですよね、生まれた時からずっと松永久秀と戦っているようなものですから。

まずは、離反した家臣の城や松永方の城を攻め落とし、新たな城を築いてじわじわと立て直しを図っていきました。

すると、ここで将軍・足利義昭が順慶に接近してきます。
なんと養女を順慶に嫁がせるというんです。

これで幕府の支援を得た順慶に、地元の人々もバックアップを約束します。
実はけっこういい領主だったようで、慕われていたみたいですよ。

こうして盛り返した順慶は、ついに久秀を迎え撃ち、勝利をおさめて筒井城を再奪還したのでした。

それから、順慶は信長配下の明智光秀を通じて、信長に臣従します。
久秀も信長に従っていたため、両者はなんとここで和睦に至ったのでした。

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世界と日本がどのように成り立ってきたのか、歴史についてはいつになっても興味が尽きません。切っても切り離せない旅と歴史の関係を、わかりやすくご紹介していけたらと思っています。

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