繁栄の陰に過酷な歴史…銀に翻弄されたボリビア・ポトシ市街の歴史を解説

南米の国ボリビアは、スペインの侵攻後は銀や錫の産出地として再び注目を浴び、多くのスペイン人が居住する大きな街となりました。しかしその繁栄の陰には、酷使された先住民や奴隷の過酷な実態があったのです。当時の光と影を伝えるポトシ市街についてご紹介します。

富士山よりも高い所で暮らす人々

富士山よりも高い所で暮らす人々

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世界遺産の絶景・ウユニ塩湖があることでも有名なボリビアですが、そのウユニ塩湖からバスで6時間程の標高4090mの高地に、同じく世界遺産に登録されたポトシ市街があります。
アンデス山脈の盆地にあるポトシは、エル・アルト(4150m)にその座を譲るまでは都市として世界最高点を誇っていました。
いずれにせよ、人間が住むにはかなり過酷な環境であることは間違いありません。
富士山よりも高い所に普通に住んでいるなんて、日本人の我々にはちょっと想像がつきませんね。

住民は先住民インディオの血を引く人々が多く、インカ帝国で話されていたケチュア語を話す人たちもまだ残っています。

16世紀にスペイン人が侵攻し、発見した銀山によりポトシは繁栄しました。
それを今に残す街並みが、「ポトシ市街」として世界遺産に登録されているのです。

ただ、多くの黒人奴隷を酷使した歴史があり、そうしたことを二度と繰り返さないという戒めの意味で「負の世界遺産」とも呼ばれています。

 

スペイン人に支配され、銀の一大産出地へ

スペイン人に支配され、銀の一大産出地へ

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スペイン人ピサロがインカ帝国を滅ぼし、インカ皇帝アタワルパを処刑したのが1533年のことでした。
それからも彼らは侵攻を続け、ポトシにやって来たのです。

1545年、兎を追っていた先住民が、偶然この地で鉱脈を見つけました。
それが世界最大級の銀山であることが判明し、莫大な銀を有したこの山は「セロ・リコ(富の山)」と名付けられ、メキシコのグアナフント、サカテカスと共に中南米の三大銀山のひとつとなります。
そしてスペイン人はポトシに入植し、街をつくったのです。

当時、スペインは相次ぐ戦争などで財政難に陥っており、ポトシの銀山の発見は彼らにとって朗報でした。

 

しかし、銀を発掘するのは彼らではなく、先住民たちでした。
暗く狭い坑内には事故が多く、粉塵で健康を害することもあり環境は非常に劣悪でした。
そのため、彼らは次々に倒れていったのです。

ならば、と次にスペイン人が考えたのは、アフリカ大陸から黒人奴隷を連れてくることでした。
その数は数百万人とも言われています。

あまりにも多くの人々が死んでいったため、セロ・リコは「人を喰う山」もしくは「地獄の入口」とさえ呼ばれました。

1572年に新しい銀の抽出法が発明されると、生産量は格段に上昇しました。
しかし水銀を使用したことで健康被害が増し、死者は増加の一途をたどりました。

 

とはいえ、銀がどんどん産出され、街は繁栄しました。
多くのスペイン人がやって来たこともあり、一時は20万人を超える人口を有し、ロンドンよりも多かったと言われています。

また、ポトシは高地で乾燥しているため、土地は不毛でした。
そのため食料を運ぶインフラや市街地が整備され、カトリックの教会などヨーロッパの影響を受けたコロニアル様式の建物が建設されて今の街並みになっていったのです。

ポトシの銀がもたらしたもの

ポトシの銀がもたらしたもの

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繁栄をきわめたポトシですが、資源はいつか枯渇します。
セロ・リコの銀は19世紀には枯渇し、緩やかに街は衰退に向かいました。

次に注目されたのは錫で、20世紀にはボリビアの主要輸出品となり、ポトシの経済は再び上向きになります。
しかしこれもまたもうすぐ枯渇するのではと言われており、鉱山の街の行く末がどうなるのか、まだ誰にもわかりません。

 

一方、ポトシから産出された銀はスペインにもたらされた後はどうなったのでしょう。

銀によってスペインが得た富は、実は戦争や浪費、借金返済によってすべてなくなってしまい、産業の育成など建設的なことには何も使えなかったのです。
これによりスペインは衰退に向かいます。

しかし、スペインからヨーロッパ各地に出て行った銀は、その行き先で富をもたらし、産業革命のベースとなったのでした。

ここから世界の産業が飛躍的に伸びていくわけですが、やはりその裏側に搾取された人々がいたことを忘れてはなりませんね。

ポトシ市街の見どころ

ポトシ市街の見どころ

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世界遺産となったポトシの街並みは、ヨーロッパ風の建物が立ち並ぶコロニアル様式です。
中でも、いちばんの見どころは旧国立造幣局です。

セロ・リコの銀山で採れた銀はここでスペイン銀貨に加工され、ヨーロッパへと運ばれていきました。

現在は博物館となっており、当時の銀貨の製造方法やスペイン統治の様子が紹介されています。

銀貨に刻印する方法は、初期はロバの力を用いていました。
しかしやがて蒸気機関が導入され、電気となり、産業革命が進んでいく様子も感じることができます。

 

街中に点在する教会もまた、当時の姿を残しています。
鉱山から採れた金銀箔を利用したサン・マルティン教会、1547年に建てられたポトシ最古のサン・フランシスコ教会が見事です。
また、先住民の文化を取り入れ、太陽や月、星の装飾などが特徴的なメスティソ様式のサン・ロレンソ教会やサンタ・テレサ修道院は必見ですよ。
メスティソとは、白人と先住民インディオの混血である人々を指します。

これらの教会群の華麗さは、当時のヨーロッパ世界で「ポトシのごとく豊かな」という表現を生みました。
それほどまでに、当時のポトシは威勢を誇っていたのです。







守り神にすがる鉱夫たち

守り神にすがる鉱夫たち

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鉱山の坑内には、ヒゲを生やしツノを持つやせ形の男性の像が置かれています。
彼は鉱山の守り神「ティオ」といい、坑内の安全を守ってくれると信じられています。

鉱夫たちはティオにタバコをくわえさせ、酒を備えて安全を祈ります。
就業前と終業後の挨拶を欠かすことはありません。

錫が枯渇してきているとはいえ、今でも採掘に従事している人々がいます。
しかし、年間200人ほどが崩落などに巻き込まれて亡くなっています。
昔からの無計画な掘削により、山が脆くなり内側から崩れてしまうのだそうです。

鉱夫たちの多くは13歳ごろから働き始めます。
昼食も取らずに一日中働きづめですが、時給はわずか350~400円ほどにしかならないのだそうです。
また、坑内の空気が悪いため呼吸器を病み、寿命も平均よりはるかに短いのです。
落盤の恐怖もあるため、様々なストレスによる緊張を緩和するため、鉱夫たちはコカの葉を噛みながら働いています。
時にはアルコール度数が70度にもなる強烈な酒を呷って坑内に向かうのです。

そんな彼らを、ティオは毎日見守り続けています。

いかがでしたか。

ポトシ市街には、華麗なヨーロッパ風の建物があり、先住民の文化も残っていて魅力的です。
しかし一方で、街が繁栄した銀山で過酷な労働を続けた人々の暮らしがあったことも事実です。

2つの歴史を持つポトシ、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

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