イスラム勢力に支配された都市、スペイン・コルドバ歴史地区の歴史を解説

ヨーロッパといえばキリスト教が主流ですが、スペイン南部はかつてイスラム勢力の支配下に入ったことがありました。他にはない特徴的な文化を生み出されました。その都市のひとつがコルドバです。「西方の宝石」と称された美しい都市をご紹介しましょう。

イスラム勢力に支配された都市

イスラム勢力に支配された都市

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スペイン南部、アンダルシア地方の都市コルドバは、南部の中心都市セビーリャから急行列車で40分ほどのところに位置した歴史ある街です。
8世紀にはイスラム勢力がここを支配し、その後キリスト教の国々によって奪回されました。
そのためにこの街には今もなおイスラム文化の名残があります。
その歴史と文化的景観が評価されて世界遺産に登録されました。

 

古代ローマ時代には属州の首都であり、ローマやローマ橋が築かれました。
今でもグアダルキビール川に架かる橋が残っています。

その後カトリックの西ゴート王国がここを支配しますが、それも711年にイスラム勢力に征服されてしまいます。
756年に後ウマイヤ朝が成立すると、コルドバは首都となりました。

後ウマイヤ朝は10世紀に全盛を迎え、300のモスク、50の図書館や学校などが整備されて多くの学者や芸術家が集まり、イスラム文化の中心となります。
当時世界最大の人口を有していたそうです。

 

しかしキリスト教国家が奪われたイベリア半島の奪還に立ち上がりました。
これがレコンキスタ(国土回復運動)で、1236年にカスティーリャ王国がコルドバを奪還します。
これによってイスラム教徒とユダヤ教徒は南下し、北アフリカへと逃げていきました。

後、1492年にグラナダが陥落し、レコンキスタが完了したのです。

イスラムとカトリックの拠り所・メスキータ

イスラムとカトリックの拠り所・メスキータ

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コルドバ歴史地区を語るうえでいちばん重要な建築物が、メスキータです。

メスキータとはスペイン語で「モスク」という意味で、スペインに現存する唯一のモスクでもあります。
とはいっても、現在はキリスト教の「コルドバの聖マリア聖堂」となっており、2つの宗教が併存する不思議な空間となっています。

 

メスキータのある場所には、元々はカトリック教会が立っていました。
後ウマイヤ朝の創始者アブド・アッラフマーン1世が改築してモスクとしたのが785年です。
人口の増加と共に増築され、10世紀には25000人を収容する大モスクとなりました。

1236年にカスティーリャ王国がこの地を征服したときは、その美しさのために破壊をやめたと言われています。
そして教会へと転用し、16世紀にはモスク中央に大聖堂を造りました。
しかし、大聖堂建築を許可したスペイン国王カルロス1世は「ありふれた建物をつくるために、唯一無二の物を壊してしまった」と嘆いたとも伝わっています。

 

周囲を壁に囲まれ、塔がそびえるメスキータは典型的なモスクの外観です。

塔はアミナールと呼ばれる54mの鐘楼ですが、かつてはモスクに見られるミナレット(小塔)にキリスト教徒が鐘と天使ラファエルの像を付け加えました。

イスラムの礼拝者が沐浴した中庭も残っており、オレンジの木が96本植えられていることから「オレンジのパティオ(中庭)」と呼ばれています。

 

メスキータにはモスクで人々が礼拝をする「礼拝の間」も残されています。
854本の円柱と、レンガと石灰石を組み合わせたストライプ模様のアーチが奥まで広がる様は圧巻です。
改築されるまでは円柱は1016本あったそうです。

