東京観光で行きたい庭園8選!公園で、歴史と絶景を楽しもう

柳沢吉保が7年の歳月をかけて築いた庭園「六義園」

柳沢吉保が7年の歳月をかけて築いた庭園「六義園」

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浜離宮恩賜庭園と同様、東京都内の日本庭園として知られる「六義園(りくぎえん)」。
こちらも現在は東京都立庭園であり、もともとはとある人物の大名屋敷でありました。
とある、というのは、徳川五代将軍綱吉に仕えていた柳沢吉保。
幕府側用人という、非常に重要な役職に就いていた人物です。

場所は現在の東京都文京区本駒込。
江戸城の遥か北にあった加賀藩の下屋敷跡地を将軍綱吉から拝領し、1695年(元禄8年)、柳沢吉保は自らの下屋敷を造ります。
館の名前を六義館、庭園を六義園と名付けたのだそうです。
六義とは、中国最古の詩集と言われる『詩経』の中の中国古代詩の六分類「風・賦・比・興・雅・頌」のことを指すのだそう。
『古今和歌集』の中で紀貫之が「和歌に六義あり」と和歌の六つの基調を表す言葉としてこれを転用。
柳沢吉保は和歌に造詣が深かったそうで、そうしたところからこのような名前を付けたのだろうと考えられています。

和歌に詠まれるような美しい風景を表現したかったのか、柳沢吉保は9haにも及ぶ平坦な土地に土を盛って山を築き、水を引いて池を設け、7年もの歳月をかけて回遊式築山泉水庭園を造り上げました。
回遊式庭園とは園内を回遊して鑑賞するタイプの庭園のこと。
将軍綱吉も愛でたという美しい屋敷と庭園はその後も柳沢家の下屋敷として使われます。

明治に入ると、なんと三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が購入。
いったいいくらで購入したのか、とにかくここを別邸として使っていたというから驚きです。
1938年(昭和13年)には岩崎家から東京に寄贈されたというからさらにびっくり。
関東大震災や空襲の影響を受けず、柳沢が築いた当時の様子を今に伝える六義園は、1953年(昭和28年)、国の特別名勝地に指定されています。

岩崎家ゆかりの日本庭園「清澄庭園」

岩崎家ゆかりの日本庭園「清澄庭園」

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六義園の他にも、岩崎弥太郎が買い取った庭園が東京都内には残されています。
現在の東京都江東区にある「清澄庭園(きよすみていえん)」です。

こちらは、江戸時代元禄の頃の伝説の商人、紀伊國屋文左衛門の屋敷があったと言われている場所。
享保年間(1716~1736年)には下総関宿藩主・久世氏の下屋敷が設けられました。

この庭園も、幕末から明治に入ることにはすっかり荒廃してしまっていました。
そこを1878年(明治11年)、岩崎弥太郎が買い取ります。
いったいどうやって、いくらで買ったのか気になるところですが、その目的は、三菱社員の慰安と賓客の接待用だったそうです。
もともとの庭園に大きく手を加え、弟の岩崎弥之助の代には隅田川の水を引き込んでさらに大きく改修。
1891年(明治24年)に現在のような泉水や築山を配した「回遊式築山林泉庭園」が完成したものと見られています。

その後、関東大震災で園内の建物はほぼ消失。
しかしこのとき、この広大な庭園は災害避難所として機能し、多くの人々の命を救ったのだそうです。
岩崎家は比較的被害の少なかった庭園の東側半分を公園として東京に寄贈。
1932年(昭和7年)、清澄公園が誕生します。
1973年(昭和48年)には残りの半分の敷地を東京都が購入し、整備の後、1977年(昭和52年)に新装清澄公園が誕生します。

見どころは、庭園の敷地の半分ほどを占める大きな池と、その池の中に配置された中島が生み出す美しい風景。
とにかく水と緑のコントラストが筆舌にし難いほど優雅です。
園内そこかしこに置かれている、岩崎家が全国から集めたという名石も忘れずにチェックしてください。

水戸光圀渾身の庭園「小石川後楽園」

水戸光圀渾身の庭園「小石川後楽園」

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プロ野球読売巨人軍の本拠地でもあり、日本におけるドーム球場の草分けとして知られる東京ドーム。
そのお隣、JR飯田橋駅と水道橋駅の間という大都会東京の大動脈に沿うように、緑豊かな庭園があることをご存知でしょうか。
その名も「小石川後楽園」。
最先端技術を駆使して建てられたスタジアムのすぐお隣に、国の特別名勝に指定されている築山泉水回遊式庭園があるなんて、東京という街は本当に驚きに満ちています。

もともとは江戸時代初期、徳川御三家のひとつ水戸徳川家の江戸屋敷の中に造られた庭園でした。
水戸徳川初代藩主・徳川頼房が造らせ、その息子の光圀が改修したもの。
光圀とはあの水戸黄門の名で知られる水戸藩の第二代藩主です。

”後楽園”とは、中国・明の儒学者であった朱舜水(しゅしゅんすい)の助言によるものだそうで、明より前の時代、宋の范仲淹という人物が著した『岳陽楼記』という書物にある「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽(天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ)」から来ているのだとか。
水戸光圀は朱舜水を尊敬しており、交流があったそうで、水戸へ招いたこともあるのだそうです。

この地域は古来より、小石川台地と呼ばれる台地の先端部分にありました。
1923年(大正12年)に国の名勝に指定される際、岡山県の後楽園と区別するため”小石川後楽園”という名で登録されることに。
およそ7haという敷地の中には大きな池があり、周囲を大きな木々が覆っていてしっとりと落ち着いた雰囲気。
意外とアップダウンがあり、変化に飛んだ情景を楽しむことができます。
梅や枝垂桜、ツツジ、フジなど、植栽たちも多彩。
四季折々、訪れる人たちの心を和ませてくれます。

時代劇で有名な水戸黄門が情熱を注いで築いた庭園。
遊園地や野球観戦の前に、是非、訪ねてみてください。







東京砂漠に笑顔と潤いをもたらす日本庭園

東京オリンピックを間近に控え、海外の方々を東京観光にお招きする機会も増えてくるはず。
美しい日本庭園にご案内するだけでも喜んでいただけそうですが、そこがもともとどんな場所だったのか、知ってもらうことができたら、もっと東京のこと、好きになってもらえそうな気がします。
ショッピングに疲れたら都会の真ん中の庭園でのんびり。
東京の庭園、是非、訪れてみてください。
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