いくつもの伝説が生まれた地!姫路城の歴史

「平成の大修理」の時に大きくクローズアップされた姫路城のことは、きっと皆さんご存知のことと思います。修理前と修理後の色合いが全然違うことにも驚きましたね。そんな姫路城の長い歴史や伝説について、今回はご紹介したいと思います。

姫路城の長い歴史

姫路城の長い歴史

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兵庫県姫路市にある姫路城は、別名「白鷺城」と呼ばれています。

この由来には諸説あり、最もポピュラーなのは、壁が白い漆喰で塗られていて白鷺が翼を広げたように見えるということからだという話ですね。

他には、姫路城が鷺山に建てられたため、白鷺がこの辺りにたくさん住んでいたため、また、黒い壁で「烏城」と呼ばれる岡山城の対比のためなどが由来として挙げられています。

 

もう一つ、姫路城は「不戦の城」とも呼ばれます。
築城以来、戦火にほぼさらされなかったので、大きな被害を受けないで現在に至っているためです。

 

姫路城の起源は南北朝時代に遡ります。

1346年、播磨国の守護大名赤松貞範が原型となった姫山城を建設しました。
その後に脚光を浴びるのは、1580年に羽柴秀吉が天守閣を造り姫路城という名前になったところからです。

1600年には、徳川家康の娘婿に当たる池田輝政が関ヶ原の戦いの功績によって姫路城を与えられました。
彼が城の大改築を始めたのです。
1617年には本多忠政が入城し、その息子忠刻には家康の孫娘千姫が嫁ぎました。
このころ城の全容が完成しています。

以降、松平氏・榊原氏・酒井氏など城主が変わりますが、1869年の版籍奉還により国有の城となりました。

2009~2015年にかけては「平成の大修理」が行われ、建造当時の白さを再現した姿となり話題を集めました。

優雅さと堅固さを両立した姫路城

優雅さと堅固さを両立した姫路城

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姫路城で最も特徴的なのは、連立式天守閣という天守です。
5重6階の大天守と3つの小天守が渡櫓で連結されており、こうした構造の城は日本で唯一なのです。
天守は江戸時代のままとなっており、日本の現存天守12か所のうちの1つとなっています。

ところで、この大きな城の高さはどれくらいなのでしょう。

姫路城は姫山という標高45.6mの山の上に建てられています。
そして石垣の高さが14.85m、建物の高さが31.5mなので、それらを合計すると、海抜92mとなります。
大天守の見晴らしは格別ですね!

 

城づくりでいちばん重要なのが、縄張りという設計・配置でした。
堀や門の配置、区画まで細かく決められていたのですが、姫路城の縄張りは上空から見るとまるで螺旋形のように見えます。
こうすることで防御線が三重となり、より強固になったのです。
こうしたつくりは、姫路城の他には江戸城しかありませんでした。

 

城を見学する上で、石垣にちょっと注目してみて下さい。
積み方が違うのは時代が違うためなのですが、石垣の中には石棺や石灯籠などが混じっているんです。
材料が足りなくてこうなったそうですよ。
また、上に行くほど勾配がきつくなる美しい曲線は「扇の勾配」と呼ばれているので、これも必見です。

 

また、城壁に丸や三角、長方形の穴が空いているのを発見すると思います。
これは、狭間という射撃用の穴で、相手を狙いやすく、相手からは狙われにくい構造となっているそうです。
丸と三角のものは鉄砲用、長方形のものは弓矢用です。

姫路城で幸せをつかんだ千姫

姫路城で幸せをつかんだ千姫

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千姫と聞いて、どんなことが思い浮かびますか?