奥にあるマヨール礼拝堂が、16世紀に建設されたものです。
ゴシック・ルネサンス式の礼拝堂がモスクの中央に鎮座する様子は、不思議な荘厳さを湛えています。

また、聖地メッカの方向を示す壁「キブリ」とそこにあるくぼみ「ミフラーブ」が残されています。

メスキータの内部の壁や柱は植物をモチーフとしたアラベスク模様で彩られており、繊細な装飾には思わず見入ってしまいます。

花咲き乱れる旧ユダヤ人街

コルドバ歴史地区には旧ユダヤ人街があります。
レコンキスタの際、ユダヤ人はイスラム教徒と共に南下しましたが、それはキリスト教徒がユダヤ教を認めなかったためでした。

旧ユダヤ人街には「花の小径」と呼ばれる美しい通りがあり、白壁に映える花々が人々の目を楽しませています。
家にはパティオ(中庭)が設けられていますが、これは砂漠が多い中東で、イスラム文化の影響を受けて生み出されたものです。
住民はパティオを噴水やタイル、植物で飾りました。

 

コルドバでは毎年5月に「CONCURSO POPULAR DE PATIOS(パティオ祭り)」が行われ、家々は競ってパティオを色とりどりの花で飾ります。
この時期のコルドバ歴史地区は花で溢れ、たくさんの観光客が訪れます。
ぜひ、この時期に一度行ってみたいものですね。

異国情緒に満ちた城・アルカサル

異国情緒に満ちた城・アルカサル

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グアダルキビール河畔に佇む城・アルカサルは、14世紀にアルフォンソ11世によって建てられました。
古代ローマ時代の要塞が元で、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン1世は宮殿に転用し、浴場や庭園、図書館を併設しました。

アルフォンソ11世がレコンキスタ後に居城として建て直しましたが、なおイスラムの影響を色濃く残している城です。
後にコロンブスがカトリック両王(アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ王イサベル1世)に謁見した場所としても有名です。

異端審問の場や刑務所となるなど暗い歴史もありますが、歴史を感じさせる重厚な雰囲気は健在です。

 

アルカサルにはローマ時代のモザイク画や石棺、浴場などが良い状態で保存されています。
しかし必見の場所は広大な庭園でしょう。
これはイスラム風のアラブ式庭園を呼ばれるもので、糸杉や果樹、花に溢れた花壇が池や噴水の周りに据えられています。
水は、砂漠地帯の中東の民にとっては富の象徴であったため、ふんだんに使用したそうです。







後ウマイヤ朝の創始者アブド・アッラフマーン1世

後ウマイヤ朝の創始者アブド・アッラフマーン1世

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後ウマイヤ朝を創始したアブド・アッラフマーン1世ですが、その半生は激動に満ちたものでした。

ウマイヤ朝10代カリフ(最高指導者)ヒシャームの孫として生まれた彼ですが、ウマイヤ朝は対立するアッバース朝に滅ぼされてしまいます。
ほとんどの一族がアッバース朝に惨殺される中、アブド・アッラフマーン1世は何とか脱出し、ほんのわずかな供を従えて母の故郷・モロッコへと逃亡しました。
名前を変えて変装し、途中で弟を失うなど苦しい旅だったそうです。

 

モロッコの地でウマイヤ朝再興をうかがったアブド・アッラフマーン1世は、イベリア半島へ進出します。
そこで後ウマイヤ朝を打ち立て、当時一大勢力だったヨーロッパのフランク王国を破ったのです。

彼の勇敢さは、宿敵アッバース朝のマンスールにも「クライシュの鷹」と称賛されました。
クライシュとはイスラム教の祖マホメットを輩出したエリード部族のことです。

 

コルドバを首都と定めたアブド・アッラフマーン1世は、メスキータを建設し、行政に力を入れてコルドバを世界有数の都市として繁栄させました。
名君と呼ばれた彼の裏には、死ぬより苦しい逃亡の旅を続けた日々があったのです。

いかがでしたか。

コルドバ歴史地区を訪れると、様々な宗教と文化が混在した日々があったことがわかると思います。
異文化の共存が美しい街並みを生んだコルドバで、その歴史を感じてみてはいかがでしょうか。
5月のパティオ祭りの時期は特におすすめですよ。

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