プーチン大統領の故郷!歴史と風格に満ちた水の都「サンクト・ペテルブルク歴史地区」の歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光を楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はロシア「サンクト・ペテルブルク歴史地区」をご紹介します。


歴史的風格に満ちた南イタリアのような都市「サンクト・ペテルブルク」とは?

歴史的風格に満ちた南イタリアのような都市「サンクト・ペテルブルク」とは?

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帝政ロシアの首都として栄えたサンクト・ペテルブルクはロシアの中でも、最も美しい都市の一つとして有名です。
現在はモスクワに次ぐロシア第2の都市で、総面積570㎢の内10%が水という地形で「水の都」と呼ばれています。
101の島と567の橋が陸地をつなぎ、その中の19の橋が船を通過させる開閉式の橋です。

市内随一の美しさを誇るネフスキー大通りには、バロックやネオクラシック様式の建築物が立ち並び、夏の白夜の日にはネヴァ河の畔に佇む石造りの街並みが幻想的な景観を造り上げます。
かつて首都だったこの地は、モスクワに首都が遷都されるまで200年以上、政治経済、文化芸術、思想の中心地として栄えました。
ロシアのプーチン大統領が生まれ育った町としても有名です。

モスクワが「ロシアの心臓」なら、サンクト・ペテルブルクは「ロシアの頭脳」といわれ、帝政ロシアの貴族文化が花開いた都市です。
しかし、町を歩けば、本当にロシア?と思わせるバロック、クラシック様式の建物が立ち並び、まさにヨーロッパにいるような気分にさせてくれます。
歴史を刻んで造り上げたヨーロッパの大都市に引けを取らない、200年で造られた歴史的風格に満ちたサンクト・ペテルブルクの歴史に触れてみたいと思います。

サンクト・ペテルブルクが首都となるまでの歴史

サンクト・ペテルブルクが首都となるまでの歴史

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ドイツ語で「聖ペテロの町」を意味するサンクト・ペテルブルク。
別名、「ピョートル大帝の町」といわれる都市です。
約300年前は何にもない沼沢地でした。
ピョートル大帝(在位1682―1725年)が、1703年5月27日に開いた街です。

ロシア近代化の窓口としてネヴァ川河口の泥沼地を埋め立て人工的に造られました。
皇帝は首都モスクワの外国人居住区に出入りし、ヨーロッパの最先端の技術に魅せられ、「ロシアを西欧化し近代国家にする」という夢を抱いていたのです。
17世紀頃のロシアはバルト海南岸などの領土の割譲と貿易の権利を失っていました。
スウェーデンにより閉ざされていたフィリピン湾を取得しようと、大帝はスウェーデンとの戦いを企てていたのです。

1697年頃のスウェーデンは15歳のカール12世(在位1697-1718年)が即位しました。
若輩ながら「北方の獅子」と呼ばれるほど軍事力に長けていた彼に、1700年にピョートルがナルヴァを攻撃した時に敗北し命からがら逃げのびました。
その後、リヴォニアやエストニアなどを占領しています。
国内近代化を進めながら、海軍力強化によるバルト艦隊を念頭に新都を計画します。

サンクト・ペテルブルクの始まり

サンクト・ペテルブルクの始まり

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この新都の建設の地として選ばれたのが、1617年までスウェーデンに併合されていた寒村の地サンクト・ペテルブルクです。
バルト海へ通じる河口の立地を生かした西欧との交流を果たそうという彼の強い意志でした。
軟弱な湿地にあり石材や木材など建設材料もなく、かなり建設は難航しました。

農奴制で連れてこられた農民や戦争捕虜のトルコやスウェーデン人は、何万人にも及びました。
資材はエストニアから仕入れています。
1703年5月に兎島に最初の要塞が建築されました。
スウェーデン軍からバルト海への出口を守るための要塞です。
1738年に完成。
高さ12mのレンガ造りの城壁は、18世紀後半に花崗岩に造りかえられました。

ピョートル1世の活躍とサンクト・ペテルブルクの繁栄

ピョートル1世の活躍とサンクト・ペテルブルクの繁栄

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兎島全体が要塞建築で構成され、要塞内部にはペトロバヴロフスキー寺院もあります。
1704年には造船所が造られ、その周りに新しい都市を建設。
困難を極めた建設では、疫病や飢えなどにより4万人以上が犠牲になりました。
1713年には、帝政ロシアの首都がモスクワから移され正式にサンクト・ペテルブルクが首都に。
以後、「西欧に開かれた窓」といわれる、サンクト・ペテルブルクは重要な都市として発展を続けます。

