ヨーロッパ随一の美しさを誇るオーストリア「ウイーン歴史地区」の歴史もおさらいしておこう

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「ウイーン歴史地区の歴史」をご紹介します。

ウイーン歴史地区の歴史ってこんなところ

ウイーンとオーストリアの歴史

ウイーンは紀元1~2世紀にローマ帝国の宿営地ウインドボナがあったのが始まりで、今でも紀元180年にここでなくなったマルクス・アウレリウスの名がついた通りが残っています。
1155年ハーベンベルグ家がここに都を移し、1282年にハプスブルク家の支配下に入りその領土の拡大に伴いウイーンの街に貴族文化が栄えることになりました。
しかし地理的に中央ヨーロッパにあったため、プロテスタントとカトリックの戦争に巻き込まれたり、オスマン帝国の包囲を二度も受けたり、常に厳しい戦乱の影響を受けてきました。

そして大国として複雑な民族紛争をかかえたまま、第一次世界大戦,第二次世界大戦の敗戦国になったため、民族自決の原則によりチェッコスロヴァキア、ポーランド、セルビア、クロアチア、ルーマニア、ハンガリーなど多くの国々が独立したため、今では人口850万人で面積は北海道とほぼ同じ約8万平方キロメートルの永世中立の共和国になりました。







ウイーンの発展を支えたハプスブルク家の王宮(ホーフブルク)

13世紀後半に作られ以後増改築を繰り返して600年以上王宮として使われてきたため、18の棟が複雑に入り組み2500以上の部屋があります。
この中にはハプスブルク家の集めた豪華な食器類のコレクション、皇帝や妃たちの居室や衣類、また貴重な財宝を集めた宝物館などがあります。

スイス宮と王宮礼拝堂~鮮やかな赤と黒のスイス門を入ると、13世紀末に建てられ王宮の警護に当たるスイス衛兵の宿舎であったため、スイス宮と呼ばれる建物があります。
中庭をはさんで王宮礼拝堂があり、1498年に創設されたウイーン少年合唱団と伝統あるウイーン・フィルのメンバーによるミサの演奏が行われています。

スペイン乗馬学校~1572年創設の世界で最も古い乗馬学校で、最初はスペイン種の馬を入れたことからこの名がつきました。
優雅にワルツのステップを踏む朝の調教見学が見ものです。

国立図書館プルンクザール~18世紀後半に王宮図書館として建設されたためひときわ豪華なホールがあります。

ウイーンの中心にそびえるシュテファン大寺院

この大寺院は1150年頃ロマネスク様式の寺院として建設され始め、14~16世紀にゴシック様式に改築されました。
有名な音楽家モーツァルトとウエーバーの結婚式と葬儀がとり行われたのもこの寺院です。

1359年に完成した南塔は高さ137mあり、343段の階段を通って見張り台まで登ることができます。
また、エレベーターで上がることのできる北塔には、1683年オスマン帝国軍が残していった大砲などの武器類を溶かして造った「プムメリン」という大きな鐘があります。

カタコンペ(地下墓所)~ここにはハプスブルク家の人々と歴代の司教の遺体と1679年にヨーロッパ中にペストが蔓延した時にウイーンで15万人もの人がなくなり、その時の2000人の遺体が埋葬されています。

次のページでは『人々に愛されているウイーン国立歌劇場(オペラ座)』を掲載!
次のページを読む >>

関連記事を見る

オーストリアの記事を見る

歴史的建造物の宝庫!魅惑の国オーストリアで中世へタイムトリップ
ウィーン観光ならここ!ウィーン近郊にある自然と歴史が溶け合った観光スポット
【イタリア観光】古代も中世もルネサンスも見れるイタリアへ
パプスブルク家の悲しみの皇妃!「バイエルンのバラ」と称された、最後の皇妃エリザベートの物語
西洋音楽史上で最も偉大な音楽家「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」の生涯・エピソード
初めてのウィーンを旅行するなら必見!ハプスブルク家の足跡を巡るスポット7選
しきたりも人も大嫌い!だけど絶世の美女・皇妃エリザベート
オーストリア「インスブルック」観光で是非とも見たい歴史的スポットあれこれ
「国母」として16人の子どもを生んだマリア・テレジアの歩んだ歴史
全世界に戦火が飛んだ第二次世界大戦の歴史
オーストリア観光なら次はここ!「クラーゲンフルト」で見たい絶景10選
イギリス・フランス・ロシア間の友好協力体制が出来上がった結果起こったのは、第一次世界大戦だった