絶対王政の象徴、絢爛豪華なヴェルサイユ宮殿の歴史

ヴェルサイユ宮殿と庭園は、エッフェル塔や凱旋門と共にフランス随一の観光スポットです。「ヴェルサイユのばら」の舞台となったことでおなじみですね。年間600万人も訪れるというこの豪華絢爛な宮殿と庭園について、歴史を交えながらご説明していきたいと思います。


ヴェルサイユの宮殿と庭園の歴史

ヴェルサイユの宮殿と庭園の歴史

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宮殿は、1624年にルイ13世が狩りの時に滞在する館として建てられました。
その息子ルイ14世が大改築して現在の姿となったのですが、これにはちょっとした背景がありました。

ルイ14世の大蔵卿ニコラ・フーケが自身のヴォー・ル・ヴィコント城を建設したのですが、それが非常に美しかったのです。
それを見たルイ14世は面白くありません。
元々フーケを良く思っていなかった王は、これをきっかけにフーケを失脚させてしまいました。

その後、王はヴォー・ル・ヴィコント城を手掛けた建築家ル・ヴォー、画家ル・ブラン、造園家ル・ノートルらをそのまま招き、ヴェルサイユ宮殿の建設に当たらせました。

1682年に宮殿が完成すると、政府や宮廷がすべてここに移されます。
そしてルイ16世の時代まで王の居城となり、華麗な宮廷文化が花開くこととなりました。

この華麗な宮殿は、オーストリアのシェーンブルン宮殿、プロイセンのサンスーシ宮殿など他国の絶対王政国家にも影響を与えることになったのです。

 

宮殿と庭園の建設には、莫大な費用と人員、年月がかかりました。
それに文句を言わせなかった王の権力こそが絶対王政であり、宮殿はその象徴だったわけです。

しかしこれにより国庫が困窮し、結果的にフランス革命が起きるのです。

宮殿がどうなったのかというと、19世紀に王ルイ=フィリップの意向でフランス歴史博物館となりました。
国中から貴重な展示品が集められ、宮殿は華麗な姿を保ったまま現在に至っています。

そもそも絶対王政とは何なのか

そもそも絶対王政とは何なのか

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絶対王政とは、主に16~17世紀にかけて西ヨーロッパの国々の王が絶対的な権力を持ち専制政治を行ったことを言います。

 

中世までは、諸侯や教会などの力が強く、国内でも権力はばらばらでした。
しかしここから強大な王が現れ、中央集権化に成功したことで絶対王政が成立していくのです。

特に、ルイ14世などを輩出したフランスのブルボン朝はその典型でした。
議会を招集することなく、自分の手足となる官僚と強力な常備軍を擁して、権勢をほしいままにしたのです。
ここから、「朕は国家なり」という言葉が生まれてきたわけですね。

 

しかし、三十年戦争などの長引く戦乱が、人々の心に変化をもたらしました。
人権や市民権といった思想が生まれ、絶対王政への不信と批判が高まったのです。
そして、フランス革命や清教徒革命、名誉革命といった市民革命が起き、王政から共和政や立憲君主制へと移行していくこととなりました。

絶対王政の象徴、絢爛豪華なヴェルサイユ宮殿

絶対王政の象徴、絢爛豪華なヴェルサイユ宮殿

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まずはヴェルサイユ宮殿についてご説明します。

ルイ14世の主席建築家マンサール(前任ル・ヴォーを受け継ぐ)が設計し、ル・ブランが装飾を手がけました。
バロック建築の大傑作と言われますが、バロックとはうねりやねじれ、凹凸の強調が見られ、後のロココ建築の装飾過多な部分とは通じるものがあるそうです。
そのため、ヴェルサイユ宮殿はバロック・ロココとも言われます。

