ウエストミンスター宮殿とウエストミンスター大寺院及び聖マーガレット教会の歴史をやさしく解説!

ロンドン観光の際、必ずルートに入るのがビッグ・ベンだと思います。ビッグ・ベンはウエストミンスター宮殿に併設された時計塔なのですが、むしろ宮殿やその隣の大寺院にこそウエストミンスターの歴史が秘められているのです。今回はそれらを一緒にご紹介しましょう。


ウエストミンスター宮殿の歴史

ウエストミンスター宮殿の歴史

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ロンドンの中心部、テムズ川河畔に佇む世界遺産「ウエストミンスター宮殿とウエストミンスター大寺院及び聖マーガレット教会」は、イギリスの歴史とも大きな関わりがある場所です。
橋を走る2階建ての赤いロンドンバスと、背後にそびえる荘厳な建物の風景を何かで見たことのある人は少なくないはずです。
ロンドンの観光地はこの地域に密集しており、近くにバッキンガム宮殿もあります。

 

まずはウエストミンスター宮殿について見ていきましょう。

テムズ川の河畔は、古くから戦略の要衝でした。
11世紀半ばにはキリスト教の熱心な信者だったエドワード懺悔王がこの地に宮殿と修道院を建て、中世はずっとここが王の居住地となったのです。
「ウエストミンスター(Westminster)」とは「西方の修道院(West Monastery)」の省略形であると考えられてもいるそうです。

1295年にはイングランド初の議会である模範議会が開催されました。
こうした議会はほぼすべて王の宮殿内で行われたそうです。

 

しかし、1529年にウエストミンスター宮殿は大火に見舞われます。
すると翌年、ヘンリー8世はやや北東にあるホワイトホール宮殿に移ってしまいました。
そのため、ウエストミンスター宮殿は議会と裁判所として利用されていたのです。

1834年には再び大火災に襲われ、建物の大部分が焼失してしまいました。
再建に当たっては、チャールズ・バリーが基本部分、オーガスタス・ピュージンが内装などディテールを担当し、ゴシック・リバイバル建築を採用しました。

1860年にすべてが再建されたものの、1941年にはドイツ軍の爆撃を受けて一部が破壊されてしまいます。
それが修繕されてようやく形となったのは、1950年のことでした。

 

宮殿だけれど国会議事堂、ウエストミンスター宮殿

宮殿だけれど国会議事堂、ウエストミンスター宮殿

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ウエストミンスター宮殿は、現在もイギリスの国会議事堂として機能しています。
議会発祥の国の国会議事堂ということで、世界的にも非常に存在感の高い建物です。
全長は265m、部屋数は1100を超えます。

1834年の大火後に再建された宮殿は、尖塔を持つゴシック様式でした。
当時、ゴシック様式を再評価する動き(ゴシック・リバイバル)があり、古典主義を復興する新古典主義とどちらにするか議論を重ねた結果、ゴシック様式が採用されたのです。

 

ゴシック様式には尖塔が付き物ですが、それがビッグ・ベン(時計塔)とヴィクトリア・タワーです。
これを左右に置くことで建物外観のバランスを取っています。

 

ビッグ・ベンは宮殿に併設された時計塔です。
正式名はクロック・タワーと言いますが、エリザベス2世の在位60周年を記念してエリザベス・タワーに改名されました。
高さは96.3m、実はもう一方のヴィクトリア・タワーの方が高いのですが、ロンドンのシンボルとなっています。

時計の文字盤は宮殿の内装を手がけたピュージンによるもので、盤の下には「主よ、われらが女王ヴィクトリアにご加護を」とラテン語で刻まれています。

ビッグ・ベンの鐘はできてすぐにひびが入ってしまいました。
そのため修繕しましたが、このひびが鐘の音色を独特なものにしたのです。
この音は「ウエストミンスターの鐘」と呼ばれ、日本の学校のチャイムの元にもなっています。
きっと皆さん聞いたことがあるはずですよ。

イギリスの議会の初期の歴史

イギリスの議会の初期の歴史

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では、イギリスの議会の歴史について簡単にご説明しましょう。

