オリンピックの原点がここに!古代ギリシャのびっくり常識とオリンピア遺跡

抜けるような青い空、深く美しい紺碧のエーゲ海、そして天をつく白亜の神殿。
おそらく古代ギリシャまたはギリシャと聞くと想像する映像なのではないでしょうか?
現代ヨーロッパ文明の原点とも言われ、その芸術的な面や哲学・民主主義の理想国家など私たちが現在思い描くギリシャは半分作られたものだと知っていましたか?
特に2020年に東京で開かれるオリンピックの原点はギリシャですが、こちらも古代のオリンピックはその様相は違っているようです。
今回はとオリンピックが生まれたオリンピアの遺跡と一緒に、ちょっとびっくりな古代ギリシャと古代オリンピックの世界をみていきましょう!

古代ギリシャはおもしろい

古代ギリシャはおもしろい

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実は存在しない古代ギリシャという国

いきなりですが、古代に「ギリシャ」という国は存在しません。

え?と一瞬驚きますが、昔に学校で習った「都市国家(ポリス)」という言葉を思い出してみてください。
紀元前には現在のギリシャにはアテネやスパルタに代表されるような1500もの都市国家が発展しており、統一されたギリシャという国はありませんでした。

ギリシャの地形は山が多く互いの地域の行き来が難しいためそれぞれが独立して都市を作り、互いにけん制し合っていました。

それでも彼らは自らのことを「ギリシャ人(ヘレネス)」だと名乗ります。
同じ血を持ち、同じ言葉を話し、同じ神々を信じ、同じ風習をもつ人たちを「ギリシャ人(ヘレネス)」と称していました。

なので、古代ギリシャという国はありませんが、古代ギリシャ人はいるという不思議なことになっています。

彼らは「私はギリシャ人(ヘレネス)で、アテナイ人だ」と自らを称していたようです。

それはさながら日本の戦国時代のようで、同じ言語と風習と信仰をもち、「日のもとの国の民で摂津国の者」と言っていたのに近いのかもしれません。

このように紀元前の時代に「ギリシャ人(ヘレネス)」たちが作った都市国家の地域や文化をまとめて古代ギリシャと私たちはよんでいるのです。

独特の価値観すぎる?古代ギリシャの人々

「風光明媚な白い神殿と深い紺碧色のエーゲ海。」

きっと古代ギリシャ人が聞くと「?」となることでしょう。

彼らはエーゲ海を表現するときには「ワイン色のエーゲ海」と言い、神殿は極彩色で彩られているものだったからです。

「ワイン色のエーゲ海」って不思議ですよね。
もっと不思議なことに彼らは「緑色の血」とも言ったそうです。
こんな表現をするのには理由があって、彼らは色に意味を持たせて考えていたと考えられています。
例えば「紫色」は流れたり動いたりするものを表したり濃い色と表現する意味もあり、「緑色」には新緑のように若々しくフレッシュな意味がありました。
なので先ほどのふたつは「うちよせるさざ波のエーゲ海」「鮮血」ということになるわけです。
見たままの色を表現するのではなくその表現にはひとつ違った深みが加わっているように感じます。

そして極彩色に彩られている神殿を現代の私たちは見ることができませんが、発掘された遺跡の一部に着色の跡が残っていることはよくあることです。
そのため、研究者の間では古代ギリシャの神殿に着色されていることは当然の事実として認識されています。

ではなぜ私たちは白亜の神殿と真っ白な彫刻ばかり目にするのでしょうか。

それは18世紀にヨーロッパで古代ギリシャが大ブームになり、私たちの原点である古代ギリシャはシンプルで美しい白亜の文化であってほしいと理想を描いた人々がわずかに残っている古代の色彩を金たわしなどで削り磨き上げてしまったからなのです。

有名なパルテノン神殿やミロのヴィーナスのもとの色を私たちは見ることができないのはとても残念だと思います。

オリンピアという神域

オリンピアという神域

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全知全能の神・ゼウスの神域オリンピア

オリンピアの町はギリシャの西側に大きく突き出たペロポネソス半島のこれまた西側にある山間にある、現在は1000人くらいの人口の静かな町。
ギリシャの首都アテネからはバスで約5時間かかるほどの距離です。

この地域はエリスという都市国家が治めており、古来よりゼウスの神域としてあまり人が住んでいない場所でした。

ここで簡単に古代ギリシャの信仰についてお話したいと思います。

古代ギリシャではオリュンポス12神と言われる神様たちを筆頭にたくさんの神々を祀ってそれぞれの神殿を建て、神々縁の物を供える習慣がありました。

現在ではギリシャ神話で私たちも知ることができる神様たちです。
その神々はとても人間的で泣くし怒るし、浮気はするし失敗もたくさんします。
人と違う点は不死の存在であり、自分の領域についてはほかの神よりも強い力を持っていることです。

