結構ドロドロ!パナマの南の海「太平洋」はこうやって見つかった!

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は南米パナマ「太平洋発見の歴史」をご紹介します。

運河で有名なパナマってこんなところ

運河で有名なパナマってこんなところ

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パナマは、北アメリカと南アメリカ大陸の境に位置する、カリブ海と大平洋に面する共和国国家です。
中米の地峡を貫くパナマ運河が通り、スペイン植民地時代から重要な役割を果たす場所でもありました。
現在は、中米諸国の中でも高い経済レベルを誇っています。
首都のパナマシティのコロニアルの建造物が残る古い街並みや、カリブ海沿岸の砦など5つの世界遺産を持っており、観光スポットも豊富なんですよ。

パナマシティ周辺にも、国立公園やリゾート地もたくさんあるんです。
特に美しい海がおすすめで、多彩なアクティビティや伝統の手漕ぎボートで島めぐりだって楽しめちゃいます。
また、サンブラス諸島には350島以上の島があり、リゾート開発されていない世界に残された最後の楽園と称されています。
サバイバル生活を満喫したい方にもおすすめですよ。
今回は、パナマの太平洋発見の歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

パナマの始まり

パナマの始まり

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手つかずの自然が今なお残るパナマの始まりは、紀元前1万年まで遡ります。
プレ・ヒスパニック期には、さまざまな小民族が暮らしており漁業などに従事していました。
この頃に暮らした主要民族は、マヤ族、カリブ族、チブチャ族です。
マジョリカの鉢や陶器、彫刻が施された骨で作られた笛などが発見されています。
中でも、かつては金が取れていたパナマらしい、神聖な偶像である「金のワカ」は必見です。

パリタ湾岸では紀元前2900~1300年に刻線文が刻まれた、モナグリーヨ土器や貝塚、洞窟遺跡などが発見されました。
紀元前390年ごろには8.5ヘクタールあった集落が58ヘクタールまで広がり、人口も約700人にまで達したようです。
貝や黄鉄鉱製の首飾りなどの装飾品や集団埋葬の墓なども発見されています。
西暦500~1000年の間に栄えた白地多彩文土器や金製品のコクレ文化が起こり、高さ2mの石柱、土の塚などが発見されています。

スペインによるパナマの発見

スペインによるパナマの発見

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1501年にロドリゴ・バスティーダス率いる探検隊が、南アメリカ大陸の北岸に沿って東からパナマ地峡のカリブ海に達し、現在のノンブレ・デ・ディオスに到達したことによりパナマを発見します。
しかし、彼らは香料諸島のある海に出る海峡を探しての遠征をしており、これを見つけることが出来なかったため、エスパニョラ島に戻り解散しました。

皆さんご存知、航海士のコロンブスも、1502~1504年に行われた四回目の遠征でパナマに訪れました。
新大陸でも重要な港の一つといわれるポルトベロ湾を見た時に、コロンブスが「ポルト・ベーリョ(美しい港)」と思わず叫んだことにより、この一言がこの湾の名前になっています。
湾周辺に残る5つの要塞とサン・ロレンソ要塞が、「パナマのカリブ海側の要塞群」として、1980年に世界遺産に登録されています。
彼らはここで金の装飾をつけた先住民と接触し金鉱があると確信しましたが、この時は追い払われてスペインに舞い戻っています。

スペインの植民地となるパナマ

スペインの植民地となるパナマ

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この後、1508年ごろにバスティーダスやコロンブスの金鉱発見などの報告により、パナマ地峡に入植することを目的にした派遣が連続して行われました。
この頃スペインの奴隷を逃れた先住民たちは、彼らがもたらした病気により多くの人々が亡くなっています。
1513年にバスコ・ヌーニェス・デ・バルボアが、1514年には総督としてペドラリアス・ダビラが派遣されています。

この時にバルボアが太平洋を発見し、後にポルトガル人の航海士マゼランが「平和の海」を意味する太平洋と名付けました。
1519年にはペドラリアス・ダビラがパナマ市を建設しています。
パナマという名前は先住民の「魚が豊富なところ」という言葉が由来です。

パナマの英雄バルボア

パナマの英雄バルボア

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先程派遣されたと紹介したバルボアとペドラリアスは、パナマにおいて英雄と悪人に区別されて認識されています。
バルボアは先住民を襲撃し捕らえた一部族のカシケの長カレタとその家族と生活を共にするようになり、お互いを尊敬しあうようになりました。
カレタは友好同盟をバルボアと結びその証しに自分の娘を差し出したのです。
先住民たちはスペイン人用の食料も耕作するようになり、部族間の戦争ではカシケの見方をしました。
これが現在でもバルボアがパナマでの英雄となった所以です。

ヨーロッパでバルボアが英雄なのは初めて大西洋から太平洋に到達したことですが、パナマの人たちにとってバルボアは、入植者と先住民の仲を上手く取り持ち、混乱を鎮め、先住民やカシケと友好関係を築いたことでした。
今でもパナマには5つの先住民保護区が残っています。

友好関係により金ともう一つの海の情報を得るバルボア

友好関係により金ともう一つの海の情報を得るバルボア

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友好関係を築いたことでバルボアは「金ともう一つの海」の存在を知りしました。
もう一つの海に行くためには人食い人種がいる山を越えなければならなかったのです。
彼らは野蛮人といわれ当時先住民たちも捕らえては捕虜にし、彼らの肉を食べる民族でした。
この人食い人種を倒すには1000人の兵士が必要と先住民は言いました。
先住民は憎き人食い人種を入植者の手を借りて倒したいと願い、スペイン人たちはこの地にある金を恣にしてもいいという先住民との約束と太平洋の発見という褒美という利点があったのです。

この時バルボアの部下は150人しかいませんでした。
早速彼はスペイン王に1000人の兵士の要請と先住民から手に入れた金を送りました。
しかし、この時代スペインまでは片道だけでも何ヶ月もかかっていたのです。
待ちに待ったスペインからの船には100人の兵とバルボアを本国に帰らすというもの。
これは、先住民に追い返されたエンシソがバルボアの悪口を王に吹き込んだからでした。

もう一つの海!太平洋を発見するバルボア

もう一つの海!太平洋を発見するバルボア

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自分の後任が来る前に、自分たちだけで新しい海を探すことにしました。
王の許可もないまま命令に背く行為と知りつつ彼は1513年9月1日に断行したのです。
9月といえば雨期で樹木が生い茂り、地面はぬかるんでとても歩けるようなものではありません。
しかも重い鎧や剣、弓や銃を携行していたのです。
敵部族と時に争い時に交渉しながら進み、一日に5~7km、日によっては1.6kmしか進めない日もありました。

それでも何とかもう一つの海の近くまでやってきました。
ここで死にそうなほどに疲れている部下たちを残し、66人の部下と案内役の先住民と共に海が見える丘に向かい、後一歩のところでバルボアは彼らを待たせ、一人で丘に登り頂上からもう一つの海を見たのです。
これが太平洋でした。
感動したバルボアは部下を呼び寄せ、皆で海を眺めた後歓声を上げました。
1513年9月25日にここで太平洋発見の証明文書を作らせ、バルボアを始め一同が署名しました。

現在は約80kmのフリーウェイが出来、車で約1時間の距離ですが、当時は1ヶ月近くかけて横断しました。
彼らが到達したのはサンミゲル湾ですが、ここまでの道筋は今もジャングルの奥地で人は入れません。

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