古代のシェルター?アナトリアの大地が作った神秘の世界、カッパドキアの地中に眠る古代都市の謎

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「カッパドキアの謎に迫る」をご紹介します。

ユニークで不思議な世界!カッパドキアってどんなところ?

ユニークで不思議な世界!カッパドキアってどんなところ?

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思わず吹き出しそうなユニークな奇岩群が広がるカッパドキア。
ここに奇岩地帯が出来たのは、数億年前のこと。
エルジエス山の噴火により、火山灰と溶岩が数百メートルずつ堆積して柔らかなスポンジ岩と溶岩の硬い岩が乱立する、奇観を創り出したのです。
これが全て自然の力が造り上げた奇跡と思うと、感動もひとしお。
トルコ最大の観光地となるのもうなずけますね。
この奇妙だけど絶景といわざるを得ない景観は、ギョレメ国立公園とカッパドキアという名前で世界遺産に登録されています。

雄大なカッパドキアの景色を気球に乗って上空から眺めたり、4輪バギーや乗馬で奇岩を巡ったりするアクティビティを満喫できるなんてとっても素敵ですね!美しいフレスコ画を見学できることで有名なギョレメ屋外博物館の周辺にある渓谷をトレッキングするのも人気のようですよ!今回は絶景の世界遺産の地下に存在した地下都市の謎に迫ってみたいと思います。
アリの巣のように地下へと伸びる地下都市の魅力にちょっとだけ触れてみませんか?

地下に眠る古代人のシェルター?カッパドキアの地下都市とは?

地下に眠る古代人のシェルター?カッパドキアの地下都市とは?

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自然の作った神秘の世界だけがカッパドキアの魅力ではありません。
実は、古代人が造った謎が地中深くに眠っているのです。
それが、カッパドキアの地下都市です。
21世紀を優に超えた現在でもまだ、詳しいことは何も判明せず謎に包まれたままで、現在もさまざまな憶測を呼んでいます。

紀元前400年ごろの記録には既に町のようすが記録されているほど歴史は古いようです。
その発祥はアラブ人から逃れたキリスト教の信者が住んだといわれる説を始め宇宙人が作ったものだという説まで、色々な説が論議されています。
現在はデリンクユとカイマクル、ウズコナクなどの地下都市を見学することも可能です。
デリンクユは4万人、カイマルクは2万人もの人々が暮らしていたといわれており、それぞれ、地下8階と地下5階までが公開されています。
カッパドキアの地下都市は、現地語で地下都市を意味する「イェラルトウ・シェヒル」と呼ばれています。

カッパドキア地下都市の発見と調査

カッパドキア地下都市の発見と調査

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このカッパドキアの地下都市が見つかったのは、1963年にトルコのネヴシェヒル在住の、オメル・デミル氏によって偶然発見されました。
村はずれの小高い丘の一角が、口をぽっかり開けたような姿を現したとか。
ランプをかざして中に入ったもののあまりにも奥深くにまで続いており最後までは辿り着けませんでした。

1965年からは考古学上の本格的な調査が行われました。
これ以降、地下トンネルと部屋が次々と発見されていますが、全容は未解明のままです。
この巨大洞窟には相当な人口があったようで、非難していたなど一時的に住んだのではなく、恒久都市として人が暮らしていたようです。
きちんと暮らせるような機能を備え、さまざまな工夫が凝らされていることも垣間見られることから学者たちの謎はますます深まっています。

巨大な地下都市の驚くべき構造

巨大な地下都市の驚くべき構造

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デリンクユとは深い井戸という意味を持ち、下部層には多数の井戸が発見されています。
この地下都市の広さは約4平方キロメートルあり、トンネルの長さはナント30キロメートル以上。
地下16階まであることも現在までに確認されています。
各階層には階段と傾斜した通路が備わっており通路によって繋がっていました。
空気を取り入れる52本の通気口は150メートル近くまで掘り抜かれており各階へ通じていたのです。
煙を通気孔に送るベンチレーションやトイレなども備わっています。

