観光の前に知りたい!アルゼンチン、独裁者たちの歴史

「アルゼンチン」と言われて、何を思い浮かべますか?インカ帝国、タンゴ、サッカー、あんまり治安のよろしくないお国柄……いえいえアルゼンチンには非常に魅力的で、そして歴史もとってもワンダフル!さまざまな人種が行きかい、カリスマ独裁者がそれぞれの時代を治めた、とても独特の歴史を持つ国です。さらには20世紀になって開花したラテンアメリカ文学のあれやこれや!ラテンアメリカ文学大好きの筆者があんな作家、こんな作家もまじえてご紹介する、アルゼンチンのオモシロ歴史と魅惑の文化、どうぞのぞいていってくださいな。

案外のどかな〈インカ帝国〉時代――コロンブス以前

案外のどかな〈インカ帝国〉時代――コロンブス以前

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まずはアルゼンチンが今の形になる前、そう「コロンブス以前」について語りましょう。
ご存知、太陽の帝国〈インカ帝国〉の時代です。
残念ながら、征服者たちが植民地化の過程で「人をまどわす邪教徒の産物」と破壊を徹底したために多くの史料が失われています。
それでも様々な記録や考古学史料で〈インカ帝国〉の姿はわかってきています。
文字を持たず、私有財産というものが存在しなかった多民族国家。
そして、西洋からの征服者も驚いた、非常に高度な文明。
その内容は不思議きわまりない、その最後はとても悲しいものでした。

〈インカ帝国〉ってどんなところだったんだろう?

〈インカ帝国〉は、現地の言語ケチュア語で〈タワンティン・スウユ〉と呼ばれます。
「4つの邦(州、国)」という意味で、現在イメージされるような大国になったのは15世紀のことです。
ペルー、ボリビア、エクアドル、アルゼンチン北西部までの広い範囲をその支配下におさめていましたが、政治体制としてはゆるやかな連邦制がとられていました。
その文明は高度で、アンデス山脈にあるマチュ・ピチュ遺跡、そしてクスコ市街地が〈インカ帝国〉の痕跡として今なお残り、人々を魅了します。

〈インカ帝国〉はある意味で、ユートピアのような国でした。
すべての人が平等であるべきと国家が教え、特権階級である貴族たちも労働にいそしんだのです。
物々交換で経済活動は行われ、税はかならず再分配をされました。
一方で、神話により王族や貴族の権威を強調し、統治を行ったのです。
「嘘をつくな、盗むな、怠けるな」という〈インカ帝国〉の国の標語がそのすべてをあらわしています。
彼らはたしかに人類史でもまれな、理想郷に近いものを築いていたのではないでしょうか。

征服者の到来、そして、おそるべき破壊

1492年、コロンブスによってアメリカ大陸は「発見」されます。
「新世界」めがけて西洋人たちは、数々の冒険家を派遣。
彼らは征服者として、新大陸の植民地化を進めます。
〈インカ帝国〉がついに「発見」されたのは1516年のことでした。
そのわずか17年後、1533年に〈インカ帝国〉は滅ぼされます。

銃がなかったことは〈インカ帝国〉の人々にとって、征服者と戦う上で致命的でした。
完璧な武装と、現地民すら味方につけた征服者は首都クスコを陥落します。
そしてインカ帝国皇帝アタワルパはついに、キリスト教にしたがうという誓約書をかわします。
それはつまり西洋、征服者に屈服したということをしめしました。
インカ帝国には莫大(ばくだい)な金銀財宝がありました。
それも残らず征服者たちは自分たちのものにします。
インカ帝国が滅亡したのち、南米大陸のほとんどがスペイン領へ。
南米大陸全土は、西洋の植民地として長い歳月を送ることになるのです。

新しくスペイン人の到来、新しい国の形

新しくスペイン人の到来、新しい国の形

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15~16世紀。
ヨーロッパでもっともイケイケだった国・スペインがラテンアメリカ(=中南米)全土を征服。
植民地化を進める上でもっとも重要な「キリスト教布教」を、まずはじめていきます。
そこで行われた、さまざまな人種の混血。
アルゼンチンのみならず、南米大陸の持つ豊かな大地は、新しい世界の人とその神によって大きく変化、発展します。
一体どのような人びとが、どのようにアルゼンチンを変えていったのか?ここから先は日本人にはなじみのうすい「アルゼンチンの歴史」なるべくわかりやすく、オイシイところをつまんで紹介していくことにしましょう。