1721年には、長年続いたスウェーデンとの戦いに勝利し、ロシアは北東ヨーロッパの盟主となりました。
1か月間もの間勝利の祝典が続き、ピョートル1世に「大帝」の称号が与えられ、ロシアは帝国となったのです。
1724年に大帝は52歳で死去。
亡くなる時に後継者を指名しなかったため、37年間もの間不安定期に陥りますが、この新しい首都は発展をつづけました。

ヨーロッパ有数の都市として繁栄したサンクト・ペテルブルク

ヨーロッパ有数の都市として繁栄したサンクト・ペテルブルク

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1762年に冬の宮殿が完成した年に、ピョートル3世(在位1762年1月~1762年7月)を退位させてエカチェリーナ2世(在位1762-1796年)が女帝の地位に就きました。
彼女はドイツ人でありながらロシア文化を身に着け、近衛隊やロシア正教会を味方にし、宮廷革命を流血なしに成功。
1768年と1787年の2度に渡って起こったロシア・トルコ戦争に勝利し、1783年にはクリミアを併合。
ロシアをヨーロッパ一の大国に築き上げました。
この時代がロマノフ朝の最盛期です。

1782年ピョートル大帝の即位100周年を記念しネヴァ河畔の元老院広場に馬上のピョートル像を建てました。
彼女は大帝の後継者が自分と示したようです。
1757年に大帝が建設していた「芸術アカデミー」も彼女の時代に花開かせます。
文化人たちが移り住み優れた人材を輩出したことで、貴族文化が開花した瞬間でした。
これが、サンクト・ペテルブルク随一の宮殿であり、世界屈指の大美術館エルミタージュ美術館の基礎となります。
ロシアは模範的な絶対主義君主国となりました。
1819年にはサンクト・ペテルブルク大学が創設されています。

ヨーロッパとの関わりとロシアの安定期

ヨーロッパとの関わりとロシアの安定期

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1812年にナポレオンが大軍を率いてロシアに侵入しましたが、焦士戦術と冬将軍の到来によりロシア軍が勝利。
皇帝アレクサンドル1世(在位1801-1825年)はこの勝利により、1815年のウィーン会議では彼が主役となりました。
1834年には宮殿広場にナポレオン戦争の勝利を記念して円柱を建設。

1825年頃ロシアは工業化と資本主義化が進みます。
農奴制と専制政治の廃止を目指すものによりデカブリストの乱がおこり、失敗に終わり徹底的に弾圧されます。
つかの間の安定期を迎え文学が発展し、やがて政治などにも知識人として参加するようになります。
18世紀後半にはヨーロッパを代表する文化都市のひとつになったのです。

クリミア戦争敗北からの脱出とテロによる皇帝の暗殺

クリミア戦争敗北からの脱出とテロによる皇帝の暗殺

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1853年に始まったクリミア戦争にロシアは敗北。
1856年のパリ講和条約で黒海の領地を失いました。
この敗戦から立ち直るため、アレクサンドル2世がロシアを造り変えます。
農奴解放、司法制度の確立、教育改革などを行いました。
1860年後半からは、民間企業が建設され、鉄道、製鉄、石油などの発展により大資本家が形成されます。
新聞や雑誌の創刊ブームが起き、ドフトエフスキーやトルストイ、チャイコフスキーなどロシアが誇る名作が発表されました。

1875年にはボスニア・ヘルツゴヴィナの反乱は、ロシアとトルコの戦争へと発展。
ロシア軍は勝利しましたが、イギリスなどの介入で領土拡大には失敗した形となり市民の反感を買う結果となりました。
国内でテロ思想が生まれ、皇帝暗殺を目指す「人民の意志」党が結成されました。
1881年3月にアレクサンドル2世は路上で爆弾を投げつけられて死亡。
殺害現場には現在有名観光スポットの「血の上の救世主教会」が建設されています。
19世紀後半には、港湾施設が整備されました。
これにより産業が発達し労働人口も増えたようです。

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