礼拝堂や学校の教室、寝室に共同の炊事場などもあり、驚くことに外部との出入り口には滑車式のエレベーターまで作られていました。
それだけでなく、敵から襲われた時のことを想定し完璧な防御施設も整っています。
通気孔の上には見張り台があり、敵が接近すると松明を落として各階に知らせるように造られていたのです。
通路は迷路のように入り組み、高さも低く作られ、かがんでやっと人一人が通れるほどのものでした。
通路の出入り口は直径約1.5メートル、厚さ30センチの丸い扉でふさげるようになっているのです。







機能的に作られた地下要塞

機能的に作られた地下要塞

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説明した丸い扉の上には外部に向かって小さな部屋が作られ、扉まで来た敵を丸い穴に落とし槍で攻撃できるよう作られていたのです。
これを見ると、まるで要塞のように感じませんか?また、電話のような機能を果たす丸い小さな穴があり、敵が侵入し扉を閉めても緊急の連絡が取れるよう工夫したようです。
全てが実用的で機能的に造られており、これを造った民族は能力の高かったこともうかがえます。

また、爆薬や毒ガスなどの兵器が利用できるようなシステムともいえる軍事要塞のような機能もありました。
このことからこの地下都市は、ネットワーク機能が進んだ地下要塞としての役割を果たしていたことが分かってきます。

こんな地下都市を誰が作ったの?

こんな地下都市を誰が作ったの?

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初めにお話ししたように、キリスト教の迫害を逃れたものが作ったとの説や古代ローマの共同墓地だったという説、異星人により作られたものという説まで、色々な説がささやかれています。

キリスト教説は4世紀ごろローマ帝国に迫害された初期のキリスト教修道士がこの地に逃れ、ローマ帝国でキリスト教が公認されると修道僧たちの修業の場となりました。
8世紀にはセルジューク・トルコの支配下にくだることとなり、彼らは地下に住む場所を求めたという説です。
ギョレメ谷周辺には30以上の岩窟教会があることからもこのことがうなずけますね。
また、彼らが地下都市を造った張本人なら、岩窟教会に残る美しく色鮮やかなフレスコ画を残したという高度な技術を持っていたというのも納得です。

しかし、なぜ、岩窟に素敵なフレスコ画を残しているのに地下都市には描かなかったのだろう?彼らだけでこれだけ大規模な地下都市を造れたかといわれれば…。
だってこの地下都市には100万人が収容できると推定されているんですもの。
彼らにそんな大きな都市が必要だったのかなぁ?もう一つ腑に落ちないのが、要塞としての機能は備わっているものの、人が生活していた形跡が確認できてないのです。
普通、土器が出た貝塚があったなど色々なものが遺跡から発掘されるものなんですが。
古代ローマの共同墓地も同様ですが、紀元前4世紀には既にあったとされる地下都市が、4世紀以降に建設する説は時代も合致しません。

ヒッタイト人説が有力?

ヒッタイト人説が有力?

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ヒッタイト人は『旧約聖書』に彼らはテヘ人という名称で登場しています。
テヘ人はこれまで存在事実が確認されておらず、伝説的な架空の人物としてとらえられていました。
しかし、1906年にドイツ人により、ボガズ・キョイの廃丘で遺跡が発掘されたことにより鮮烈なデビューを果たした民族です。
彼らは紀元前2000年には存在したといわれ、初めて鉄器を使うなど高度の文明を持つ民族でした。

いつアナトリアにやってきてどのような道を辿り高度な文明を身に着けたかなど詳しいこともまだ不明です。
しかし、カッパドキアの地下都市との関係は否めません。
デリンクユにある教会と呼ばれる部屋はヒッタイトの紋章と同じクローバーの形をしており、岩に彫り込んだひき臼などには彼らの人工遺物が発見されているのです。
核心に迫ってきているような気がしませんか?

次のページでは『核戦争の痕跡を確認?核シェルター都市だった?』を掲載!
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