インドのタージマハルを作った皇帝が建てた歴史的建造物が並ぶ湾岸都市、パキスタンのタッタの歴史的建造物

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光を楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はパキスタンの「タッタの歴史的建造物」をご紹介します。

タッタとはどんなところ?

タッタとはどんなところ?

image by iStockphoto / 11004092

パキスタンのシンド州南部に位置するタッタは、シンド特産の釉薬タイルに彩られた美しいモスクを持つ素敵な都市。
かつて14世紀から200年間サンマ朝、アルグン朝、タルハーン朝の首都として君臨し、1592~1739年までムガール帝国の支配下に置かれた、400年の歴史を語る古都です。

パキスタンは南アジアの国家で、インダス川流域を占めるイスラム共和国。
実は世界四大文明の一つインダス文明の発祥地です。
特にタッタ近郊にあるキーンジャルという湖はとても美しいことで知られ多くの人が訪れています。
国交樹立以来日本とも友好関係を維持しています。

現在、アフガニスタンとインドの一部の国境で退避勧告、全域に渡航中止情報が出ています。
肥沃なインダス川のデルタ地帯で栄えた都市、パキスタンのタッタの歴史的建造物について、少しだけ触れてみたいと思います。
タッタは、1981年に「タッタの文化財」として町全体が世界遺産に登録されています。

シンド州タッタの首都としてのはじまり

シンド州タッタの首都としてのはじまり

image by iStockphoto / 10992106

711年にモハメッド・カシムが指揮するアラブ人が、現在のカラチ(タッタから西方90kmにあるパキスタン最大の都市)付近に上陸しました。
712年には、イスラム軍はシンド州の大部分を征服。
そこからパキスタンの低地半分を200年に渡って統治しています。
この間にパキスタンにイスラム教が根をおろし、先住民のソムルー族のイスラム改宗が起こり、ソムルー族が支配するようになります。

14世紀から低シンド地域の首都として機能しました。
1351年にタッタ最初の王朝サンマ朝が征服しました。
その後1524年にアフガニスタンのアルグン朝が征服しました。

イスラム世界最大の墓地、マークリーの丘

イスラム世界最大の墓地、マークリーの丘

image by iStockphoto / 10981722

マークリーの丘の周辺で見つかった15k㎡の巨大な墓廟には王族、聖者、学者をはじめとした100万基もの墓碑が今も残っています。
この世界最大級のイスラムの墓廟は、タッタが当時どれだけ栄えていたかを今に伝えているのです。
この墓地は、サンマ朝時代(14~16世紀)、アルグン朝時代(16世紀)、タルハーン朝時代(16世紀)とムガール帝国時代の4つのグループに分けられています。
その起源は13世紀に聖者廟が建てられたのが始まりといわれています。

1461~1509年にタッタを統治したジャーム・ニザームッディーンの廟もここにあります。
花柄や幾何学模様で飾られた墓石は壮麗です。
浮彫や青いタイルが墓石を華やかに彩っています。
その壮麗な文化を当時から築き上げていたことを体感できます。
シンドの人々は、このマックリーを神聖として現在も崇め特別な存在となっています。
ここに訪れるとどれだけの多くの人々がこのタッタのために働き、尽力を尽くしたかを感じることが出来ます。

王たちの霊廟の見どころ

王たちの霊廟の見どころ

image by iStockphoto / 10976198

マークリーの丘で最大の大きさを誇る1640年ごろに建てられたタルハーン朝の王イサハーン・タルカーン廟は、堂々たる姿を保っています。
色つきのタイルは使われておらずシンプルですが、コーランが彫られた棺や、霊廟や柱、天井の彫り物、窓の浮彫などとても壮麗です。

パキ・ベグ・ウズベク廟は王ではなく大臣の霊廟といわれています。
朽ちている箇所も多いですが、タッタ特産の青いタイルが随所に使われているのが印象的です。
この頃は、まだ絵付きのタイルは珍しいものだったようですが、初期の絵付きタイルを見ることが出来ます。

