秀吉は本当に一夜で城を完成させたの?岐阜・墨俣城を訪ねてみた

豊臣秀吉の若かりし頃の戦術・武功のひとつとして語り継がれている「一夜城」。さすが秀吉!一晩で城を造ったの?ということではなく、短期間で築いたことをわかりやすく表現するために”一夜”という言葉を使ったもで、実際には一晩で造ったわけではなく、さらに姫路城みたいな巨大な城郭や天守閣を築いたわけでもなく、ここでの城とは野戦用の砦や山城のようなもののこと。なあんだ、とがっかりするなかれ、砦や山城を築くのも大仕事。秀吉が建てたと伝わる一夜城「墨俣城」を訪ねてみたいと思います。






墨俣一夜城址公園を訪ねて

模擬天守は超カッコいいけど関係ない?

模擬天守は超カッコいいけど関係ない?

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墨俣城(すのまたじょう)は岐阜県大垣市墨俣町、長良川を間近に望む一角にあります。
現在では、実際に墨俣城が建っていたと思われる場所は「墨俣一夜城址公園」として整備されていて、ソメイヨシノが植えられ桜の名所となっている他、大垣城を模したとされる四層RC造の立派な模擬天守も。
白壁と瓦屋根が美しく、石垣の石もぴっしりと隙間なく鮮やかに積まれていて、門もぴかぴか。
思わずうっとり見とれてしまうほど美しい形をしていますが、これは1991年(平成3年)に完成した近代建築。
地元の人たちの声もあって建てられたもので、墨俣城を復元したわけではなく、資料館として利用されているものです。

あまりに立派な模擬天守なので、実際に建っていた墨俣城の復元天守なのかな?と錯覚してしまう人もいるかもしれませんが、これは別物。
秀吉が墨俣城を築いたのは1566年と言われており、織田信長の家臣の中でもまだまだ下っ端だった頃です。
仮にこんな立派な天守を持つ城を短期間で建てるなどという偉業を成し遂げていたら、逆に危険視されて信長に切り殺されていたかもしれません。

秀吉が建てた墨俣城とは全く関係のない形をした模擬天守ですので、そういうつもりで眺めれば、長良川沿いにそびえ立つ天守閣は実に勇壮で素晴らしいです。
でも、お城が好きな人たちからすれば「木の柵や櫓を組んで砦っぽく造ったほうが一夜城っぽくてわかりやすかったんじゃ…」と思われるかもしれません。
とにかく、いろいろ混乱してしまいそうなほど、現在建っている模擬天守はカッコよくて素晴らしいんです。

資料館の中の墨俣城復元模型をチェックせよ!

資料館の中の墨俣城復元模型をチェックせよ!

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あまりに美しくカッコよく造りすぎてしまった感のある墨俣一夜城址公園の模擬天守。
中はどうなっているかというと、豊臣秀吉の出世街道を紹介する展示を中心とした資料館となっています。

資料館の見どころは、秀吉が築いたとされる砦のジオラマ。
当時は墨俣ではなく”洲股”という字が使われていたようで、ジオラマの名前も「洲股砦」となっています。
よく見ると、川の流れをうまく利用して堀に見立て、柵や土塁で囲み、ところどころに平屋の建物を建てて兵舎や備蓄にあてていたようです。

ここに入ってくる前に目の当たりにしてきた勇壮な模擬天守とは比較にならない”野営地”ですが、でも、考えてみれば、こうした陣地を築くのも、当時は命がけだったはず。
織田信長は尾張(愛知県)、攻めたい相手は美濃(岐阜県)にいます。
木曽川や長良川など大きな川に阻まれ、不用意に近づけば袋叩きにあう可能性大です。
長良川を渡って西側に辿り着くだけでも大変だったかもしれないのに、このような陣地を築いている間に、敵の奇襲にあうかもしれません。
もしこんな砦を、尾張からやってきてこの場所に築いたのだとしたら、やっぱり秀吉は大人物。
信長に認められ出世街道を歩み続けた理由を伺い知ることができるような、そんな気がします。
是非、資料館の中の模型、チェックしてみてください。

墨俣一夜城は伝説か?『前野家古文書』も見逃すな!

墨俣一夜城は伝説か?『前野家古文書』も見逃すな!

