日本の首都の変遷、日本の首都はいかにして動いてきたのか

世界各国、どこの国にも首都というものが存在します。国の中心となる都市という意味ですが、対象が政治であったり、象徴であったりと国によって定義はさまざまです。もちろん、日本にも首都があります。現在の日本の首都は東京ですが、これまでずっと東京が首都だったわけではないようです。そこで建国以来、日本の首都がどのように移り変わってきたのかについてご紹介します。日本各地のどのような場所が首都だったのか、じっくり見ていきましょう。

日本における首都とは?

日本における首都とは?

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法律上現在の首都は定められていない!?

私たち日本国民のほとんどが、現在の首都は東京であると認識しています。
そして、それは一般常識となっていることですし、間違っているわけではありません。
実際に、日本の中心は東京ですし、政治、経済、流行、交通などほとんどの中心が東京です。
国際的な目で見ても東京が日本の首都であることは、まぎれもない真実と言えるでしょう。

しかし、実は現在の日本の首都が東京であると認める法律はないのです。
首都圏整備法という法律内で、「首都圏」は定められていますが、東京都とその周辺にある都道府県、すなわち関東地方の都道府県も含まれているため、首都を定めた法律とは言い難いところがあります。

どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
それは、天皇の住む都なり幕府のあった土地なりを首都として定義する必要がなかったからなのですね。
はるか昔より天皇が住む場所、という意味で都というものはありましたが、国民全体の一般知識として「首都」が知られるようになったのは第二次世界大戦後のことだったそうです。
日本は元々鎖国していた国でしたから、外国に対して見せる「首都」は必要なかったのでしょうね。

政治の舞台を首都としてとらえてみる

首都に関してさまざまな考えの方がいるでしょう。
「国の首長のいるところ」という考え方で首都を決めれば、平安時代より明治時代を迎えるまで、日本の首都は歴代天皇が住まわれていた京都であったことになります。
しかし、世界的に見て、首都という定義は「首長のいるところ」というよりも、政治や経済の中心という見方の方が強いように感じられます。
また、時代により天皇の権威も、国の首長としてふさわしいときと、形式上おかれていただけの首長に過ぎないときとがありました。

ですから、ここでは、日本の首都を政治の中心であった場所としてご紹介していこうと思います。
日本では天皇が政治を行った時代、武士が政治を行った時代、政権が2つに分かれた時代など、時によって政治を主導していた人や組織が変わってきました。
そのため、天皇のいる場所以外に政治の中心があったこともあります。
歴史の流れを追いながら首都の変遷についても見ていくと、日本の政治や経済などの変化もわかりやすいですね。
さまざまな波乱とともにあった日本の首都をたどってみましょう。

天皇が変わるたびに都が変わっていた平安京以前

天皇が変わるたびに都が変わっていた平安京以前

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バラバラだった日本が大和政権により統一された4世紀ごろ

どこの国でもそうですが、日本も最初から「日本」という一つの国として成り立っていたわけではありません。
縄文・弥生を経ていくうちに、同じように暮らしてきた人々の中で、人をまとめる力があったり、人よりもちょっと優れている人が少しずつ人々のリーダーになっていくようになりました。
そして、少しずつ人々の間に上下関係ができはじめ、首長となっていきます。

古墳時代の初めには、人々のリーダーとして明確に首長が置かれ、豪族と呼ばれるようになりました。
しかし、それらの豪族や王たちもそれぞれが小さな国を治めているばかりで、日本全土を統一して支配するほどではありませんでした。

古墳時代以降、力を持った王や豪族たちが少しずつ集まって政治を執るようになっていきます。
豪族たちの連合政権という形です。
日本各地にこのような連合政権ができていくなかで、特に大きな力を持ったのが、奈良県を中心としてできたと言われているヤマト政権でした。
最初は近畿圏内を治める程度だったヤマト政権は、その支配を少しずつ広げていき、東北地方を除くほぼ日本全域を支配するようになります。
そして、ヤマト政権の最高権力者は、大王(おおきみ)と呼ばれました。

大王から天皇へと変わり都が点々とした飛鳥時代

ヤマト政権の最高権力者は大王とされていましたが、天皇へとその名を変えます。
大王がいつ天皇に変わったのかは、学説によりさまざまです。
はっきりとした根拠は発見されていませんので、どれが正解とは言えません。
有力な説として、推古天皇の時代、天武天皇の時代などがあげられています。

平安京への遷都後、天皇の住まいは近年までずっと京都にあり、動くことはほぼありませんでした。
しかし、平安京へ遷都した桓武天皇以前には、天皇が即位するたびに住まいを変え、新しい場所に都を置いていたため、ヤマト政権があったと言われる近畿圏内には、各地に都の跡が残されています。
藤原宮、平城宮、難波宮など史料などから、現在のどこにあたるのかがはっきりとしている宮跡もありますが、場所が確定されていないものもたくさんあります。

ヤマト政権の発祥地とされる奈良県を中心に、京都、大阪、滋賀にまで広がる宮跡ですが、実は九州にも2か所残されているというから驚きですね。
この九州にあった宮は、九州地方の豪族を支配するために、天皇みずからが出征し、戦いに赴いていたために置かれた宮だと考えられています。
ヤマト政権の時代には、ある程度日本が統一されていたとは言われていますが、それも一筋縄ではいかなかったことがうかがえます。

天皇と貴族により政治が動かされていた時代~京都~

天皇と貴族により政治が動かされていた時代~京都~

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