純白のビーチと紺碧のラグーンが広がる天国に一番近い島!ニューカレドニアは実は暗い歴史をもつ島だった

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光を楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「ニューカレドニア」をご紹介します。

世界遺産の海をもつニューカレドニアって?

世界遺産の海をもつニューカレドニアって?

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オーストラリアの東に位置する、エスプリの香りが漂う天国に一番近い島「ニューカレドニア」。
フランスパンの形をした全長400kmの本島や周りに浮かぶ島々は、精霊が宿る神秘の森など手つかずの大自然に包まれています。
パウダーサンドのビーチやきらきらと海の中で宝石のように光る世界遺産のサンゴ礁など、小さな島にたくさんの魅力が詰まったリゾート地です。

世界最大規模を誇るラグーンは貴重性と生物の多様性から2008年に世界遺産に認定されました。
世界遺産の海でダイビングをしたり、韓国ドラマで一躍有名になったハート型のマングローブの林を見たり、時間によって変わりゆく海の景色に感動するひとときはニューカレドニアならではの魅力です。
また、近年急速に発展しプチパリと呼ばれる、首都ヌメアではオシャレな散策を楽しめます。

日本から一番近いフランス語圏!「ニューカレドニア」の歴史に触れてみたいと思います。

美しい島ニューカレドニアはこんなに昔からあった

美しい島ニューカレドニアはこんなに昔からあった

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約6億年前にロディニア大陸から分裂してできたゴンドワナ大陸から恐竜絶滅後に別れ、7千万年ほど前にオーストラリアから分かれました。
この後も地殻変動が起こり、氷河期が終わり水面の上昇により、現在のグランドテール島が誕生したとの説が残っています。
人類が住み始めたのは、5万年も前という説も。

3千年前にはオーストロネシア語族の子孫のメラネシア人が東南アジアからカヌーに乗って移住してきました。
このメラネシア人が最初との説があるようですが、メラネシア人とは違う人種が1万年前に描いた、ペトログリフ(岩石彫刻の文様)が発見され、その前に先住民族がいたと考えられています。

彼らは部落によって自給自足の生活を送り発展していきました。
有史上初めての航海をし、農業や土器作りも行っています。
この文化は古代ラピタ文化と呼ばれ、土器が発掘されています。
その後、西方からポリネシア民族が900年前に侵入しました。
彼らは地域によって別々の言語をもち、現在方言の数はナント27。
しかし、植物の葉で吹いた屋根の家に住み、タムイモやタロイモを主食とする点など共通点も数多くあるのです。

キャプテンクックにより発見されたニューカレドニア

キャプテンクックにより発見されたニューカレドニア

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イギリスの探検家ジェームズ・クック(キャプテン・クック)が、1774年に、ニュージーランドへ向かう途中に、リゾリューション号からグランドテール島を発見しました。
グランドテール島は、現在も雄大でワイルドな自然が残る癒しの島です。
この山が多く聳える景観がスコットランドに似ていると、ローマ時代の名前「カレドニア」に因みニューカレドニアと名付けました。

イル・デ・パン島も、キャプテンクックが発見。
ちょっと面白い名前にまつわるエピソードが残っています。
南洋杉の緑に縁どられた美しいラグーンに感動した彼は、この島にも名前を付けました。
南洋杉が縁どられた島にはイル・デ・パン島(松の島)?!と呼んだのです。
実際は杉の島ですが、杉を松と見間違えたので松の島と名付けました。
これは後世に残る笑い話として語り継がれています。

フランスにも発見され、2国に侵入されたニューカレドニア

フランスにも発見され、2国に侵入されたニューカレドニア

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次に訪れたのは1778年にフランス国王のルイ16世(在位1774-1792年)の命を受けた、フランスの海軍士官で探検家のラ・ペルーズでした。
彼は、今でもニューカレドニアに影響を残し、記念切手が発行されています。
このころからイギリスとフランスの材木商人がこぞってニューカレドニアに訪れました。

1840年ごろになると、イギリスのロンドン宣教協会(プロテスタント)やフランスのマリスト兄弟会(カトリック)が、布教のために訪れました。
ここから両国の植民政策が始まったのです。
また、彼らが侵入してきたことにより、カナク文化や彼らの生活習慣が荒廃しました。

1853年9月24日に、ナポレオン三世(在位1852-1870年)が派遣した提督オーギュスト・フェヴリエ・デポワントによってフランス領であることが宣言されました。
5日後にはパン島もフランスの植民地に。
1864年にはロイヤルティ諸島もフランス領となりました。
9月24日はニューカレドニアの記念日になっています。







フランスの流刑地とされたニューカレドニア

フランスの流刑地とされたニューカレドニア

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1854~1922年の間には、フランス本土で罪を犯し有罪になった罪人が、島の南西地域に送り込まれました。
1871年に起こったパリ・コミューンの内乱の時には政治犯罪者4000人がイル・デ・パン島に流されています。
流刑になった人たちは全部で約3万人とも。
政治犯から凶悪犯罪者まで、あらゆる犯罪者たちが送還されています。

このころはフランスから4ヶ月もかかってやっとたどり着くことができる島でした。
今では天国に一番近い島として美しいリゾート地になっていますが、航海には危険も伴うため、国外追放になった人たちにとっては、地獄へ続く島と思えたのではないでしょうか?

ニッケルの発見により、潤いを見せるニューカレドニア

ニッケルの発見により、潤いを見せるニューカレドニア

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1860年代になるとやっとニューカレドニアにも、栄光の日々が訪れます。
日本のお金の50円や100円玉に使われている、ニッケルが発見されたのです。
発見したのはジュール・ガルニエでした。
この功績は膨大なもので、現在では世界の4分の1を担っています。
このニッケルの採掘には、国内の労働者だけでは賄いきれませんでした。

ヨーロッパを始めアジア人など様々な国から自由意思で移住してくる人が増え、鉱山で強制労働させられる人も急増しました。
しかし、陰では先住民族のカナク人は疫病に加え、住める土地を制限され、劣悪な環境を作り出してしまいます。
これによりカナク人たちは激減してしまいました。
フランス人の統治は、アメリカのインディアン政策や南アフリカのアパルトヘイトと比べられるほど最悪なものだったのです。

第二次世界大戦による日系労働者の苦悩

第二次世界大戦による日系労働者の苦悩

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日本人もニューカレドニアに移民しました。
主に九州や沖縄方面の人々。
彼らは第二次世界大戦までの間に5581もの人が渡ったようです。
中には現地の人と結婚をして、定住した人もいます。
第二次世界大戦が日系労働者を地獄へと突き落としました。
日本軍が真珠湾攻撃をした時からです。
フランスはアメリカと連合国だったので、日本国籍を持つ人は敵となり刑務所に収容されました。

その後オーストラリアのキャンプ地に送られ、日本に強制送還されます。
これまでに築いた財産は没収され、家族とも生き別れになったのです。
家族と別れるなんてどれだけ辛く悲しいことだったでしょう。
現在もニューカレドニアには日系労働者の子孫が日本の名字を名乗り暮らしています。
この戦争ではアメリカ軍の拠点とされました。
アメリカの文化や物資が入り込んだことで、コカ・コーラなどの嗜好品も、この時島にもたらされています。

次のページでは『フランス統治からの独立戦争』を掲載!
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