多くの国々の支配下に置かれながら美しい景観を維持…モンテネグロ・コトルの自然と文化-歴史地域の歴史

東欧の小国モンテネグロの都市コトル。アドリア海に面した美しい景観を持つこの街は、古代ローマ時代から様々な勢力の支配下にありました。そのため、旧市街には多様な文化の影響を受けた建造物が残されています。歴史ある街コトルの波乱の道のりを、今回はご紹介します。

モンテネグロとコトル

モンテネグロとコトル

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東ヨーロッパのバルカン半島に、モンテネグロという国があります。

モンテネグロとはイタリア語ヴェネツィア方言で「黒い山」という意味で、山がちな国土の6割が1000m以上の山々に覆われています。
国としての歴史は新しく、ユーゴスラヴィア紛争後にセルビア・モンテネグロから分離独立したのが2006年のことです。

そのモンテネグロの一都市がコトルです。
アドリア海に面し、入り組んだコトル湾内の際奥に位置していますが、その地形はヨーロッパで最も南のフィヨルドとも呼ばれます。
同じくアドリア海沿岸の世界遺産、クロアチアのドゥブロヴニクからはバスで約3時間の距離にあります。

湾内にできたコトルの街は、荒波の影響を受けることなく穏やかな港町となり、海運の拠点として栄えました。
スラブ諸国初の航海士学校ができたのもこのコトルです。

しかし、貿易拠点となったことで、周辺諸国による支配権争いに常にさらされることとなりました。

コトルの歴史:多くの国々の支配下に置かれた過去

コトルの街の起源は、属州の一部だった古代ローマ時代にまで遡ります。
6世紀には要塞が造られ、10世紀にはビザンツ帝国の自治都市となりました。
しかしこの後小刻みに支配者が変わり、セルビアの自由都市として約200年、約40年をヴェネツィアとハンガリーの支配下で過ごし、それから約360年間はヴェネツィアの支配下になりました。
このため、ヴェネツィアの影響が現在のコトルの旧市街には残されています。
キリスト教にしても、カトリックと正教会の両方の教会が街中に点在しており、様々な国家や文化の影響を受けてきたことがわかります。
途中、15~16世紀にかけての地震やペストの流行により街は大きな被害を受けましたが、それを切り抜けてきたからこそ現在の姿があります。
そのため、コトルは世界遺産に登録されたのです。

 

長きに渡るヴェネツィア支配は、ナポレオンによるヴェネツィアの征服で終わりを告げましたが、ナポレオン政権が倒れてからのウィーン会議により、今度はオーストリア領となりました。
1918年には旧ユーゴスラヴィアの一部となり、2006年にモンテネグロが独立するに当たって、コトルはモンテネグロの都市となったのです。

城門をくぐればそこは中世の街

城門をくぐればそこは中世の街

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コトル市街への入口は3つの城門です。

コトル湾に面した正門は別名「海の門」と呼ばれ、翼のあるライオンのレリーフが訪れる人々を待ち受けています。
これはヴェネツィアの守護聖人聖マルコのシンボルで、コトルがヴェネツィアの支配地だったことの名残でもあります。

 

正門を入ると、「武器の広場」と呼ばれる広場が広がっていますが、ここで最も有名なのが時計塔です。
塔と言ってもそこまで高いものではありませんが、1602年に造られました。
地震によりわずかに傾いているそうですが、同じ家の人がずっと守ってきたため、今でもちゃんと動いています。

塔の手前にある四角錘の柱は、「恥の柱」と呼ばれています。
かつて罪人の罪状を記した板と共に罪人を括り付けて晒した場所でした。

街には多くのヴェネツィア貴族の館が残されています。
1667年の大地震後に建設された、ピマ宮殿やナポレオン宮殿、プリンスの宮殿など、当時コトルがヴェネツィアの支配下で繁栄していたことがよくわかります。

石畳が敷かれ、石造りの中世の家々が今も立ち並ぶコトルの街は散策にもぴったりです。
小道に入ればまるで中世にタイムスリップしたかのような雰囲気ですよ。

カトリックと正教会の共存

カトリックと正教会の共存

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コトルの街は、アドリア海沿岸都市でも特に中世の街並みが残ることで知られています。
また、ローマ・カトリックとギリシア正教の両方の影響を受けた珍しい街でもあります。
それを示しているのが、街に残る教会です。

カトリックの聖トリフォン大聖堂は、12世紀に重厚なロマネスク様式で建てられたコトルの街を代表する教会です。

コトルの守護聖人トリフォンを祀っており、ファサード(建物正面)にはコトルの街の模型を抱えた黄金の聖トリフォン像が飾られています。
天蓋付きの祭壇が特徴ですが、その天蓋部分に聖トリフォンの生涯が浮き彫りにされています。
これらの装飾は、コトルの金細工の傑作と呼ばれる華麗さです。

2つの塔のうち、左の塔には聖トリフォンの生まれた年である「809」という数字が彫られ、右の塔にはそれから1200年を記念した「2009」という数字が彫られています。

聖トリフォン大聖堂と同時期に建てられた聖ルカ教会は、建設当初はカトリックの教会でしたが、17世紀に正教会に譲渡されました。
19世紀まではカトリックと正教会の両方の祭壇が置かれていたそうです。
これは現在なら考えられないことですが、文化が混在したコトルならではのことだったのでしょう。
正教会らしくイコンがたくさん飾られています。

同じく正教会の聖ニコラス教会は、建物のてっぺんにある八端十字架(ロシア十字)が目を引きます。
聖ニコラスとはサンタクロースの由来となった人物ですが、そう聞くと親しみを感じますね。

小さいながらも内部の美しい彫刻が必見なのが、カトリックの聖クララ教会です。
1288年にセルビア女王によって建設されましたが、トルコ軍の侵攻により、建物をモスクに転用されることを恐れた女王が破壊してしまいました。
新たなものは1695年に建てられています。







コトルの街を守る城壁

コトルの街を守る城壁

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コトルの街は、背後にそびえる山とそこから流れ落ちる川、そしてコトル湾という天然の要害に守られた港町でした。
それをさらに利用して造られたのが、総延長4.5㎞にも及ぶ城壁です。
市街の背後を守るようにそびえる城壁は、遠目に見ると万里の長城のようです。
幅が2~15m、高さは最大20mにもなり、人がすれ違うことも大変な場所があります。
階段の数が1500段以上もあるので、見学するには筋肉痛覚悟で臨む必要がありますね。

 

建設に数百年を要したというこの城壁は、ヴェネツィアの支配時代に完成しました。
最高点の海抜250m地点には聖ジョヴァンニ要塞の遺構があり、中腹には15世紀に建てられた聖女教会があり、聖トリフォンとダルマチアの守護聖人リコトル司教の像が祀られています。
この地点で最初の休憩という人も多いようですね。

最高点からはコトルの街やコトル湾、フィヨルド地形まで一望できます。
湾を出入りするクルーズ船の姿を見られることもありますよ。
オレンジ色の屋根の家が密集する街並みに、中世の雰囲気を色濃く感じます。

いかがでしたか。

コトル市街に加え、モンテネグロという国も私たち日本人にはあまり馴染みがないかもしれません。
しかし、アドリア海の恵みと多様な文化を受け入れてきた独特な背景を持つこの街は、だんだんと注目され始めているのです。

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