シンデレラになった気分で訪れてみませんか?白亜の城ノイシュヴァンシュタイン城の歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光を楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「ノイシュヴァンシュタイン城」をご紹介します。

ノイシュヴァンシュタイン城ってどんな城?

ノイシュヴァンシュタイン城ってどんな城?

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ノイシュヴァンシュタイン城はドイツ南部のバイエルン州バイエルン・シュバーベン地方にあるお城です。
雄大な大自然に抱かれた山の頂に佇む古城。
ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとなったことでも知られています。
その姿は白く現在も気高さを誇り、ドイツのロマンティック街道のハイライトとして人気の観光スポットです。

お城の歴史は意外と浅く、このお城を建てたルートヴィッヒ王の生涯が色濃く残っているといわれています。
ルートヴィッヒ王は、「結婚行進曲」など数多くの名作を残した作曲家ワーグナーの世界を作ることの陶酔した人物で、最後は謎の死を遂げました。
お城の中には、ちょっと不釣り合いな人口の鍾乳洞があり、滝も設置されています。

ドイツで1、2の美しさを持つ城で、旅行誌などでも表紙に良く掲載されていることでも有名です。
今回は、ドイツの白亜の城ノイシュヴァンシュタイン城の歴史について、少しだけ触れてみたいと思います。

Schloss Neuschwansteinの住所・アクセスや営業時間など

名称 Schloss Neuschwanstein
住所 Neuschwansteinstrase 20, 87645 Schwangau, ドイツ
営業時間・開場時間 現地時間9:00-18:00(4月から9月)、10:00-16:00(10月から3月)
利用料金や入場料 12ユーロ
参考サイト http://www.neuschwanstein.de/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

Schloss Neuschwansteinのスポットページ

シンデレラになった気分で訪れてみませんか?白亜の城ノイシュヴァンシュタイン城の歴史

シンデレラになった気分で訪れてみませんか?白亜の城ノイシュヴァンシュタイン城の歴史

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白亜の美しいお城は、第4代目バイエルン国王ルートヴィッヒ2世(在位1845~1886年)によって、1869~1886年にかけて主な部分が建てられました。
この裏にはドイツ統一をひそかに狙っていた、ビスマルクが絡んでいるといわれています。
ビスマルクは、国王ルートヴィッヒ2世にノイシュヴァンシュタイン城の建設の資金提供を約束し、懐柔しました。
彼は、鉄血の政策でドイツ統一をすすめ、ドイツ帝国の宰相となった人です。

このお城の名前の意味は、「Neu(ノイ)」が新しい、「Schwan(シュヴァン)」は白鳥、「Stein(シュタイン)」は石との意味を持っています。
ルートヴィッヒ2世は、中世騎士伝説への憧れを強く抱いてきました。
それは彼が、当時人気があったヴァルトブルク城やヴェルサイユ宮殿のような、中世の美しい城を自分が作った功績として残したいと考えたからです。

ノイシュヴァンシュタイン城を作ったルートヴィッヒ2世とはどんな人?

ノイシュヴァンシュタイン城を作ったルートヴィッヒ2世とはどんな人?

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ルートヴィッヒ2世は、とてもロマンティストだったといわれています。
中世の騎士伝説に魅了され、国の経済を圧迫させた、「狂王」として悪名高き王です。
実は彼、とってもハンサムで、多くの画家がこぞって絵を書いたので色々な肖像画が残されています。
晩年は大分変化したようですが…。

彼が作曲家ワーグナーのパトロンだったという話は有名です。
幼いころから彼はワーグナーに憧れていました。
イタリアのオペラが主流だった、ドイツのロマンティック・オペラに多大な影響力を与えていたワーグナーの「ローエングリン」という作品を15歳の時に見てえらく感動したことからだそうです。
この3年後に父の病死により18歳でバイエルン王として即位しました。

ワーグナーを心から尊敬していた、王はワーグナーが浪費して背負った借金を肩代わりし、破格の年金を与えた上に高級住宅街に豪邸を建て、最後には音楽院まで作りました。
もちろん、ワーグナーの作品の舞台も作ってやったことも多々あったのです。
当時「過激な革命家」というイメージがあったワーグナーのチャンスを王の側近を始め民主たちもが快く思わず、1865年12月に一年間ミュンヘンから追放しました。

