忠臣蔵・赤穂浪士四十七士の故郷「赤穂城」をご存知ですか?

浅野内匠頭亡き後の赤穂城

浅野内匠頭亡き後の赤穂城

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元禄14年(1701年)、浅野長矩改易(現職者の任を解き新任者を補任すること)の後に赤穂城に入ったのは下野(しもつけ・現在の栃木県のあたり)を治めていた永井直敬でした。
この翌年、浅野家旧臣たちによる吉良邸討ち入りが起こります。
浪士たちには切腹の沙汰があり、赤穂に残っていた浅野家の分家にもおとがめがありますが、完全な取りつぶしにはならなかったようです。

一方の赤穂城のほうはというと、何か不備があったわけではなさそうですが、最初から一時的な城入りの予定だったのか、永井氏が4年ほどで信濃国へ移動となり、変わって備中(現在の岡山県のあたり)西江原藩第2代藩主の森長直が2万石で赤穂城入り。
以後、13代165年に渡って赤穂城の城主は森氏が代々受け継いでいくのです。

明治時代に入り、1873年(明治6年)、廃城令が発布され、時代の流れには逆らえず赤穂城は廃城に。
赤穂城は売却され、建物は次々に壊されて、城の敷地だった場所には神社や学校などに利用されていきます。

赤穂城を史跡として整備し再建する動きが出始めたのは昭和に入ってからのことです。
1971年(昭和46年)には国の史跡に指定され、本格的な整備が始まっています。

現在の赤穂城を訪ねて

赤穂城跡を歩く

赤穂城跡を歩く

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現在の赤穂城跡は、1955年(昭和30年)に復元された大手門(一部)と大手隅櫓や、平成に入ってから整備された本丸庭園や本丸門を筆頭に、現在も少しずつ整備が進められています。

江戸時代以降、平和な時代に入ってから築かれた城ではありますが、幾重にも張り巡らされた複雑な堀や石垣など、戦にも対応できる造りになっているところが特徴です。
川沿い・海沿いという地形を活かした堀の造りは、赤穂城跡内の見どころのひとつとなっています。

城の中はどのようになっているのでしょうか。

JR播州赤穂駅から続く道を進むと、まず正面に昭和30年に復元された大手門。
堀にかかる橋を渡って城内へ入ると、そこはかつて三ノ丸だったエリアで、現在は大石神社や武家屋敷跡などが並んでいます。
大手門はさほど大きくもなく、言い換えれば非常に実用的で無駄のない造りだったのかもしれません。

道なりに進むと、二ノ丸エリアがあり、その先にさらに堀と門が見えてきます。
城内に高低差はありませんが、堀が二重三重になっていて、石垣が複雑に入り組んでいて不思議な形状。
守りが厳重な城であることが伺えます。

この門をくぐると本丸エリアです。







本丸御殿と天守台

本丸御殿と天守台

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門を抜けて本丸エリアに入ると、真ん中に池が造られ、美しい庭園が広がっています。
平成に入ってから整備された庭園ですが、2002年(平成14年)には国の名勝に指定されています。

本丸は想像以上に広く、かつてここに巨大な本丸御殿が建っていました。
残念ながら廃城時に取り壊され、一時期高等学校の敷地として使われています。
1981年(昭和56年)に学校が移転した後、発掘調査が行われましたが、本丸御殿の遺構や痕跡は発見されなかったそうです。

しかし、永井家文書という史料の中に、本丸御殿の見取り図が発見されます。
それをもとに、1989年(平成元年)より、本丸内に御殿の間取りの復元作業が行われました。
現在、本丸内の案内板にその見取り図が描かれており、さらに敷地内に原寸大の間取りが再現されています。
残念ながら本丸御殿そのものが再建されているわけではないのですが、それでも間取り内を歩けば、どれほど大きな御殿があったのか容易に想像することが可能です。

本丸の先にある石垣が天守台で、高さは9mほど。
上に上がってあたりを見渡すことができるようになっています。
立派な天守台ですが、この上に天守が建てられたことは一度もないのです。
築城当時は5層天守を設ける計画があったらしいのですが、幕府の許可が下りなかったとも伝わっています。

あわせて巡りたい!赤穂城跡周辺の見どころとは

あわせて巡りたい!赤穂城跡周辺の見どころとは

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赤穂城跡の周辺にも、赤穂城や赤穂藩のことがわかる施設や史跡があります。

まず訪れたいのが、城跡のすぐそばにある「赤穂市立歴史博物館」。
「塩と義士の館」とも呼ばれている、赤穂の郷土資料を多数展示した資料館です。

「赤穂の塩」「赤穂城と城下町」「赤穂義士」「旧赤穂上水道」の4つのテーマに分かれた展示を行っており、特に赤穂城模型は見ごたえあり。
赤穂城の全体像や堀の仕組みなどがよくわかります。
お城をより理解するためなら、先にこちらを見ておいた方がよいかもしれません。

赤穂城跡とあわせて巡りたいスポットがもうひとつ。
赤穂城から少しJR駅のほうへ歩いたところにある「花岳寺」という大きなお寺にも、浅野内匠頭長矩や赤穂義士のお墓があります。
敷地の中には赤穂義士の宝物館もあり、中には大石が吉良にとどめを刺したとされる短刀など貴重な品々を展示。
また、1735年から少しずつ70年ほどかけて作られたという義士たちの木像を展示した義士木像堂も見ごたえがあります。

こちらは、元禄の大事件が起きる前から、もともと浅野家の菩提寺だったそうで、東京の泉岳寺とは特に繋がりは無いようです。
しかしどちらも同じ”岳”という字がつくところから、不思議な縁を感じさせるとして、赤穂浪士を忍ぶ観光客にも人気のあるスポットとなっています。

堀や石垣は見ごたえあり!きっとまた行きたくなる赤穂城

歩いてみると、復元された門や櫓はどれも美しく、石垣や堀もきれいに整備されていて、とにかく丁寧に作業が進められていることがわかります。
今後、もしかしたら本丸御殿の再建や模擬天守の建設などの計画が持ち上がるかもしれませんが、今のままで、訪れる人たちがそれぞれ頭の中で赤穂城を想像するだけでも、十分楽しめるような気がしました。
浅野内匠頭と赤穂浪士たちのふるさと、赤穂城。
ゆかりの場所というと東京・泉岳寺が有名ですが、赤穂城にもまたいずれ足を運んでみたいと思います。
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