シャンパーニュが世界遺産に至る経緯や成り立ち

パチパチとはじける炭酸がおいしいシャンパンの産地として知られる、フランス北東部に広がったシャンパーニュ地方。他では味わえない特別な味をかもしだしているワインの産地として伝統があるシャンパーニュのワイン畑は、2015年に世界遺産として認定されました。シャンパーニュの丘陵風景ははいかにも牧歌的で味わいのあるフランスの田舎といった風情です。そんなシャンパーニュの歴史について調べてみましたので、ぜひごらんください。

「ドンペリ」の名前となった修道士

「ドンペリ」の名前となった修道士

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修道士ドン・ペリニヨンが作ったシャンパン

誰でも「ドンペリ」と呼ばれているシャンパンの銘柄を聞いたことがあるのではないでしょうか? 正しくは「ドン・ペリニヨン」という名前のワインですが、この名前はシャンパーニュにあったキリスト教寺院、オーヴィレール修道院でワインを作っていた修道士ピエール・ペリニヨンからとられています。
「ドン」というのは尊敬した呼び方で、○○様とか、ミスター○○、というようなものですね。
オーヴィレール修道院ではワイン作りがさかんに行われていて、ドン・ピエール・ペリニヨンは修道院のワイン貯蔵庫の責任者だったんです。
ドン・ペリニヨンはワインの研究開発に熱心で、この泡の立つワイン、シャンパンの開発に苦心した人物なんですよ。

シャンパンというのはこのシャンパーニュ地方の一部と、隣接するアルデンヌ地方にまたがる「シャンパーニュ・アルデンヌ地域圏」において作られた発泡性のワインのことだけを呼ぶもので、作り方にもたくさんの厳密な取り決めがあります。
他の産地や他の製法でつくられたワインに「シャンパン」の名前をつけるのは禁止されていて、シャンパンのカテゴリにあてはまらないものはスパークリングワインというんですね。

よいワインを修道院で研究していた!

オーヴィレール修道院の歴史はシャンパーニュの成立より古く、650年に建立されました。
戦争による被害を受けながらも修繕され、18世紀にフランス革命が起こり修道院が閉鎖されるまで、ワイン生産を伝統的に行っていたんです。
キリスト教ではワインはキリストの血と考えられていて、ワイン造りは神聖な仕事であり、よりよい品質のワインを作ることが宗教的にもよいことだったんですね。

ドン・ピエール・ペリニヨンは1638年に生まれ、1668年にオーヴィレール修道院の出納係に就任してから1715年に亡くなるまで、ワイン造りに情熱をかたむけました。
もともとはシャンパーニュ地方でも泡のない赤ワインを生産していました。
でも、今のように温度管理が厳密にできるような設備はなかったので、ワインに時々泡が発生してしまうのが悩みだったそうです。
シャンパーニュのような寒い土地では酵母発酵が不完全なまま冬になってしまい、春になってあたたかくなるとまた酵母が活発にはたらいて二酸化炭素がワインにとけこんでしまうのが原因でした。
酵母の発酵のしくみがまだ解明されていなかった時代だったんです。

失敗作から生まれてきたシャンパン

失敗作から生まれてきたシャンパン

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白ワインの研究をかさねたドン・ペリニヨン

また、ご存じの通りフランスには他にもワインの名産地がありますので、赤ワインはさまざまな場所でつくられていました。
地域柄、皮の黒いブドウがよくとれるので、それを皮ごとぎゅっとしぼって赤く染まった果汁でつくる赤ワインが主流だったんですね。
特にフランス中部のブルゴーニュ地方で作られる赤ワインは品質がよく、シャンパーニュはなかなかそこを超えられませんでした。
そこでドン・ペリニヨンはライバルのブルゴーニュとの差別化をはかるため、白ワインを作ってみようと思い立つわけです。

ドン・ペリニヨンは赤ワインをつくるために使っていた黒ブドウを、ぎゅっとしぼるのではなく、やさしくしぼることで、ワイン用の果汁が赤くならないことに気付きました。
果汁の採取のために最新の搾り機もたくさん導入して果汁の採取のために最新の搾り機もたくさん導入していたんですよ。