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資料館の中の展示は、秀吉が出世して偉くなってからの偉業を伝えるものも多く、必ずしも墨俣に関する展示というわけではないのですが、そんな中、もうひとつ注目したいのが『前野家古文書』に関するもの。
古文書のレプリカや、この文書を編纂した前野氏に関する資料などがたくさん展示されています。
そしてメインが、古文書に記載されているという当時の洲股砦の絵図面


東西南北どのように柵を配置し、建物を建てるか、砦の見取り図が野趣あふれる筆遣いで描かれています。
もちろん実物ではなく、大きく引き伸ばしてパネルにしたものですが、見る側としてはそのほうが見やすくてありがたい。
この『前野家古文書』、通称『武功夜話』が世に出たことで、それまで伝説的扱いだった一夜城の存在が、一気に現実味を帯びてきたのです。

『前野家古文書』は、愛知県の旧家・吉田家(尾張の豪族前野氏の子孫)に伝わる、一族の歴史をまとめた書物。
1959年(昭和34年)の伊勢湾台風の際に蔵から見つかったのだそうです。
『武功夜話』はその中の一部で、前野氏と関わりのあった戦国武将や、織田信長や豊臣秀吉に関する出来事についても書かれています。
この中に、資料館に展示されているような墨俣一夜城に関する記述が詳しく残されていたのです。

しかし近年の研究では、『武功夜話』が史実を記したものかどうか疑問視する声も。
墨俣一夜城は史実か逸話か、新しい発見に期待がかかるところです。







墨俣城築城の時代背景

織田信長の美濃攻めの足掛かり

織田信長の美濃攻めの足掛かり

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豊臣秀吉(当時はまだ木下藤吉郎)が墨俣城を築城したとされる1566年(永禄9年:1561年との説もあり)頃とは、どんな時代だったのでしょうか。
それにはまず、織田信長の動きを知る必要があります。

織田信長は1559年(永禄2年)、同族たちの争いを鎮め、尾張国を統一し、名実ともに尾張の国主となりました。
翌年には駿府の今川義元を桶狭間の戦いにて追い詰め、飛ぶ鳥落とす勢いで勢力を拡大。
現在の愛知県から静岡県の南の方まで攻め込んでいった信長、そのまま東を目指すのかと思いきや、次の目標を美濃(岐阜県)に定めます。
実はこれより数年前の1556年(弘治2年)、信長の奥方の濃姫の父・斎藤道三が、息子の斎藤義龍に討たれて死んでおり、信長と義龍の間に深い溝ができていました。
信長は今川義元を攻める一方で、しきりに岐阜側も牽制。
両者一進一退、信長もなかなか、斎藤氏の領域に攻め込むことができず苦しい状況が続いていたのです。
両者は幾度となく、長良川付近でぶつかり合いを繰り返していました。

墨俣(洲股)の先には、斎藤氏の居城・稲葉山城(岐阜城)があります。
標高330mの金華山の上に建つ名城です。
この城の攻略が急務ではありましたが、稲葉山城はあたりを一望できる良い場所に建っています。
攻め込むには近くに砦を築く必要がありました。

墨俣に一夜城は存在したのか?

墨俣に一夜城は存在したのか?

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この時代の出来事を知る資料としてよく用いられている、信長家臣の太田牛一による織田信長の一代記『信長公記』によれば、もともとあった洲俣要害を奪って補強し、その後洲俣を撤収した、ということは書かれていますが、そこに秀吉の名はありません。
しかも一から築いたのではなく、既に何かしら砦のようなものがあってそれを補強した、という話。
『武功夜話』に書かれていることが『信長公記』には無く、また逆もしかり。
これをどう見るべきか、様々な議論が交わされています。

よく言われている話では、織田氏の家臣・佐久間信盛がまず、織田信長から洲股に砦を築くよう命じられますが達成できず、童謡に重臣のひとり柴田勝家もトライしますが失敗。
そこへまだ下っ端で木下藤吉郎と名乗っていた後の豊臣秀吉が「私にお任せください、7日で完成させてみせます」と大きく出ます。
周囲がバカ言うな、と思う中、秀吉は美濃の軍を追い払いつつ、雨をうまく利用して、木曽川に流した材木を拾い上げて素早く組み立てるという早業を敢行。
一夜にして砦を築きあげたのです。
遠くかなたにそびえ立つ稲葉山城から、墨俣の砦は見えたのでしょうか。
もしかしたら、いつの間にか完成した砦を見て、斎藤軍は驚いたかもしれません。

と、いう話は、『武功夜話』によるもの。
その後の秀吉の活躍を見れば、さもありなんという気もしますが、残念ながら今のところ、秀吉が墨俣城築城に関わっていたのか、本当に一夜城(一晩ではなく短期間で築いたという意味で)だったのか、残念ながら解明には至っていないのです。

Writer:

歴史と歴史小説と遺跡を愛してやまない東京都在住の主婦。子供のころからの大の時代劇ファン。国内外問わず歴史小説を読むようになり、NHK人形劇「三国志」を見て中国史にはまって大学では東洋史学を専攻。愛猫とじゃれながら歴史小説を読み漁る毎日を送っている。趣味は古地図を眺めることとカメラ片手の街散策。

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