どこか変?どこがおかしい?ノイシュヴァンシュタイン城

どこか変?どこがおかしい?ノイシュヴァンシュタイン城

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お城のデザインを任されたのは、本業でお城を作る人ではなかったのです。
実は、王が信頼し、舞台装置や美術を担当していた、建設画家クリスチャン・ヤンクに任せました。
その為か、このノイシュヴァンシュタイン城には、伝統的なドイツのお城には必ずあるといわれるものが作られていません。
小聖堂やお墓がなく、王が一番気にする玉座も後回しにしていたのです。

ビックリなことに、ドイツの伝統よりも優先したのは先ほど説明した、ヴィーナスの洞窟でした。
だからとっても住みにくい、王の趣味だけが目立つ城となっています。
どうして彼がこんな全く意味不明のデザイン重視のお城を作ったかといえば、実は孤独で悲しい運命を持つ“王の現実逃避願望”という意味があったようです。








ハイテク技術を駆使した城、ノイシュヴァンシュタイン城の成り立ち

ハイテク技術を駆使した城、ノイシュヴァンシュタイン城の成り立ち

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この城が建つ前には実は、「前ホーエンジュバンガウ」と「裏ホーエンジュバンガウ」という城址があったといわれています。
1868年7月にこの2つは壊されました。
その跡地には建設現場までに続く道と水道が整備されたのです。
現在人は水道なんかって思うかもしれませんが、建設当時山の頂まで道を作るだけでも一苦労なのに水道まで作るなんて超ハイテクって思いませんか?

それだけではありません。
セントラルヒーティング、水洗トイレ、電話、エレベーターなども付けられていたのです。
住みにくい城?全然そんなことはありません。
ビックリするほど豪華な設備で一杯。
実は快適に住める最新技術がお城中に備わっていたのです。
1873年には城門館、1883年には本館。
1884年は4階に作られた王の住居部分も完成しました。

便利で住みやすいノイシュヴァンシュタイン城の完成後

便利で住みやすいノイシュヴァンシュタイン城の完成後

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1886年にやっと住めるようになりました。
この城が気に入った王は、首都ミュンヘンに戻らず、この城に住みついてしまいました。
とにかく豪華絢爛という言葉が似合うこのお城は、外観はロマネスクとビザンチン様式。
内部は主に後期ゴシック様式で造られています。
玉座の間の吹き抜けで作られている黄金ホールはヴェネチアのサン・マルコ聖堂を参考に作り、ビザンチン様式で建てられました。
悲しいことに、玉座より洞窟を先に作ったことで、カララ大理石で作られた階段の上には未だに玉座がありません。

館内の家具や調度品もとっても豪華なものです。
城内にはオペラ「パルジファル」の一説や北部地方のジークルト伝説のいい場面などが描かれた壁画を至る所で見ることができます。
これらは全て、王の趣味によるものです。
ネオ・ゴシック様式の礼拝堂や、王が好きだった青で装飾された寝室、鍾乳洞の先にある居間、王の生前には使われることがなかった歌人の間なども見る価値ありです。

王の死とノイシュヴァンシュタイン城の建設中断

王の死とノイシュヴァンシュタイン城の建設中断

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王は、この城以外にもリンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城を建設し、更に新しい城を作る計画をしていました。
でもそれもここまで。
ノイシュヴァンシュタイン城に住んでから102日目にとうとうベルク城に軟禁されてしまったのです。
その理由はもう言わなくてもお分かりのはず。
お金の使いすぎです。
この城たちを作るために使われたお金は、ドイツ統一を目指したビスマルクからの資金と王室費から支出されました。
バイエルン政府の国庫とは別でしたが、1866年の普墺戦争で敗戦した賠償金や王室公債などを発行し実際は借金だらけでした。

国民からの信頼も全く失った、バイエルン政府は王を軟禁せざるを得なかったのです。
軟禁理由をお金の使い過ぎに出来るはずもなく、王は精神病という汚名を着せられました。
バイエルン首相ヨハン・フォン・ルッツを始め政府は、医師に精神病と認定させ禁治産者に。
彼はこの後、シュタルンベルク湖畔を主治医と散歩の途中に謎の水死を遂げてしまいます。
1886年6月13日に、王の死により城の工事はすべて中止となりました。

次のページでは『王の死後のノイシュヴァンシュタイン城』を掲載!
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