7つの人種で躍動する、大規模農園や鉱山

スペイン領であった時代、アルゼンチンの大地を、おもに7つの人種が歩いていたことになります。
〈インディオ(=先住民)〉〈白人〉〈黒人奴隷〉、現地生まれのヨーロッパ人〈クリオーリョ〉、混血の〈メスティーソ〉〈ムラート〉〈サンボ〉――植民地を統治するために西洋からスペイン人をはじめとする〈白人〉が到来し、原住民であった〈インディオ(=先住民)〉の人々はほかの植民地と同じく奴隷として鉱山で、農園で働かされました。
そしてアフリカから、白人の召使として労働力として〈黒人〉もやってきます。
その中でさまざまな混血が行われました。
アルゼンチンをはじめとする南米の国々は多様な人種が生活する不思議な場所となりました。

アルゼンチンを流れるラプラタ川は肥沃(ひよく)な土地をうみだしました。
そこで牧畜や農業などを経営します。
奴隷の労働力をフルに活用して大量生産。
また金銀をはじめとする貴金属を有する鉱山もありました。
大規模農園、牧畜、鉱山、これらは大盛況!しかし本国スペインとの輸出入では、関税などの面で非常に不利な取引を余儀なくされていました。

キリスト教の夢の楽園?グアラニーの〈イエズス会〉伝道所

まずは〈イエズス会〉についてちょっとおさらい。
15世紀、ときは宗教改革まっただなか。
西洋のキリスト教はカトリックとプロテスタントの2大派閥に分裂します。
カトリック=ローマ法王が気に食わなかったり、束縛がうっとうしかったヨーロッパの国の多くがプロテスタントになり、カトリックは「これじゃいかん!」と焦ります。
そこに出てきたのが〈イエズス会〉という新しい修道会。
彼らは精力的に海の外へと繰りだします。
日本に来たご存知、フランシスコ・ザビエルも〈イエズス会〉。
つまり「信者の新規獲得」をめざしたのです!

その〈イエズス会〉は南米大陸にも進出。
彼らは南米中の人々を残らずキリスト教化すると同時に、布教拠点として「伝道所」の集落を作ります。
そこはある種の聖域で、大規模農園の苦しい労働から逃れてきた先住民や黒人をもかくまいました。
〈イエズス会〉の修道士たちは、キリスト教の教えにもとづいた楽園を作ろうと夢見ていたのです。
だれもが愛しあい、ゆるしあい、すべてをわかちあう世界――しかし1767年、本国のスペイン国王が発した〈イエズス会〉追放令により、この伝道所も廃棄されてしまいました。
今、この伝道所跡は〈グアラニーのイエズス会伝道所〉として世界遺産に登録されています。

グアラニーのイエズス会伝道所群の住所・アクセスや営業時間など

名称グアラニーのイエズス会伝道所群
名称(英語)Jesuit Missions of the Guaranis: San Ignacio Mini, Santa Ana, Nuestra Señora de Loreto and Santa Maria Mayor (Argentina), Ruins of Sao Miguel das Missoes (Brazil)
住所República Federativa do Brasil / República Argentina
営業時間・開場時間施設による
利用料金や入場料施設による
参考サイトhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%BA%E3%82%B9%E4%BC%9A%E4%BC%9D%E9%81%93%E6%89%80%E7%BE%A4
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

グアラニーのイエズス会伝道所群のスポットページ

アルゼンチン史をいろどる3つの「人」

アルゼンチン史をいろどる3つの「人」

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ここでちょっと小休止。
アルゼンチン史を語る上で欠かせない、3つの要素について話しましょう。
〈ガウチョ〉〈クリオーリョ〉〈カウディーリョ〉という3つの「人」。
南米版カウボーイにエリート集団、そして独裁者……彼らの存在はつねに、アルゼンチンの歴史を大きく動かしてきました。
そしてそれは現代にまで続いているのです。
アルゼンチンの文化、とくに政治にも大きく影響するこの3つの「人」をおさえておけば、これからアルゼンチン史を覚えておく上でも安心!ざっくりと解説してまいりましょう。
重要なので、飛ばさないでくださいね?