宮殿には王や王族、臣下と召使たちが生活していたので、部屋数は700を超えていました。
全長550mもあり、2つの翼棟を備えた3階建ての宮殿です。
2階に王や王妃の部屋があり、ここは見学できるようになっています。
このような部屋にはアポロンやヴィーナスなどギリシャ神にちなんだ名前が付けられていますよ。
天井や壁はすべて大理石で、金銀の装飾が豪華です。

宮殿で最も有名な場所が、中央にある鏡の間です。
儀式を行ったり外国の賓客に謁見したりする場合に使われた広間で、17の窓に対して17枚の巨大な鏡が設置され、シャンデリアや燭台の灯りで華麗な空間演出がなされていました。
1871年にドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が即位式を行ったり、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約が調印されたりした場所でもあります。

他にも、ルイ16世とマリー・アントワネットの婚礼が行われた王室礼拝堂や、今も現役で使われているオペラ劇場などがあります。

宮殿よりも力を入れて造った庭園!

宮殿よりも力を入れて造った庭園!

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ヴェルサイユ宮殿の裏側に広がる巨大な庭園も、大きな見どころです。
100万㎡のこの庭園には、宮殿建設よりも多くの人員が投入されたと言われており、ルイ14世のこだわりが随所に見られます。
「王の庭師」と呼ばれる造園家ル・ノートルが設計し、40年かけて造られました。

花壇を幾何学模様のように造り、左右対称に配置した平面幾何学式のフランス式庭園です。
泉にはギリシャ神話にちなんだ名前と彫刻が配置され、噴水が涼しげな庭園を演出しています。

また、王の散歩道と呼ばれる広い緑の芝生が敷き詰められ、グラン・カナルやプチ・カナルと呼ばれる運河まで造られました。
ここでは船を浮かべたり、冬場はスケートをしたりするそうですよ。
春から秋にかけては、水と音楽を融合させた大噴水祭が行われ、多くの観光客が詰めかけます。

宮殿から少し離れた所には、グラン・トリアノンとプチ・トリアノンという2つの離宮があります。
グラン・トリアノンはナポレオンに愛され、ゆかりの調度が今でも残されています。
一方、プチ・トリアノンはマリー・アントワネットが非常に気に入りほとんどをここで過ごしたそうです。
奥にはル・アモーという村里があり、農村風景の中で彼女と子供たちが暮らしました。
彼女の秘密の恋の相手フェルセン伯爵と会っていたという愛の殿堂も、ここにあります。

絶対君主・ルイ14世の思い入れ

絶対君主・ルイ14世の思い入れ

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ヴェルサイユの宮殿と庭園を建設するに当たっては、ルイ14世の特別な思い入れがありました。

絶対王政という絶大な権力を手にした彼は、自然ですら王の意のままになるということを示したかったのです。
そのため、水のないヴェルサイユにわざわざ10㎞先のセーヌ川から水を引かせました。
マルリーの機械という揚水機を造り、古代ローマ時代のような水道橋も造って水を運んだのです。
狩場でしかなかったヴェルサイユの丘や森を切り拓いたことで、水の事情と合わせて、王は自然をも変えられるということを示しました。

 

また、政府機能を宮殿に移転するだけでなく、貴族たちまですべて強制的に移住させました。
王が幼い頃、貴族たちによるフロンドの乱が起き、王はそれを逃れて移住しなければならなかったことがありました。
そんなことが二度と起こさせないためにも、反対に貴族たちを自分の元に移住させたのです。

 

加えて、王は民衆がヴェルサイユの宮殿と庭園に入ることを許しました。
庭園のガイドブックまで作り、民衆にお気に入りの庭の見方を教えたのです。
また、毎晩のようにお祭りを催し、民衆の心を掴みました。

いかがでしたか。

贅を尽くした豪華なヴェルサイユ宮殿と庭園には、ルイ14世の思惑が込められていたのですね。
当時の絶対王政がどれほどの力を持っていたのか、この華麗な建物が証明しています。
そんな歴史を頭にとどめて見学すると、もっと興味がわいてくるはずですよ。

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