カトリック三大巡礼地として栄えた、フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」をご紹介します。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路ってこんなところ

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の住所・アクセスや営業時間など

名称 サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
住所 Route of Santiago de Compostela Spain
営業時間・開場時間 24時間
利用料金や入場料 無料
参考サイト http://whc.unesco.org/en/list/669/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のスポットページ

サンティアゴ・デ・コンポステーラとは

9世紀に現在のスペインの西の果てにある町サンディアゴ・デ・コンポステーラで、12使徒のひとり聖ヤコブの墓が発見されました。
その墓跡には聖堂が建てられ、その後聖ヤコブの崇拝が広まりスペインのサンディアゴ・デ・コンポステーラは聖地となりました。
礼拝すれば自分自身の負う全ての罪が許されると、11世紀にはエルサレムとローマと共にカトリックの三大巡礼地として栄えました。
この三大聖地の中で、筆頭の聖地はやはりエルサレムです。
なぜならここはイエス・キリストが実際に生活した場所だからです。
しかし、エルサレムという場所は遠すぎるという事で実際に訪れる人はかなり少なかったようです。
ローマはヴァチカンにあった聖人の遺骸を崇めたり、大聖堂を訪れました。
しかし、聖マイユルがイスラム軍に拘束されたりしたことで低迷しました。







フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路のはじまり

フランスでは中世にサン・ジャック(聖ヤコブを意味する)の塔を起点として、「トゥールの道」、「リモージュの道」、「ル・ピュイの道」、「トゥールーズの道」という4つの巡礼路が生まれました。
スペインの聖地を目指す巡礼路には中世さながらの村やロマネスク様式の教会があり、聖遺物を訪ねながら中世の雰囲気を満喫できます。
1998年に世界遺産に登録されています。
スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」とはベッケンとして扱われています。
巡礼路の宿場、町や村の名前などが書かれた巡礼案内書がありました。
フランス巡礼路は途中が曖昧になっています。
著書はエムリー・ピコーといわれ、中に「我々フランス人」という言葉が何度か出ていることからフランス西部出身者と思われています。
この書が本として完全な形で出版されたのは1882年のこと。
未だに謎多き書ですが、文学的にも美術史や中世の図像学の観点から重要な意味を持つものとして専門家たちも注目しています。

危険を冒しても巡礼する信仰心篤い人々

人々は自らの意思で巡礼の旅に出かけました。
一人で向かうものやグループ、徒歩や馬を使うなど様々な形で、スペインの聖地を目指しました。
自由な形で巡礼を行っていましたが、巡礼者たちはヤコブを表す帆立貝を巡礼のシンボルとして身に着けていました。

道中には盗賊や悪徳商人が出没し危険に満ちた旅でした。
大聖堂の中でさえ、より祭壇に近づこうと信者たちが争い流血沙汰が起きることもよくあったようです。
それでも、人々は何かに導かれるように、聖地を目指して巡礼の旅へと旅経ちました。

次のページでは『見所がたくさんある巡礼路』を掲載!
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