今でも中世から続く自由都市ブレーメン。マルクト広場の歴史を解説

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「ブレーメンのマルクト広場」をご紹介します。

ブレーメンのマルクト広場ってこんなところ

マルクト広場の住所・アクセスや営業時間など

名称 マルクト広場
住所 Am Markt 21, 28195 Bremen
営業時間・開場時間 24時間
利用料金や入場料 無料
参考サイト http://www.rathaus.bremen.de/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

マルクト広場のスポットページ

自由都市の象徴と「ブレーメンの音楽隊」の舞台?

ブレーメンのマルクト広場はドイツ北西部の都市ブレーメンの旧市街地の中心です。
「マルクト広場」とは英語では「Market place」、つまり市場があって街の中心をなしていた場所で、ドイツの各地に同じように「マルクト広場」があります。

中でもブレーメンのマルクト広場は、広場に面している市庁舎と騎士物語の主人公がモデルであるローラント像、ゴシック様式の聖ペトリ大聖堂など中世から続く自由都市の雰囲気がふんだんに味わえます。

また、グリム童話「ブレーメンの音楽隊」の舞台でもあり、市庁舎のそばにロバ、イヌ、ネコ、ニワトリが重なっている銅像があります。
物語では実際にはブレーメンにたどり着いていないのですが、自分たちの街の物語にしてしまっているのですね。







ハンザ同盟の中心都市として繁栄

現在もなお自由都市の空気が存分に感じられるブレーメンは、8世紀頃までに「ブレーメ」と呼ばれる民族がヴェーザー川北岸へ定住したことに都市の起源が求められます。

8世紀後半、フランク王国のカール大帝によってキリスト教の司教座都市に指定された後、11世紀にブレーメン大司教が置かれ周辺の中心都市になります。
そして1186年に神聖ローマ帝国皇帝より帝国自由都市の権限を与えられ、しだいに経済的に繁栄をし始めます。

1358年にハンザ同盟に加入すると、爆発的に政治力、経済力が増していきます。
「ハンザ同盟」とは現在の北ドイツの諸都市を中心とする経済的な同盟のことで、後には経済のみならず政治的にもヨーロッパの歴史に影響を与えていきます。

マルクト広場の市庁舎とローラント像は、その自由の象徴として建設されたものです。

ドイツ最古のワインセラー

マルクト広場の市庁舎はハンザ同盟加入後の1409年にゴシック様式で建設され、ブレーメンの繁栄のかじ取りをしてきた建物です。
17世紀にルネサンス様式で改築されました。
現在の正面ファサードに見える大きな飾り破風と窓の配置はこの時の改築によるもので、ブレーメンを中心とするヴェーザー川周辺で流行したことから「ヴェーザー・ルネサンス様式」と呼ばれています。
次のページでは『ブレーメンの自由を守る騎士像』を掲載!
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