デワン・シュルファ・カーン廟に施された墓石の彫刻やターコイズ彩釉タイルで覆われたドームも見ものです。
このお墓も大臣のもの。
入口付近には絵付きのタイルが使われ、棺の美しい彫刻も見る価値ありです。
他にもちょっと離れた所にあるジャーニィ・ベッグ廟など、青く美しいタイルを所々に施された霊廟もたくさんあります。







ムガール帝国時代のタッタの様子

ムガール帝国時代のタッタの様子

image by iStockphoto / 10981829

タッタ最大の繁栄期は1592年に、モンゴル帝国の末裔といわれるムガール帝国がインダス下流域を支配したことから始まっています。
この時代は、長期安定期と呼ばれ様々な文化や産業が発展していました。
木綿産業は世界でも屈指の進んだ産業となっていたようです。

実は、世界の人々は、このインドムガール期に盛んになったインド綿を好み買い求めました。
これがイギリスで18~19世紀にかけて起こった「産業革命」の発端となったとの説もあります。
また、インダス川沿いにあり、港湾を利用した交易が盛んになり、栄華を極めました。

タッタ文化最大の興隆期に造られたジャーマー・モスク

タッタ文化最大の興隆期に造られたジャーマー・モスク

image by iStockphoto / 34423140

タッタの中心にある青いモスクはタージマハルを作ったムガール帝国5代君主シャー・ジャハーンの命により、ジャーマー・モスクを1647年から11年かけて建てました。
完成したのは、1658年の6代目君主アウラングゼーブ帝の時代でした。
このモスクは、デリーにあるジャーマー・マスジドに似ているともいわれています。

建設理由はジャー・ジャハーン帝が王子の頃、父に反抗し国を追われた彼が、シンド州に逃れた際タッタ市民に助けられたお礼として建てられました。
当時は毎週金曜日の集団礼拝に使われたモスクです。
パキスタンで最も美しいモスクといわれています。
バランスの取れた優美なモスクを見ると、さすがタージマハルを建てたシャー・ジャハーンと思わず口走っちゃいそうです。

ジャーマー・モスクの魅力

ジャーマー・モスクの魅力

image by iStockphoto / 58030502

いかにもペルシャという風景の庭園がとても魅力的です。
長方形の中庭を囲むペルシャに多く残るイーワン様式の建物で、4辺の回廊を中心に三大ドームと90もの小さなドームが建設されています。
これらのドームによって、イマームの声がモスクの隅々まで響くような工夫がされているのです。
モスクにはほとんど設置されているミナレット(小塔)がなくユニークな形をしています。
また、アーチやドームに至るまで水平に積まれたレンガが織りなす美しい線は魅力的です。

モスクの内部シンド特産の釉薬が織りなす青色のタイルがビッシリと使われた、色鮮やかなドームは「ペルシャ」と「インド」の両方が一つのモスクに取り入れられているのも特徴です。
ペルシャとインドに挟まれたパキスタンらしい建物です。
特に天井ドーム装飾は、両者の融合を強く見ることができ、建築工芸における技術力の素晴らしさを見ることができます。

次のページでは『首都として君臨したタッタの滅亡』を掲載!
次のページを読む >>

関連記事を見る

アジアの記事を見る

【タイ】パタヤ観光ならここ!グルメ・ショッピング、地元で人気のレストランも一挙に紹介
ホーチミン観光完璧ガイド!行ってわかったグルメもフォトジェも全部紹介
秀吉に「武士の鑑」と称賛された清水宗治の切腹!毛利家が惜しんだその忠義の人生
自転車で一周して決めた!台湾観光スポットランキングBEST15
戦国時代のハイスペック男子「宇喜多秀家」が八丈島で迎えた最期
世界遺産「カトマンズ」の魅力と歴史。ヒマラヤに抱かれし栄光の都
高層ビルファン必見!ニューヨーク高層建築の歴史を辿る旅
中国最大の国際都市・上海の成り立ちと歴史的スポット6選
【プーケット観光で行きたい!】タイの楽園リゾートで見られる歴史的スポット10選
インド旅行で行きたい、定番&歴史的観光スポット13選
「黄巾の乱」をざっくり把握!三国志のきっかけとなる話です
【三国志】今さら聞けない「赤壁の戦い」をざっくり把握