馬に生き、馬とともに…南米版カウボーイ「ガウチョ」

ある記録はこう残しています、「彼らは一日中馬に乗っている、食事の時も会話のときも。
馬から下りるときといったら寝るときだけだ。
いつも馬で生活しているから、そこからおりて地面を歩く姿は、かえってぎこちない」これはさすがに誇張があるかもしれませんが、彼らは生まれてから死ぬまでのほとんどの時間を、馬とともに生きました。
この人たち、アメリカなら「カウボーイ」ロシアなら「コサック兵」のようなものでしょうか。

その正体は、広大な草原(パンパ)にて牧畜に従事した人々。
とにかく強い!向こう見ず!仁義にあつく、親切で、謙虚。
そして強くて男前!そんな〈ガウチョ〉は南米の人々のロマンの対象です。
南米の哀愁ある音楽〈フォルクローレ〉も〈ガウチョ〉たちの賜物。
彼らは戦争や内戦において重要な戦力になりました。
のちにアルゼンチン史に巨大な名を残す〈ロサス〉は、このガウチョの中で育っています。

〈ガウチョ〉で構成された義勇兵は、アルゼンチン史の戦争を語る上で欠かせないものになります。
彼らを味方につけることができるか、それが勝敗を左右さえしたのです。
ちなみに今流行の「ガウチョパンツ」は、彼ら〈ガウチョ〉の身につけていたもの。
そのデザインが今、日本に伝わってオシャレにとけこんでいるなんて、ちょっと彼らを身近に感じませんか?

南米史の影のボス〈クリオーリョ〉〈カウディーリョ〉

ヨーロッパ人でもなく、先住民でもなく――〈クリオーリョ〉は「植民地生まれのヨーロッパ人」という意味です。
生まれも育ちも南米、つまり彼らは「生粋のアメリカ人」ということにもなります。
彼らのほとんどは教育を受け、留学も行って国際的な教養を身につけています。
しかし彼らはスペイン本国からは一段下の存在と位置づけられました。
〈クリオーリョ〉たちは世界に眼を開いていきます。
フランス革命や啓蒙主義、アメリカ独立の父であるトマス・ジェファーソンの著作などを彼らは学び「独立」という考えが芽吹くのです。

そしてもう一つ忘れてはならないのが〈カウディーリョ〉。
〈カウディーリョ〉は、その土地のボス。
地主で、自分の土地から得た利益でみずからの軍隊を持ち、自分たちのテリトリーを統括しました。
〈カウディーリョ〉はとにかく、カリスマ性が命。
今後のアルゼンチン史で大きな役割をはたすので、〈カウディーリョ〉という言葉、どうぞ覚えておいてください。

19世紀、経済的に政治的に、本国スペインに対して〈クリオーリョ〉たちの反発が頂点に達します。
そんな中ついに、2人の英雄が立ちあがるのです。

独立運動、二人の英雄の物語

独立運動、二人の英雄の物語

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スペイン植民地時代も、ナポレオン戦争のゴタゴタと、スペイン独立戦争でスペイン王朝が崩壊したことによって終わりを告げます。
ときは19世紀。
革命&独立ブーム。
中南米はそのほぼすべてがスペイン領。
つまり独立にむけて大陸ごと立ちあがったという、世界史の一大イベントです!南米の独立は、1810年に行われたアルゼンチンのブエノスアイレスの市会の宣言からはじまり、内戦終結の1824年まで続きます。
14年間のゴタゴタののちにようやくラテンアメリカは、自分の国を勝ち取るのですが、そこで二人の英雄が登場します。
アルゼンチンに深く関わった〈サン・マルティン〉。
そして〈シモン・ボリーバル〉という、まるで正反対の〈解放者〉です。


