世界遺産になりそうでなれないミャンマーの遺跡!バガン遺跡の歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光を楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「バガン遺跡」をご紹介します。






マルコポーロも絶賛したバガン遺跡とは?

マルコポーロも絶賛したバガン遺跡とは?

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暫定リスト入りするもなかなか世界遺産に選ばれない、バガン遺跡。
1997年に一度だけ世界遺産委員会で登録が審議されましたが延長されました。
それは保護体制を改善し早急に再推薦をとの内容でした。
世界遺産委員会が認めているけど、未だに世界遺産になれないバガン遺跡の歴史について触れてみたいと思います。

バガン遺跡はミャンマー・マンダレー地方のエーヤワディー川中流域の東岸平野部一帯に位置する遺跡です。
カンボジアのアンコールワットとインドネシアのボロブドゥール遺跡と共に世界三大仏教遺跡の一つとされています。
大きいものや小さいもの、色や形が違う遺跡たちが点在しています。
寺院や仏塔の数は驚くことに3000を超えているのです。
壮大なバガンの城壁に囲まれたオールドバガンといわれる部分は考古学保護地区に指定されています。

バガン遺跡の住所・アクセスや営業時間など

名称 バガン遺跡
住所 Bagan Archaeological Zone, Bagan, Myanmar
営業時間・開場時間 現地時間7:00-16:00
利用料金や入場料 25000チャット
参考サイト https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AC%E3%83%B3
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

バガン遺跡のスポットページ

バガンの歴史のはじまり

バガンの歴史のはじまり

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多くのパゴダ(仏塔)が建てられたのは、10~14世紀のバガン王朝の時代でした。
そのバガン王朝ができたのは、832年に中国の雲南省にあった南詔がピュー族の村を攻撃し、3000人もの住民を拉致、捕虜にしました。
これがビルマ族になったといわれエーヤワディー川周辺に定住したと中国の文献に書かれていたようです。

8世紀にはピュー王朝が周辺に興りました。
彼らは城壁都市と文字を持っていましたが衰退の後、ビルマ族と同化し彼らの文化や習慣はビルマ族によって継承されました。
これにより放牧騎馬民族だったビルマ族が、農耕民族になったようです。

バガン王朝のはじまり

バガン王朝のはじまり

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850年ビルマ族がバガンを築城しピンビャ王が即位します。
874年にバガンは都となり、このバガンが主要都市と成りました。
この頃の王朝は王が変わるたびに遷都されていたため、バガンはここから1044年まで見捨てられた状態になりました。
バガン王朝のバガンとはピュー族の集落を意味し、「ピュー・ガーマ」が転訛したものと考えられています。

42代目アノーヤター王(1044-1077年)が即位し、再びバガンに目を向けたのです。
実は、1044年までは伝説を織り交ぜた状態で実在したのは、アノーヤター王からといわれています。
現存する王朝の出土品から初めて実在が確認されました。
この王は四方に軍を進め領土を広げ、バガン王朝は巨大な勢力を持ちました。

バガン王朝の繁栄期

バガン王朝の繁栄期

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1057年にはモン族の都タトォン国を滅ぼし統一王朝を築きます。
ここで仏教文化が盛んになりビルマ文化の原型が出来上がります。
この頃がこの王朝の最盛期です。
その勢力はタイ北部にまで及んでおり、カンボジアのアンコール王朝と共に同地方の2大勢力となっています。
この頃にバガン遺跡のほとんどが建てられました。

バガン遺跡は16平方マイルの敷地にあり、壮大な遺産が荒涼とした大地に点在する姿は壮観です。
また、緑の中、にょきにょきと突き出す仏塔の姿は印象に残るもので一目見ただけで「これはバガンだ!」と分かるほど強烈なもの。
そんな強烈で神秘的な街並みがバガンなのです。








バガンの仏教聖地としての歴史

バガンの仏教聖地としての歴史

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バガン王朝のアノーヤター王は、周辺の民族や国々を征服し領土を拡大していました。
この王朝が滅びるまでにいた王は55代に及ぶといわれています。
東南アジア諸国とも引けを取らないほど発展していた王朝で、王たちは自分の勢力を見せつけるかのように競って、寺院、仏塔、僧院を建設しました。
今でこそその数3000まで減っていますが、最盛期には5000以上もあったといわれています。
パゴダや寺院の数が3000でも凄いと思いますが、当時は至る所に建っていたのでしょうね!

バガンではそれまであった大乗仏教を取りやめ、上座部仏教を取り入れ国教化を進めました。
上座部仏教を取り入れたことにより、この仏教が盛んなスリランカとの交流も始まりました。
バガンがここまで仏教に精通するようになった理由は、初代王といわれるアノーヤター王が、ミャンマーの南部にあるタトォンから来たアラハンという僧侶だったからです。
そこから仏教の布教が始まったと伝わっています。

このバガンが宗教文化の国際的な中心地として発展していきました。
周辺諸国のスリランカ・インド・カンボジア・タイなどから、僧や学生が集まったようです。
13世紀後半にはモンゴル人によって滅ぼされた後も、政治からは遠ざかりましたが、仏教の聖地としては緩やかに反映し続けたといわれています。

バガン王朝の衰退と滅亡

バガン王朝の衰退と滅亡

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栄華を極めたバガン王朝は徐々に衰退し、1277年を境に87年までの10年間に4度のモンゴル軍からの攻撃を受けバガン王朝はモンゴル(元)に吸収されます。
これによりバガン王朝の政治上の実権は失われ、1364年に進出してきた上ビルマのシャン族に支配され、14世紀に下ビルマのモン族が進出し、ビルマ族のバガン王朝は終わりを迎えます。

その後の歴代君主からも放棄され、モンゴル人によって滅ぼされた街は、栄華を誇った頃の華やかさはなく政治的な地位を失ったのです。
その後、政治の中心としての地位を取り戻すことはありませんでした。

バガン遺跡の特徴

バガン遺跡の特徴

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世界にも類を見ない仏教遺跡群は荘厳で壮麗な風景を創り出しています。
パゴダや寺院にはヒンドゥー教の影響も垣間見られ、美しい装飾には心が奪われます。
また。
当時の暮らしぶりを伺える壁画なども残されており、考古学上にも貴重な存在といえます。
なぜ、ここまで完璧に近い遺跡群が未だに世界遺産にならないのか不思議で仕方ありません。
世界遺産ファンにとっては、なんだか悔しい気持ちになってきます。

ここには「三蔵」の「律蔵・経蔵・論蔵」の経典や書物なども集められています。
後に仏教における国際都市として輝いた要因の一つだといわれています。
この景色は壮麗で、かの有名なマルコポーロはこの遺跡を絶賛しています。

“当時フビライの命でこの地を訪れたマルコポーロは「金色、銀色の塔が太陽の光を受け燦然とかがやく美しさは、世界に比べるものがない」と「東方見聞録」で述べている。
”(「世界遺産を旅する」より抜粋。)

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