小牧山城で近世城郭の始祖・織田信長の築城技術を学ぶ

信長、念願の稲葉山城を手に入れ、小牧山城を後にする

信長、念願の稲葉山城を手に入れ、小牧山城を後にする

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最後の稲葉山攻めは、かなり激しい戦闘になったようです。
斎藤龍興は身一つで何とか逃げ延び、伊勢へと落ちていきました。
城主と重臣を失った城ははだか同然。
斎藤道三自慢の強固な城は、小牧山を拠点とした武力攻勢と、内通者を引き込むという知略の双方から攻められ、落城となりました。

斎藤道三の死からおよそ10年。
美濃攻めには長い時間がかりました。

現代の発掘調査・研究によると、小牧山城は単なる戦のための山城ではなく、かなりしっかりした居住スペースが築かれていた可能性が高いのだそうです。
結果的には4年で役目を終えた小牧山城ですが、もしかしたら信長は、美濃攻めにはもっと時がかかる、と考えていたのかもしれません。

目的を達成したら即次のステップに進むのが信長流。
美濃攻めのために構築した小牧山城、美濃を手に入れた後はもう用済みです。
当時はまだ珍しかった、石積みによる石垣もかなり本格的に造らせたというのに、稲葉山城が手に入ると、信長はさっさとそちらに移動してしまいます。

1567年(永禄10年)、信長は稲葉山城を「岐阜城」と改め、居城に。
小牧城はその役目を終え、廃城となりました。

信長が去った後の小牧山城

戦うだけの城はもう古い!?城の概念を変えた小牧山城

戦うだけの城はもう古い!?城の概念を変えた小牧山城

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小牧山の標高は86m、東西約600m、南北400m、面積はおよそ21ha(6万3500坪)。
山を取り巻くように土塁や石垣、堀などが残っており、信長はこの山のほぼ全域を使って城を築いたと考えられています。
山頂には本丸、その周囲に三重の石垣が築かれ、山の中腹には至るところに曲輪が築かれて盤石の体制。
東側の麓の曲輪にはかなり広い屋敷跡らしきものが発見されていて、信長の居住用の館であった可能性が高いようです。

信長が小牧山に築いたのは城だけではありません。
山の麓は一面原野で何もありませんでしたが、信長はそこに清洲からそっくり城下町を持ってきました。
城から田畑や城下町を見渡せるようにしたものと思われます。
現在でも小牧の街中にはその当時の町割りの痕跡が見られるのだとか。
こうしたことからも、小牧山城が戦のための一時的な山城ではなく、城主が住まう居城として築かれたということがわかります。

通常、城を移転するとなると、お金もかかるし労力も必要です。
まして、もともと建っていた建物を居抜きで使用するのではなくゼロからの築城。
さらに城下の形成も行うとなると、莫大な費用がかかります。
しかしそれを信長はやってのけ、戦うだけのものではない、力を示す城造りを推し進めていくのです。







廃城~小牧山城のその後

廃城~小牧山城のその後

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小牧山城から岐阜城(もと稲葉山城)へ移った信長は、斎藤道三が築いた典型的な戦国時代の山城を、居住スペースを持つ城へと作り変えていきます。
城下町も築き、城下を見下ろせるような構造になっていたようです。
さらに岐阜城には、山頂に天守らしき建物が建っていたとみられています。
信長はこの後、琵琶湖湖畔に安土城の建設を開始。
ヤドカリのようにどんどん城をグレードアップさせていきながら、少しずつ西へと駒を進めていきます。
天下統一のため、目指すところはやはり京都だったようです。

しかし1582年(天正10年)、信長は志半ばにして本能寺の変で命を落としてしまいます。

信長が立ち去ってから廃城となっていた小牧山城は、1584年(天正12年)に起きた小牧・長久手の戦いで、羽柴秀吉と対峙する徳川家康の本陣が置かれました。
このとき家康は、信長が築いた堀や土塁を改修し、さらに強固な城へと改修を行ったと伝わっています。
家康は以前から、小牧山城に目をつけていたようです。

江戸時代に入ってからの小牧山城は、尾張徳川家の領地して管理されることに。
明治以降も尾張徳川家の所有地のままでしたが、1927年(昭和2年)に当時の徳川家当主によって国に寄付されることになり、同年、国の史跡にも指定されることとなりました。

現在の「小牧山」とは

現在の「小牧山」とは

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現在の名古屋市街地の真北、東名高速道路小牧インターからほど近い場所に、役所や学校など小牧の街中の建物に囲まれるようにぽっこりと、緑に囲まれた小高い山があります。
この山が、かつて織田信長が建てた城があったという小牧山です。
高さはそれほど高くはありませんが、周囲が平地こともあってとても目立ちます。

現在では山全体が史跡公園として一般に開放されている小牧山城。
山中には土塁、空堀、曲輪跡などがそこかしこに残っており、城跡を見ながら山道散策を楽しむことができます。
桜の名所としても有名です。

信長が小牧山城に天守を築いたかどうかについては、よくわかっていないのだそうですが、現在の小牧山の山頂には天守がそびえています。
これは名古屋の実業家平松茂氏によって昭和30年代に建てられた模擬天守であり、その形はなぜか、秀吉が築いた聚楽第の飛雲閣を模しているのだそうです。
信長や家康が建てた建物(の復元)ではないので史跡として見ることはできませんが、山頂に建つ優雅な天守もなかなか見ごたえがあります。

天守の中は歴史史料館となっていて散策を兼ねて城の歴史を知ることが可能です。
最上階は展望室になっていて、山頂から見下ろす街の風景はなかなかのもの。
平野の先にはあの稲葉山城があった山も見えます。

夜間にはライトアップをするのだそうです。

信長・美濃攻めのための潔い城、小牧山城

戦国時代のお城に関する資料などを読んでいるとつくづく、城って大事なんだなぁと気づかされます。
目まぐるしく変化する戦国時代、金がかかるからとか手間がかかるからといって、ひとつの城にしがみついているような時代ではなくなっていたのかもしれません。
それを信長は行動で示そうとした、小牧山城はその先駆けだったのです。
山を歩いてみると、黎明期とは思えないほど立派な石積みが数多く残っていて驚かされます。
緑豊かで、自然散策としても楽しめる小牧山城跡。
是非お出かけになってみてください!
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