昔の日本の神道に似ていて、キリスト教やイスラム教のように唯一絶対神に対する畏怖畏敬の信仰ではなく、自然事象や生活から感じる自然の力に対する信仰でした。

そして、その神様の中で一番力があるとされているのが全知全能の神・ゼウス神です。

一番力があるとされるゼウスですが、彼はとても人間的で奥さんで結婚を司るヘラには頭が上がらず、浮気も失敗もよくします。
そんな彼は天を司り、雷(雨や水)を支配している神様です。

自然の崇拝であることから、ギリシャの神々の神殿はあまり街中にはなく、山間など人々の暮らしの場所から離れた場所にあるのが特徴。
ゼウスはその力から、山頂で祀られることが多いのです。

世界七不思議・巨大ゼウス像があった!

「世界七不思議」と聞くとなんだかオカルトや超常現象のようですね。
ここでいうところの「世界七不思議」は「見るととても驚く巨大建造物」というものになります。

紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスなど古代の人が書いた旅行記で7つの巨大建造物を紹介しており、現在ではそれらをもとに世界七不思議と呼んでいます。

オリンピアには高さ13.5メートル、現在の建物で4階の高さがある巨大なゼウス像がありました。
完成したのは紀元前433年ごろ。
制作者は古代ギリシャで有名な彫刻家のフェイディアスです。

そのゼウス像は象牙と金でできており、現在では約10億円位の価値がある金を用いてゼウスの衣服や王冠、頭のリボンなどを飾り、1トンを超える象牙でゼウスの胴体と頭、その手の上に立つ勝利を告げる女神ニケを作りました。

さらに水晶や宝石などで装飾されており、豪華絢爛なゼウス像でした。

当時の神殿には窓がなく光は入口の扉からだけ差し込みます。
そうすると神殿の奥に配置されたこのゼウス像に光が当たらず、そのきらびやかな像の魅力が半減します。

そこで、フェイディアスはゼウス神殿と全く同じ大きさで同じ方位の神殿を建てて、日の差し込む位置や角度を徹底的に研究したと言われます。
そして、ついにゼウス像の前に暗青色の石で長方形の池を作り、その中にオリーブオイルを混ぜた水を張るという手法を編みだします。

その結果、入口からの光が池を反射してゼウスの顔や肩などを照らしだすようになり、まるでその像自身が輝いているように見えたと言います。
このオリーブオイルは象牙の湿度対策として像の保存にも役立っていました。

このゼウス像は残念ながら394年にビザンチン帝国の宦官によってコンスタンチノープルの宮殿に移され、その後475年にその宮殿の火事によって焼失してしまいました。

今ではそのゼウス像があった神殿跡だけを見ることができます。

祭場だったオリンピアの遺跡

祭場だったオリンピアの遺跡

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一番の基本は神殿と祭壇が中心

オリンピアの遺跡たちは、クロノスの山に沿って広がる競技場や祭壇や神殿などがある神域と、選手たちの練習場だった体育施設(ギムナシオン)や宿泊施設(レオニデオン)の区域に分かれています。

現在私たちが見ることができるオリンピアの遺跡はローマ時代のもので、ギリシャ時代の全体の作りはわかっていません。

神域の真ん中には先のゼウス神殿があり、それを正面にして左手にはニケの像が、右手にはゼウスをはじめとする神々へ捧げる生贄のための祭壇と宝物庫があり、その奥にはゼウスの妻であるヘラの神殿があります。

近代オリンピックの聖火はこのヘラ神殿で凹面鏡を使って灯され、世界の開催地へ運ばれます。
この聖火を点灯するセレモニーは古代オリンピックでは行われておらず、近代オリンピックでナチス時代のベルリンオリンピックの際にナチスの宣伝の一環として始まったのが今に残っているのです。

そしてゼウス神殿を正面にしてその背後には反響廊があり、その奥の道を入ると石のアーチがあり、そこを抜けると競技場のスタディオンがあります。

スタディオンの広さは幅30メートル・長さ約192メートル。
その大きさは英雄ヘラクレスの足の600倍の大きさということになっています。
今でも徒競争に使われらスタートラインが残っています。

観客は両サイドの芝で人々は立って観戦をしたので、「立っている場所(スタディオン)」と言われ、スタジアムの語源になったのです。
このスタディオンには約2万人の人を収容することができたと言われています。

選手村と快適に過ごせる施設

神域とクラデオス川の間に参加選手たちの体育練習場(ギムナシオン)と闘技場(パレストラ)があり、関係者や各都市の使節のための宿泊所(レオニデオン)と評議会場(ブレウテリオン)などがあります。