寡黙なサン・マルティン、栄光の時代と独立運動の成功

アルゼンチン北部の村に、スペイン貴族の子として生まれたサン・マルティンは、7歳で本国スペインに渡ります。
そしてスペイン王室が倒れるにいたって、自分の生まれたアルゼンチンに戻り、独立運動に身を投じるのです。
彼は、もう一人の英雄・シモン・ボリーバルとは対象的に寡黙で、政治に口出しをせず、優秀な軍人として徹底してラテンアメリカ(=南米)の解放に突き進みました。
スペイン軍の本拠地だったペルーを奪還し、彼は「解放者」となります。

同時期に、南米大陸の北部を解放していたもう一人の解放者にして英雄・シモン・ボリーバルとサン・マルティンとの会見は1822年7月に行われました。
二人の解放者は乾杯し、たがいを称えあい、今後について膝をつきあわせて話しあいました。
しかしサン・マルティンはその夜の舞踏会で、忽然(こつぜん)と姿を消します。
「自分の仕事は終わった」――彼はペルーを発ち、ベルギーに向かいました。
なぜ彼が、まさしく彼の手によって独立させたペルーをボリーバルらにまかせて、去っていったのか……それは今も謎となって残っています。
サン・マルティンはしずかに歴史の舞台から、南米の政治から消えていきました。
ベルギーを経て、1850年にサン・マルティンはフランスのブローニュにて失意のうちに亡くなります。
彼の功績は大きいにもかかわらず、南米で再評価をされるには30年の時間を必要としました。
今、彼の遺体はブエノスアイレスの墓地に、聖女像によりそわれて眠っています。

雄弁なカリスマ、迷宮の将軍・シモン・ボリーバル

シモン・ボリーバルは、ベネズエラに〈クリオーリョ〉として生まれ、ラテンアメリカ史に不朽の名を残す独立の英雄です。
一時期はナポレオンに仕えたこともあり、みずからが生まれた南米にて独立運動の機運が高まったのを見て帰国します。
そこで同志らとともに、憲法や法律を作ってベネズエラは「独立」をなしとげました。
南米の国「ボリビア」は「ボリーバル」の名をとってつけられたものです。

彼は〈グラン・コロンビア〉構想をいだき、ニュー・グラナダ(コロンビア)、ベネズエラ、エクアドルの連邦を作ろうとしました。
いったんはそれに成功します。
しかしボリーバルは政治を側近にまかせて、自分は独立戦争に専念しました。
これが彼ののちの失敗の要因となってしまいます。
このあと、サン・マルティンとの会談が行われ、そしてサン・マルティンがみずからの仕事に自分で幕を引くと、それを継承してペルーの解放に着手します。
ペルーは解放され、〈グラン・コロンビア〉も実現します。
しかしそこからは転落のはじまりでした。

その最晩年を、ノーベル文学賞作家ガルシア=マルケスが『迷宮の将軍』という長編小説に仕上げています。
彼は独立後、いったんは実ったグラン・コロンビア構想が挫折し、国を追われます。
最期はカリブ海の港町サンタ・マルタのあるスペイン人の屋敷の一室にて息を引き取りました。
独立の栄光をもたらした二人の英雄はどちらも、失意と悲しみのうちに死んでいったのです。

〈ロサス〉という男の時代――独裁と発展と弾圧の日々

〈ロサス〉という男の時代――独裁と発展と弾圧の日々

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アルゼンチン史に君臨する巨大な独裁者がいます。
彼の名前は、ロサス。
彼が政治の舞台に存在した時代はアルゼンチン史での時代区分では正式に「ロサス時代」と呼ばれます。
サン・マルティンやボリーバルは単なる軍人であり、政治家ではありませんでした。
彼らが去ったあとの南米は無政府状態のカオス。
そこで台頭してきたのが〈カウディーリョ〉です。
〈ガウチョ〉たちとともに育ち、のちに〈カウディーリョ〉として頭角をあらわしたロサスは、政治家になると同時にアルゼンチン全土を統率し、独裁政治を敷きます。
しかしその暴政はすさまじく、今なお恐れられています。
しかし再評価も進むこの人物。
一体どのような独裁者だったのでしょう?彼が権力者になる過程を見るだに、アルゼンチンの運命の数奇さを感じさせます。

