カナダにフランス文化が根付いた理由を紐解く…ケベック旧市街の歴史地区の歴史

カナダでは英語とフランス語が話されているということをご存知の方は多いと思いますが、どこでフランス語が使われているか、またその理由についてはいかがでしょう。

今回ご紹介するケベック旧市街の歴史地区には、そのルーツとなった歴史が色濃く残されているのです。

ケベックという名の由来について

ケベックという名の由来について

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カナダ東部に位置するケベック州は、州都をケベック・シティーに定め、カナダ国内で唯一フランス語を公用語としています。
ちなみに同じ州には州の最大都市モントリオールもあります。

ケベック・シティーへはモントリオールから飛行機で45分、トロントからは2時間弱です。

ここは北米で唯一の城郭都市として知られ、アッパー・タウンとロウワー・タウンとに分かれた歴史ある旧市街は世界遺産に登録されています。
また、フランス語が公用語であるように、フランス文化の影響を強く受けています。

ケベックという名は、先住民アルゴンキン族が「ケベック(川が狭まったところ)」と呼んだ岬にちなんでいます。
ケベック市内を流れるセントローレンス川が、ダイアモンド岬と対岸のレヴィとに挟まれて川幅が狭くなっているためでした。

フランスが大きくかかわったケベックの歴史

フランスが大きくかかわったケベックの歴史

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ケベックには先住民が住んでいましたが、その歴史が動き始めるのは16世紀頃からフランスによる入植が開始してからです。

フランスは毛皮の取引を足掛かりにこの地に根付きはじめ、最初にケベックの地で植民地創設の足掛かりを築きました。
フランスが北米に植民した地域「ヌーヴェル・フランス」を探検し開発したサミュエル・ド・シャンプランは「ヌーヴェル・フランスの父」と呼ばれ尊敬されています。

奥地へと探検を進めるに伴い、フランス人はキリスト教を普及したほか、開拓移民の定住やそれを助けるインフラの整備を行いました。

しかし同時期、イギリスも先に入植していたオランダ勢力を追い出して北米植民地を広げていたのです。
そのため、両国は衝突することとなりました。
この争いを「フレンチ・インディアン戦争」と呼びますが、この戦いは本国間の七年戦争も飛び火して激化します。

最終的にイギリスが勝利し、ヌーヴェル・フランスはイギリスへ割譲されることになりました。

この後、アメリカ独立戦争が勃発し、その余波はカナダに波及します。
アメリカの独立に反対するイギリスの王党派(ロイヤリスト)がカナダに移住してきたため、カナダは彼らが住むアッパー・カナダとフランス系のケベックなどがあるロウワー・カナダとに分かれてしまいました。

これが引き起こした内部紛争や混乱の後、1867年にはカナダ自治領が誕生します。
とはいえ、ケベックはフランス文化が強く他の州とは異質の存在でした。
そのため、今もなお分離独立の声があるのです。

歴史的建造物の宝庫:アッパー・タウン

歴史的建造物の宝庫:アッパー・タウン

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ケベック・シティーの旧市街は、丘の上にある城壁に囲まれたアッパー・タウンと、丘のふもとにありセントローレンス川の岸との間にあるロウワー・タウンに分かれています。

アッパー・タウンでかつて歴代総督の館だったシャトー・フロンテナックは、現在は古城風の高級ホテル「ル・シャトー・フロンテナック」となっています。
1893年に開業し、ホテル名はヌーヴェル・フランス総督だったフロンテナック伯爵ルイ・ド・ブアドから採られています。
ヒッチコックの映画撮影にも使われたことがあり、とても有名な建物です。

 

そのシャトー・フロンテナックの側から伸びた、セントローレンス川沿いの遊歩道がテラス・デュフランです。
大道芸人がパフォーマンスをしていたり店があったりと人々の憩いの場所でもあり、オルレアン島まで見渡せる素晴らしい散策スポットですよ。

テラス・デュフランからさらに歩を進めると、大きな星形要塞・シタデルにぶつかります。
この要塞は北米最大規模で、今でもカナダ陸軍が駐屯しています。

イギリスの脅威を防ぐため、17世紀にフロンテナック伯爵が築きました。
現在の要塞はイギリスによって完成されたものですが、その星形の形は、ヴォーバン様式というフランスの影響を強く受けています。

 

アッパー・タウンには見た目がユニークな大聖堂があります。
1647年に建てられたノートル・ダム大聖堂ですが、一般的に左右に尖塔がある聖堂とは違い、右側にだけ造られています。
内部はまばゆい金色に覆われ、祭壇にはルイ14世が贈呈したランプが飾られています。
サミュエル・ド・シャンプランやフロンテナック伯爵が眠っています。

建設以来の賑やかさを誇るロウワー・タウン

建設以来の賑やかさを誇るロウワー・タウン

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ロウワー・タウンへは「首折り」と呼ばれる急な階段か、フェニキュラーというケーブルカーで移動できます。
ちなみに階段は無料、フェニキュラーは有料です。

ロウワー・タウンには、北米最古の繁華街と言われるプチ・シャンプラン通りがあります。
カフェやギャラリー、小さなショップが軒を連ね、石畳の道が歴史情緒を感じさせます。
夕方からはライトアップされ、幻想的な光景になりますよ。

シャンプランが毛皮の交易所を開き、ケベックの基礎を築いた場所にはロワイヤル広場があります。
ここには当時の国王ルイ14世の胸像が設置され、人々を見守っているのです。

この付近は、毎年2月に開かれる世界最大級の冬の祭典「ウィンター・カーニバル」の舞台となります。
19世紀から続くこの祭典は、街中を雪の彫刻が飾り、犬ぞりレースやパレードが行われて、世界中から観光客が押し寄せます。

ロワイヤル広場にある教会は、勝利のノートル・ダム教会と言います。
1688年に創建され、1690年と1711年の英仏戦争におけるフランスの勝利をたたえたため、「勝利の」と冠されています。

教会内部の天井からつるされた船の模型が目を引きますが、これはフランス人が航海に使ったブレゼ号です。
また、祭壇が城の形をしており、これはケベックの街を表しています。







フロンテナック伯の幽霊

フロンテナック伯の幽霊

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シタデルを築き、ヌーヴェル・フランスの総督となり、没後はシャトー・フロンテナックにその名を遺したフロンテナック伯爵ルイ・ド・ブアドですが、実は今でも会えるとか。

というのも、フロンテナック伯の幽霊がシャトー・フロンテナックに現れるという話があるのです。

17世紀、ここは実際に総督の館でした。
ヨーロッパに残してきたフィアンセと結ばれることなく、1698年にここケベックで亡くなりました。
死ぬ前にもう一度フィアンセに会いたかったという思いを断ち切れない伯爵が、夜中に歩き回っていると言います。

また、他にも幽霊話があって、白のナイトガウンを着た髪の長い女性の幽霊が出没し、時には宿泊者のベッドに入って寝ているということもあるそうです。

こんな話は、ホテルのガイドツアー(要予約)でよく説明してくれるそうですよ。

いかがでしたか。

ケベック、ひいてはカナダになぜフランス文化が根付いたのか、それがわかるのがケベック旧市街の歴史地区です。
フランス文化の優雅さと植民地の逞しさや力強さが合わさった、とても魅力的な場所ですね。
カナダ旅行に行く際は、ケベックが一押しですよ。

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