体育練習場には競技場のスタディオンと同じがあり、選手たちはここで最終調整をしていました。
そしてそこは同時に選手たちの宿泊所でもありました。

宿泊所は中に噴水などの中庭もあり、建物全体も大きくてゆっくりと過ごせる場所でもありました。

観客の人々は実際に開催される前からこの町に集まり、選手たちが来るのを待っていました。
しかし、競技を見るために集まった人たちは招待客でない者の宿泊施設はないため、みなそれぞれが神域の壁に沿ってテントを並べて野宿をしながらその日を待っていたと言われます。

その他、マケドニア王フィリップス2世が建てた迎賓館は優勝者をもてなす宴会場として使用され、ローマ皇帝ネロが自分専用の宿泊施設を作ったり、ローマ時代になると水飲み場ができ、公共浴場が造られました。

当初は神域を中心に競技会を奉納していたのが時代が下るにつれて、その神事である性格が薄まり、エンターテイメントを楽しむためのテーマパークのように快適に過ごせる設備が加わり、変わっていったようです。

古代オリンピックのはじまり

古代オリンピックのはじまり

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ゼウスへ捧げられる祭典

古代オリンピックの始まりは実ははっきりとしていません。

ゼウスが父神であるクロノスを倒した神話を元にしているとかいろいろな説がありますが、一説には、オリンピアを治めていたエリスの王が疫病が流行り困って、デルフォイの神託を行ったところ、争いをやめてオリンピアのゼウス神殿の祭典を復活せよと言われたことからはじまったと言われています。

オリンピアでは紀元前1000年頃からゼウス神に捧げる小さな祭典を行っていました。
戦争や疫病などで途絶えていた祭典を再開させるようにとのことで、早速エリスの人々は王は戦争をやめてゼウス神に生贄を捧げ、競技会を行ったところ、疫病が治まったとそうです。

それが第1回古代オリンピックの始まりで、紀元前776年のこと。
それ以降4年に1度行われるようになり、392年に禁止されるまで約1200年間中止されることなく続けられました。

ゼウス神に捧げられる動物は基本的に雄牛と決められており、1体2体などではなく、最盛期には100頭の雄牛が祭壇に捧げられました。

先のフェイディアスが作ったゼウス神殿ができるまでは、雄牛が捧げられた祭壇が神殿の役割を果たしていたと言われています。

祭典で行われる競技の基本は徒競争

第1回オリンピックの競技種目はスタディオンを走る徒競争でした。
シンプルに速く走ることができた人が優勝で、第1回目の優勝者はエリス出身の料理人コロイボスとされています。

そしてそのうちに競技の種類が増えていきます。
5種目競技となり槍投げ・円盤投げ・幅跳び・レスリング・徒競争になります。
この5種目競技では徒競争をはじめ3種目の勝者が優勝者とされました。

さらに時代が下ると5種目競技はそれぞれ個別の競技ではなくなり、この5種の順番はわかりませんが1種目ごとに上位何名かが残り次の競技を取り組む勝ち抜き式になっていき、古代オリンピックでは「5種目を制する者が真の優勝者だ」と言われるほどこの5種類の競技で勝つのはすべての身体能力に優れている必要があり、勝者は英雄視されていたようです。
さらにボクシングや戦車競走などが追加され最終的には18種類の競技が行われるようになりました。

競技種目が増えると、開催期間も当初は1日だったものが、最終的には5日間の開催となりました。

ギリシャのほかの都市でも神々に捧げる祭典として競技会を行っていましたが、オリンピアの祭典は歴史が古く、格式があるとしてとても人気の祭典だったのです。

そのため、ギリシャ全土から一生に一度は見たい祭典として人気を博しました。

古代オリンピックは本当に平和の祭典?

古代オリンピックは本当に平和の祭典?

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開催期間中の一切の戦争は禁止します!

4年に1度のオリンピアの祭典はエリスの町の実行委員ともいえる識者たちが、自分たちが使用している暦を元に綿密な計算のもと、開催日を決定します。

当時はポリスによって使用されている暦が異なるため、8月の満月と言っても一定の日を指すことにはならなかったのです。

基本的には太陰暦で月の満ち欠けを使用した暦だったようで、夏至のあとの2度目または3度目の満月の日がちょうど祭典の3日目になるように計算されていました。

それは小麦の刈り入れが終わった農閑期にあたる8月下旬に行われており、農業に従事する人々が多かったため、暮らしにあまり影響がない時期でもありました。

開催日が決まると、休戦を告げる3人の死者・スポンドフォロイ(休戦運び人)が各ポリスに祭典の開始と休戦を宣言して回ります。

休戦の期間は当初は1カ月でしたが、最終的には3カ月を超えるようになりました。
これはギリシャのポリスだけでなく、植民地であるシチリアやスペインなどの遠方から来る参加者が出発してから戻るまでの期間だったのです。