ドン・ペリニヨンの最初の考えでは、泡の立たない白ワインを作ってブルゴーニュの赤ワインよりも宮廷で好まれるようにしよう、という思いだったようです。
なんとか泡が立たないワインを作ろうと努力をしましたが、どうしても時々は泡が入ったワインができてしまい、ひたすらに研究の努力を重ねました。







シャンパンができるのは丈夫なガラスビンのおかげ

しかし実際にイギリスやフランスの宮廷で飲まれるようになると、シャンパーニュのワインはコルクがポンと飛び出す、グラスにそそげば泡が立っておもしろいということで、貴族たちに大好評。
ドン・ペリニヨンの思惑とは反対となりましたが、それ以降は逆にどうやって泡の品質を安定させるかの研究を重ねることになったのです。

ドン・ペリニヨンが亡くなったあとも、貴族たちの華やかな生活に欠かせない飲物としてシャンパンの需要は高まりました。

長く木樽に入れておくと空気に触れるため、早めにガラスビンにうつしかえて空気に触れさせず、ビンの中で熟成させる製法なのですが、しかし、炭酸ガスの入ったワインをビン詰めにしておくのは破裂の危険と隣り合わせでした。
いつ破裂するかもわからない発泡ワインのビンを貯蔵しておく倉庫に入るのには、鉄兜をかぶってからでないといけなかったとか、場合によっては倉庫にあるほとんどが破裂してしまったとかで、生産はとても大変だったのです。

研究開発が進み、より頑丈なガラスビンを使用できるようになったことで、安定した出荷につながりました。

シャンパーニュの成立は中世の時代

シャンパーニュの成立は中世の時代

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牧歌的な風景をうかがわせるシャンパーニュの命名

シャンパーニュという名前は、古いフランス語で「田舎」という意味のCampagneという単語から由来しています。
パン屋さんに行くとひとかかえもあるような大きさの、×印の切れ目が入った丸いパンが「パン・ド・カンパーニュ」という名前で売られていることがありますが、このパンの名前は「田舎風のパン」という意味で、シャンパーニュの語源と同じところからつけられた名前のパンなんですね。

シャンパーニュ地方の正式な成立は、まだフランスが王国だった中世のころ、1065年に貴族のブロワ伯ティボー3世がこの地方をおさめるシャンパーニュ伯となったときだといわれています。
このブロワ家はもともとナバラ王国という、現在のスペイン北部ナバラ州のあたりに存在した国の王家であり、一族からはシャンパーニュ伯だけではなく、後に4代続くフランス王家ブロワ朝を輩出したり、ほかにもイングランド王や、エルサレム王を兼任したアンリ2世なども出ている大貴族なんですよ。

ナバラ王国は西暦824年から1640年まで、800年以上も続いた歴史のある王国でした。

イタリア王の血を引いたシャンパーニュの領主

シャンパーニュ地方が正式に成立する以前にも、8世紀のイタリア王であったカロリング家のピピンの孫、ピピン1世からはじまったヴェルマンドワ家がもともと伯爵としてこの地をおさめていました。
シャンパーニュ地方が成立したのは、このヴェルマンドワ家の土地と近隣のブルゴーニュ公家の土地が統合されてひとつになったものをおさめるようになり、ブロワ家に代替わりしてしばらく経ってから正式にシャンパーニュという地名で認められた、ということのようです。

なぜ代替わりしたかといえば、中世の貴族たちの歴史を見ていくとこういったことはわりあいよくあるのですが、ブロワ家はヴェルマンドワ家から枝分かれした親戚関係であり、ヴェルマンドワ家の男性の相続人が絶えてしまったので、ブロワ家の男性が伯爵の位を相続することになった、というわけ。
ヨーロッパにおける爵位というのは土地をおさめる代官の位であり、爵位を持つ男性が亡くなって次に男の世継ぎがいなくても、場合によってはその家系の女性が相続するというケースもあるんですが、基本的には男性の相続人が優先されることが多かったんですね。

次のページでは『ヴェルマンドワ家からブロワ家へ』を掲載!
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