政治家として、独裁者として、恐怖として

13歳のときにイギリスとの戦争に身を投じ、「青い眼のガウチョ」としてカリスマを発揮。
22歳のときに肉の塩漬け工場で財をなしたロサスは〈カウディーリョ〉として頭角をあらわします。
1829年にブエノスアイレス州の州知事に就任します。
当時、南米大陸は連邦主義と中央集権主義の2大派閥にわかれて大混乱を繰りひろげていました。
ロサスは連邦主義。
中央集権主義者を片端から逮捕投獄、処刑していきます。
街中にロサスの肖像がは掲げられていました。
ロサスのシンボルカラーである赤を身につけていなければ、いつ逮捕されるかわからない。
そんなディストピアが広がっていたのです。

彼はその恐怖政治ゆえに周囲から恐れられ嫌われ、いったん、任期切れで州知事の座から追われます。
しかしアルゼンチンにとって不幸なことに、その後に就いた知事はみな無能ぞろい。
アルゼンチン国内は混乱の様相をていします。
国民と議会は無念の決断をしました。
独裁を承知でロサスを州知事に再選したのです。

その後17年間に渡るロサス統治のはじまりからして、血にまみれていました。
反対派とみられる将校や官僚は即刻罷免、逮捕。
裁判なしで銃殺されました。
彼の手の届かない場所にいる政敵は、暗殺者を使って消していきます。
外国人を嫌った彼は〈クリオーリョ〉や外国移民も受けいれませんでした。
また、ブエノスアイレス州から〈インディオ(=先住民)〉を追討する作戦を実行。
6000人の〈インディオ(=先住民)〉が亡くなったと記録にあります

本当の恐怖政治のはじまり、そしてみじめな最期

一方で、独裁政治だからこそできる、強権的な政策も打ち出していきます。
通貨をたくさん発行してインフレを起こし、それによって外国貿易を推進しました。
彼の外国人嫌い、中央集権主義嫌いは次第にこうじていき、国外にも干渉をしていきました。
ボリビア、ウルグアイなど他の国の独立や中央集権政治を認めず、何かと口実をつけて紛争を起こしていきます。

そのうち、今も長く尾を引く事件があります。
アルゼンチンで〈マルビーナス島〉イギリスで〈フォークランド諸島〉と呼ばれる島をめぐっての争いです。
イギリスが実効支配していた〈フォークランド諸島〉をに対し「マルビーナス島はアルゼンチンのもの」と領有権を主張。
このときは外交上のゴタゴタですみましたが、20世紀に入ってその火種は爆発することになるのです。

1852年、ロサスはついに権力の座から引きずり降ろされます。
クーデターにより、ロサスは海外へ亡命。
しかし彼は海外に資産を残しませんでした。
南米中から忌み嫌われ恐れられたこの男は1877年、アメリカのサザンプトンにて貧しさの中亡くなります。
アルゼンチンで、彼の記念碑や銅像は一切残っていません。
恐怖政治を敷いた血の独裁者として現在もおそれられ、嫌悪される一方、苛烈な国際社会でアルゼンチンを守った政治家として再評価される向きもあります。

ふたたび独裁者――〈ペロン〉とその妻〈エビータ〉の登場

ふたたび独裁者――〈ペロン〉とその妻〈エビータ〉の登場

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戦争の20世紀の到来です。
ロサス政権の打倒と同時に、噴出していた国際紛争や国内問題はほぼ一挙に解決をみます。
しかしそれもいっときのことでした。
やがてふたたび、アルゼンチンは混乱の時期をむかえます。
アルゼンチン史にもう一人の独裁者が登場します。
名前は、フアン・ペロン。
彼とその妻エバ・ペロン、愛称〈エビータ〉は、独裁を敷いて弾圧を徹底した一方、貧しい国民から愛されたという奇妙な政治家です。
三度にわたって政界に復活したおどろくべきこの男と「聖母マリア」とまで慕われたエビータとは、一体どのような人物だったのでしょう?