休戦は平和の為ではなく、参加者がが安全にオリンピアとの往復ができるようにする配慮から決められたものでした。
そして信託にも争いをやめよとあり、神のために祭典を邪魔するようなポリスは神罰が下ると考えられていたのです。

古代の戦争はのんびり

古代ギリシャのポリスは食糧の確保や覇権争いで互いにいつも争いを繰り返していました。

そう聞くと生きるのに必死でいつもおびえて暮らす荒んだイメージを持ちます。

しかし実際は古代の戦争にはルールがあり、基本的に戦争は小麦の収穫が終わった後、秋のオリーブの収穫までの夏の農閑期に行われていました。

年中行事のように夏になると食糧を求めて隣の収穫を奪い取るために戦争を始めますが、秋の声を聞くとオリーブやブドウなどの収穫のため戦争を止めて解散になります。

大体最大でも40日間の出来事です。
戦争での死者も1割程度だったと言われています。
食糧を得るための戦争なのに人が死んでしまうのは本末転倒です。

古代ギリシャの戦争ではこんなルールがありました。
奇襲・宣誓布告なしの戦争の禁止。
夜討ち朝駆けはなしで、夏以外の戦闘行為の禁止。
敗走する敵を追う時間と場所を制限。
伝令などの非戦闘員への危害を加えることの禁止。
宗教施設である神殿や聖地の占領を禁止。
飛び道具(弓矢や投石)の使用を禁止。

古代らしくとてものんびりとした人が生きることを中心にしたルールだと思います。

そうなるとオリンピアの祭典が行われる年は夏の戦争はお休みになりますので、その年の戦争はなくなり、結果的に平和の祭典といわれるようになったのです。

オリンピック期間中はどんちゃん騒ぎ

オリンピック期間中はどんちゃん騒ぎ

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誰もかれもがオリンピアの祭典で稼ぐ気満点

休戦期間になると選手たちだけでなく、その祭典を一目見ようとギリシャ全土から観覧者が集まってきます。

どんな人たちが集まってきているのかというと、基本的には男性ばかりです。

というのも古代ギリシャは完全な男性中心の世界で、基本的には女性は家にいるものであり、男性と同じく学んだり外で楽しみに興じることはありませんでした。
そのため、オリンピアの祭典への参加はできませんでした。

後年ローマ時代になると未婚の女性が家人の御目付を従えて観戦したこともあるようでしたが、既婚女性は絶対に入ることができませんでした。
それでもどうしても観たかった女性が男装をして忍び込んだというから、その観戦への欲求がとても感じられます。

そしてギリシャ全土から裕福な市民や知識人たちもくるこの機会はとても貴重。

会場のあちこちで宣伝をする者たちが場所せましと活動します。

ある役者は即興で寸劇を披露し、絵描きはその場で描いたり自分の作品を展示し、文筆家は自分の著作を朗読してその作品を発表します。
さらに簡易の食堂やワイン売りやお土産物のお店などが立ち並び、商売に勤しみます。
夜になると毎晩宴会が開かれてみな飲んだくれになっていきます。

そして、男性ばかりが集まる場所には必ずいる娼婦たちは1年分の稼ぎをこの祭典期間中にがっつりと稼いでいたと言われています。

舞台裏は大混雑

会場のあちこちで人々の思惑が飛び交い、どんどんとにぎやかになっていきます。
しかし、この夏に開催される祭典は大変劣悪な衛生状態であったことでも有名でした。

まず水の設備は観客用には整っておらず、常に人々はのどの渇きと戦っていました。
想像してみてください。
8月の暑さの中で水を満足に得ることができない辛さを。

これが解消されるのは実に900年の歳月がかかり、イロド・アティコスというものが給水施設を作ったことで以前より水に悩まされることはなくなりました。
この給水施設を作ったアティコスについて「このように安易に水を得ることができるのは選手や人々を堕落させる」と演説した者がいましたが、その者は人々から石を投げられ、翌日には「アティコスは素晴らしい偉業をなした」と賛美したということもありました。

また、排泄設備つまりトイレなどの整備はされておらず、近くの干上がっている川で用を足していたため、そこからハエや蚊が発生し、異臭と虫が漂っていたのです。
毎年ハエと蚊に悩まされており、会期前にはエリスの運営担当者たちがハエが発生しないように祈りゼウスへ祈りを捧げていたくらい困り果てていました。

お風呂?飲み水ですら整っていない中、そのような設備は選手のためだけにあり、観客は夏の時期にも関わらず風呂に入らず過ごしていました。
中には衛生状態の悪さから腹を下したり、倒れたりした者もいたと言われています。

古代ギリシャの奴隷はあまりに働きが悪いと「オリンピアに観戦にいかすぞ」と脅されるくらいその衛生状態の悪評はギリシャ全土に広まっていたようです。

真に高潔な精神か?選手とコーチと甘い誘惑

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