徳川家康の孫娘である彼女は、まず豊臣秀吉の息子秀頼に嫁ぎました。
しかし大坂の陣で豊臣家は滅び、秀頼は自害してしまいます。
未亡人となった彼女は、この時わずか18歳でした。

その後、まだ若い千姫は姫路城主本多忠政の嫡男忠刻と再婚し、姫路城へと入ります。
ここでの生活は西の丸が中心だったようで、百間廊下から毎朝男山を拝んでいたそうです。
西の丸に続く化粧櫓は、彼女が輿入れする時に本多家がわざわざ造営したものでした。

 

忠刻とは美男美女のカップルとして話題となり、2人の仲は大変良かったそうです。

1男1女に恵まれましたが、その男の子はわずか3歳で病死してしまいます。
続けて夫の忠刻も病に倒れ、31歳で亡くなってしまいました。

そして、夫も息子も亡くした千姫は、思い出深い姫路城を後にしたのでした。

 

実は、千姫は豊臣秀頼の娘を育てています。
彼女が産んだ子ではありませんが、懸命に助命を願い出て受け入れられたのだそうです。
成長したその娘は天秀尼と名乗り、鎌倉の東慶寺の住持となりました。
この東慶寺は縁切り寺として有名です。

 

自分の腹を痛めていない子を育て上げるなんて、なかなかできないものです。
千姫の人柄がわかりますね。
また、家康や父秀忠に可愛がられ、弟の3代将軍家光にも慕われたそうです。
性格の良い女性だったのでしょう。

宮本武蔵と天守閣の妖怪

宮本武蔵と天守閣の妖怪

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姫路城が長い歴史を歩んでくる上で、たくさんの伝説が生まれました。

 

城の天守閣には、刑部明神を祀る刑部神社があります。
ここには宮本武蔵に関する言い伝えがあるんですよ。

1585年から木下家定が城主となっていた時代、宮本武蔵は名を変えて仕えていました。
すると、天守に妖怪が出るという噂が立ちます。
他の者たちは怖がって天守に登っていけなかったので、家老が武蔵に妖怪退治を命じました。

灯りを手に武蔵が登っていくと、いきなり轟音と炎が上から彼を襲います。
それに対して武蔵はふざけるな、退治してやるぞと一喝し、どんどん登っていきました。
途中で何度も轟音と炎の妨害がありましたが、武蔵は一切気にしなかったそうです。

やがて天守閣に辿り着くと、しんと静まり返っています。
するとふっと美しい姫がそこに現れ、刑部明神を名乗りました。
そして、武蔵に妖怪退治のお礼を言い、宝刀を授けたのだそうです。

 

また、本丸の上山里内にはお菊井戸という井戸の跡が残っています。
お菊で井戸と言えば、思い当たる方もいらっしゃるかもしれません。
お皿を数える女の声が夜な夜なするという、あの話です。
姫路城には色々とこの手の話が残っているので面白いですよ。

姫路城修復に奔走した軍人

姫路城修復に奔走した軍人

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明治維新後、版籍奉還によって国有となった姫路城には、陸軍部隊が配置されていました。
しかし彼らによっていくつかの建物は壊されてしまったのです。

その一方、城郭を保存しようという動きも出てきました。
その頃の姫路城はひどい有様で、建物は傾いて草が生え、石垣は無残に崩れていたのです。

陸軍の中村重遠工兵大佐は、当時の陸軍のトップ山縣有朋に願い出て、姫路城の修復に取り掛かりました。
しかし予算がなかなか下りず、下りたところで要求の半分にも満たなかったのだそうです。

1908年、市民有志の姫路城を保存修復しようという同盟が結成され、衆議院に陳情するという動きが起きました。
これにより、1910年に明治の大修理に取り掛かることができるようになったのです。

中村大佐の功績を記念し、姫路城菱の門の内側には顕彰碑が建てられています。
こうした人たちの陰の努力が積み重なって、現在の美しい姫路城の姿があるのだと思うと感慨深いものですね。
いかがでしたか。

私たち日本人にとってはとても誇らしい世界遺産・姫路城ですが、その成り立ちや特色を知っていると、よりいっそう見学するのに役立ちます。
ぜひ、白鷺城の姿を取り戻した城を見に行ってみてください。
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