三度までもよみがえった独裁者・ペロン

20世紀に突入したアルゼンチンにあらわれたペロンは、これまでの「上から目線」の独裁者と色あいを異にします。
彼は大衆の解放をうたいあげ、大衆の支持をベースに権力を強めていきました。
陸軍大佐から副大統領になり、アルゼンチン国政の事実上の実験を握ります。
クーデターで拘束され、一度失脚。
したものの、妻・エビータの活躍によってすぐに解放されました。
クーデター翌年の1946年、大統領に就任。
以後、10年に渡って長い独裁を敷きました。
ある意味でポピュリズム(大衆主義)的な面もある彼の政策ですが、本質は〈カウディーリョ〉のそれ。
彼もまた自分に逆らう政敵や反抗者を弾圧、暗殺していきました。

妻であるエビータの政治干渉の効果もありますが、女性参政権の導入も彼の時代に行われたものです。
さらに、企業の国営化や工業の発展などの経済成長戦略を打ちたてます。
またナチス・ドイツの将校などを積極的にアルゼンチンに亡命させ、歓迎しました。
その亡命将校たちはそののち、〈フォークランド紛争〉で大きな役割を果たしたともいいます。
独裁者でありながら、彼の人気はアルゼンチンで今なお高く、葬儀には100万人にものぼる国民がつめかけました。
そのペロンの独裁に非常に強く手だすけした女性がいます。
次のパートでご紹介しましょう。

〈エビータ〉、聖母と呼ばれたファーストレディ

アルゼンチン史のみならず、南米史でも類を見ない女性が登場します。
エバ・ペロン。
国民からは親愛をこめて〈エビータ〉と呼ばれました。
今なおアルゼンチンでは強い人気を誇るエビータ。
私生児として生まれ、首都ブエノスアイレスに上京するとグラビアアイドル、高級売春婦を経て、ラジオドラマの声優として活躍しました。
最終的にペロンの愛人、そして妻になります。
クーデターで捕らえられたペロンの釈放をラジオを通じて訴えかけ、彼女のその行動によってペロンは解放され、政界に復活しました。

彼女の「政策」は、まさしく大衆の心をつかむにピッタリでした。
〈エバ・ペロン財団〉を作り、貧しい女性や子供、労働者におしみなく援助の手を差しのべたのです。
具体的には食料や毛布などの物資の供給、これは敗戦後の日本にも送られました。
この政策が要因で、今もアルゼンチンでは彼女は今も非常に人気。

一方彼女は「政治家の妻」にすぎませんでしたが、政治に遠慮なく干渉しました。
税金などの横領を重ね、ブランド品を購入する日々。
高等教育を受けていないこと、またその出自からエビータは富裕層などから嫌われましたが、100アルゼンチン・ペソ紙幣の肖像になっているなど、いまだに人気はピカイチ。
33歳の若さで亡くなったエビータの人生は『オペラ座の怪人』をてがけた、あのアンドリュー・ロイド・ウェバーによってミュージカルにもなっています。
日本でも「劇団四季」が上演しているので、機会があったら見に行ってみるのもいいかもしれませんよ!

ホルヘ・ルイス・ボルヘス、ラテンアメリカ文学の黎明(れいめい)

ホルヘ・ルイス・ボルヘス、ラテンアメリカ文学の黎明(れいめい)

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さて作者が「アルゼンチン史なら、これ!どうしてもこのヒト!」という人物をご紹介!その人の名は〈ホルヘ・ルイス・ボルヘス〉(1899-1986)。
この人の人生は、アルゼンチン史の「ある人物」とも大きく関わってきます。
そして現在ノーベル賞作家を多く輩出(はいしゅつ)し、読書家のあいだでは「知る人ぞ知る」ラテンアメリカ(=中南米)文学の発展は、この人からはじまるのです。
ウンベルト・エーコはあの大ベストセラー『薔薇の名前』で彼のリスペクトを行っていますし、日本でも村上春樹が影響を受けています。
どうしてもこの人の存在を知ってほしい、その思いをこめてこの章をしたためます。

あきこのむ

Writer:

文学少女が世界文学の時代背景に興味を持ち、調べていたら大学では文学部じゃなくて歴史学部に入ることになっちゃった。生粋の文学好き美術好きの27歳です。現在はライターとして活動中。夢はロシアのサンクトペテルブルクでドストエフスキー「罪と罰」ごっこをすること。楽しくおもしろい歴史と本の世界を少しでも伝えられれば幸いです。

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