中国の素朴で雅な美しさをもつナシ族の都、麗江旧市街の歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光を楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は中国の「麗江旧市街」をご紹介します。


麗江旧市街地ってどんなところ?

麗江旧市街地ってどんなところ?

image by iStockphoto / 97479093

麗江旧市街は、標高5596m級の山々が連なる玉龍雪山の麓に広がる、日本の古都を思わせる街。
石畳の道と道に沿って作られた水路など素朴な中国を感じられるスポットです。
美しく巨大な泉「黒龍潭」から湧き出た水は水路を通って大水車へと送られます。
この大水車の景観は、麗江古城のパンフレットなどでよく使われる屈指の撮影スポットです。
この麗江は「中国国家歴史文化名城」の一つとされ、国家の重要景勝地にも指定されています。

美しい閑静な石畳の街並みを歩くと、迷路のようになっており世界で唯一の生きた象形文字といわれるトンパ文字が描かれた壁など歴史を感じながらの散策を楽しめます。
特に早朝の散策は、水路で野菜を洗いながら世間話に花を咲かせる民族衣装を身に着けたナシ族の姿やナシ族の建築様式で造られた木造民家など、この街特有の風情を感じられ魅力的です。

現在は商業化が進みお土産屋さんやカフェが軒を連ねる古い街並みの中にも華やかさが感じられます。
宗の時代に造られた本葺瓦屋根の伝統的住居が連なる美しい古都、麗江を旅してみませんか?

世界遺産に登録された風光明媚な麗江市

世界遺産に登録された風光明媚な麗江市

image by iStockphoto / 69391367

800年もの間戦火にさらされることがなく明の時代から続く美しい街並やナシ族の伝統文化であるトンパ文化の継承などにより、1997年に世界遺産に登録されました。
しかし、世界遺産に登録されたことで、観光地化がどんどん進んでしまったのです。
そのため、旧市街地に住んでいた人々が近代化の進んだ新市街地へ、新市街地に住んでいた商売人たちが旧市街地に住むという逆さま現象も起こりました。

中国人をはじめとする観光客は現在では世界遺産登録前の4倍になったようです。
観光収入は3億元だったのが49億元と驚くことに16倍にも膨れ上がっています。
それだけ魅力ある世界遺産だったことが再確認されたことを証明する数字かもしれませんね。
現在は世界有数の観光地となった麗江旧市街地の歴史について少しだけ触れてみたいと思います。

古い歴史をもつ麗江の始まり

古い歴史をもつ麗江の始まり

image by iStockphoto / 91300293

中国南西部の雲南省の西北地方にある麗江市は、かつて、チベット族と中国南西部を結ぶ「茶馬古道」の要所でした。
この道を歩くと立派な建物が散見され、重要な役割を果たしていたのだなと痛感します。
交易が盛んに行われ街が潤うと共にナシ族は、漢族やチベット族の文化を取り入れながらナシ族独特のトンパ文化を造り上げました。

この麗江に人が住み始めたのは新石器時代のようです。
新石器時代や青銅器時代、鉄器時代の遺跡が発見されています。
この発見により古くからこの地には人が住んでいたことが証明されたのです。
このナシ族が麗江にやってきたのは、紀元8世紀頃。
彼らは青海省近郊から海抜2416mの雲貴高原に南下し、小さな国を興したのが麗江の始まりといわれています。

水路が街全体に広がる水の都、麗江

水路が街全体に広がる水の都、麗江

image by iStockphoto / 87177209

このナシ族は自然を崇拝し、様々な民族宗教の影響を受けて発展しました。
現在も、中国唯一のナシ族の自治権であり、少数民族が漢民族よりも多い中国では珍しい地域。
ナシ族はレベルの高い文化をたくさんもっていた民族です。