1215年、王といえど法の下にあり権限が制限されるということを明記したマグナ・カルタが承認されました。
この後、貴族と市民代表からなる二院制の原型ができていきます。

1295年には、エドワード1世が後の議会の模範となった「模範議会」を招集ました。
しかし相次ぐ戦争で絶対王政が布かれるようになり、議会の力は弱まってしまったのです。

 

そんな中、1640年には、チャールズ1世による議会を無視した政策の強行や、それに伴う議会の分裂で混乱が起きます。
その中で、議会派のオリバー・クロムウェルが共和政の中心となります。
しかし彼は独裁化、やがて王政復古となります。

ところが、迎えられたチャールズ2世はカトリック信者で、民衆と対立しました。
そのため、議会はオランダからプロテスタントのオラニエ公ウィレムと妻メアリーを王に迎え、名誉革命を起こします。
彼らはウィリアム3世とメアリー2世となり、法の支配と議会の優位を認め、権利の章典を承認しました。
これによって、議会と国民の権利と自由が定められたのです。

 

このような歴史の中に、ウエストミンスター宮殿があったわけです。

イギリス王室と関わり深いウエストミンスター大寺院

イギリス王室と関わり深いウエストミンスター大寺院

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ウエストミンスター宮殿の隣にあるのが、ウエストミンスター大寺院です。
イングランド国教会の寺院で、「ジ・アビー(the Abbey)」と呼ばれています。
ちなみに、国教会の寺院が「abbey」、カトリックの聖堂は「cathedral」です。
近くにはウエストミンスター大聖堂がありますが、これは「大聖堂」なのでカトリックの「cathedral」です。
お間違えなく!

11世紀にエドワード懺悔王が修道院として建てたウエストミンスター大寺院は、当初は重厚なロマネスク様式の建物でした。
その後改築がなされ、13世紀にゴシック様式の最高峰の建造物に生まれ変わりました。
ゴシック風の高いアーチ型の天井は見上げるほどで、美しいステンドグラスは、ドイツ軍の爆撃から守るために疎開させていたそうです。

また、1065年のウィリアム1世の戴冠以来、ウエストミンスター大寺院は国王の戴冠式を行う場となっています。
ロイヤル・ウエディングの場にもなっていますし、故ダイアナ元妃の葬儀が行われました。

18世紀までは偉人の墓地となっていたため、床や壁に至るまで、ぎっしりと偉人たちが埋葬されています。
歴代の王・女王はもちろん、有名な政治家や文化人も眠っています。
ニュートンやダーウィン、シェイクスピアやバイロンもここにいるんですよ。

チャーチルが結婚式を挙げた教会

さて、ウエストミンスター大寺院と同じ敷地には、白亜の教会がひっそりと建っています。
これが聖マーガレット教会です。
ウエストミンスター宮殿の教区教会でもあります。

12世紀にベネディクト派の聖職者によって建てられたとされており、15~16世紀に倒壊から再建され、大幅に改築されました。

規模から見ても、ウエストミンスター宮殿や大寺院とは比べ物にならないほど小さな教会ですが、内部のステンドグラスの美しさは秀逸です。
ヘンリー7世の王子アーサーとカトリック両王(アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世)の娘カタリナの婚約を祝って造られたものや、エリザベス1世の寵臣だったウォルター・ローリー卿を記念したものもあります。
ローリーは女王の寵愛を失った後に処刑されましたが、この教会は彼が処刑された場所のすぐ隣に位置しており、彼はここに埋葬されています。

また、聖マーガレット教会は上流階級の人々の結婚式場としても使われました。
ウィンストン・チャーチルが結婚式を挙げたのもここなのです。
小さな教会ですが、歴史的にはとても意味深い場所なのですね。

いかがでしたか。

ロンドンのシンボルにして、議会政治の始まりの地でもあるウエストミンスター宮殿は、世界にとっても大切な場所だと思います。
橋の上から全景を眺めながら、ビッグ・ベンの鐘の音を聴いてみたいですね。
ロンドン観光の際はぜひ!

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