中でも水路のシステムについては、特に優れていたようです。
高齢にはナシ族の宗教トンパ教の聖地としても有名な万年雪を被った玉龍雪山があります。
玉龍雪山の雪解け水が黒龍潭で湧き、その綺麗な水が街中に張り巡らされる水路に流れ込むというシステムです。
古城内には三眼井という古い井戸があります。
この井戸は3つに分けられ上部は飲料水に中部では野菜を洗い下部では洗濯をしていたようです。

中国の美しい街、麗江の旧市街地の成り立ち

中国の美しい街、麗江の旧市街地の成り立ち

image by iStockphoto / 58031926

南宋(1127-1279年)時代末期に麗江の旧市街地は造られました。
13世紀に麗江という名前が付けらたといわれています。
1368年に貧しい小作人から明王朝を起こした洪武帝(在位1368-1398年)は、雲南攻めに着手しました。
1371年に明軍が大理を征服した後、最初に支配下にくだったのがナシ族でした。

洪武帝はこの国を直接支配せず、ナシ族の族長に「木(ボク)」という名を与え、宣慰司という官職を担わせたうえで、麗江を統治させました。
この後、木の一族が、代々麗江一帯を支配しています。
実は、麗江旧市街地には城壁がありません。
ナシ族は争いを嫌い、昔からチベットや白族の文化を取り入れながらうまく立ち回ることを得意としていました。

周辺民族との良好な関係により生き残るナシ族

周辺民族との良好な関係により生き残るナシ族

image by iStockphoto / 89624427

漢民族が支配したこのころも、彼らの体制は変わりませんでした。
中央政府と良好な関係を築きながら、800年もの間麗江の自治を守り抜いています。
小さな争い事はあるものの大きな戦争に巻き込まれることがなかったのです。
うまく立ち回れる能力があるというのはある意味羨ましくもあり、賢い民族だったことが伺えます。

周りの国に敵対しないで代々滅ぼされずに生き残ることができた裏には、どれだけの苦労があったのでしょうね。
これらのことを総合して考えると、この麗江には城壁なんて必要なかった理由がわかるような気がします。
ナシ族の族長に洪武帝が「木」という名前を与えたからという説も残っています。
「木」を囲むと「困」という字になり縁起が悪いという事も起因していたようです。

麗江に繁栄をもたらせた交易

麗江に繁栄をもたらせた交易

image by iStockphoto / 97922249

麗江は雲南で採れた茶葉とチベットの馬との交易ルート(茶馬古道)の要所として繁栄しました。
別名「西南シルクロード」と呼ばれるこのルートは唐の時代から交易が行われていたようです。
西遊記などで有名な西域シルクロードより1000年も前からこのルートの交易は始まっています。
この茶馬古道の交易をナシ族が掌握し、麗江はとても裕福になりました。

この古道の最盛期は日中戦争の頃で、インドから中国へ軍事物資などを輸送する道としても使われました。
馬が使われることがなくなり車の時代が来ると残念なことにこのルートは使われることがなくなり、長年の役割を終えました。

関連記事を見る

アジアの記事を見る

秀吉に「武士の鑑」と称賛された清水宗治の切腹!毛利家が惜しんだその忠義の人生
自転車で一周して決めた!台湾観光スポットランキングBEST15
戦国時代のハイスペック男子「宇喜多秀家」が八丈島で迎えた最期
世界遺産「カトマンズ」の魅力と歴史。ヒマラヤに抱かれし栄光の都
高層ビルファン必見!ニューヨーク高層建築の歴史を辿る旅
中国最大の国際都市・上海の成り立ちと歴史的スポット6選
【プーケット観光で行きたい!】タイの楽園リゾートで見られる歴史的スポット10選
インド旅行で行きたい、定番&歴史的観光スポット13選
「黄巾の乱」をざっくり把握!三国志のきっかけとなる話です
【三国志】今さら聞けない「赤壁の戦い」をざっくり把握
一生に一度は行ってみたい!昔に栄えた古の街並みがそのまま残る「旧市街」16選
【韓国釜山2泊3日の旅】本当は教えたくない!?韓国リピーターがおすすめする定番から穴場、最新スポットまで