近世ヨーロッパになぜ起きたの!?悲しい歴史魔女狩りって何だったんだろう

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はヨーロッパ「魔女狩りの歴史」をご紹介します。

近世に本格化した魔女狩り

「魔女」と言えば白雪姫などの童話や「魔女の宅急便」などのアニメに登場し、なんだか憎めないイメージがありますよね。
でも一転して「魔女狩り」と言うと、陰険なイメージに変わってしまいます。
この魔女狩りは実は1400~1800年に行われたもので、その犠牲者の数は不明ですが、数十万とも数百万人にも及んだともいわれているのです。
一度魔女といわれたら絶対に生きては戻れなかった魔女裁判に送られる前には、過酷な拷問が行われていました。
邪悪な存在とされた魔女をこの世から抹殺するための処刑は遺体が灰になるまで焼き尽くされたとか。

また魔女は女性ばっかりと思われるでしょう。
しかし男性もいたんです。
現実には8割は女性でした…。
時代背景としては、大航海時代ごろから魔女狩りが始まっています。
魔女狩りは中世ではなく近世で起こった黒い歴史といってもいいでしょう。
なぜ、近世に魔女狩りが起こったのか?どれだけ辛い思いをさせられたのか?どうやって終焉を迎えたか?などを、簡単に触れてみたいと思います。
少しだけお付き合いくださいね!

なんで魔女っていうものができたの?

一説によると中世に飢饉が起こり大混乱に陥った上に黒死病の大流行という災厄が起こったのです。
人は何か悪いことが起こると何かのせいにしてしまうところがありますよね。
その犠牲になったのが魔女にされた人たちでした。
自分たちに降りかかってくる災難は魔女の妖術によるものとされ、その悪の根源を徹底的に排除してしまおうというのが、魔女狩りの始まりだったようです。

そのころの魔女は、悪魔と契約を結び、サバト(魔女の集会)で洗礼を受け、悪魔に臣従することを誓うと共に魔力を与えられて妖術を使うようになると信じられていました。
魔女志願者はサバトに参加した際に、キリスト教を捨てることの証明に十字架を踏みつけ、クリスチャンネームを破棄する代わりに悪魔の名前を授けられたようです。
その後1ヶ月以内に一人の子供を殺し悪魔に捧げたといわれています。

魔女狩りの始まり

魔女狩りの始まり

image by iStockphoto

魔女狩りは12世紀に始まった異端審判が発祥とされています。
異端者は正統派キリスト教を否定する人々のことで、いつしか異端的行為と魔女のイメージがシンクロするようになり、魔女=異端者とされるようになったようです。
魔女狩りが行われたころも、百年戦争などの戦争や、王侯の悪政、飢饉や伝染病が横行します。
人々はやりきれない気持ちにさいなまれ、どうして神様は守ってくれないのかとその理由を求め感情を法王庁にぶつけたのです。

答えに困ったのは法王庁。
出した答えが「諸悪の根源は悪魔と同盟を結んだ魔女にあり」というものでした。
歴史上中世から近世にかけてサバトが開かれたという記録はどこにも残っていません。
ということは魔女は存在しておらず、単なる虚像だったのです。
この恐ろしい虚像のでっち上げが、何十万何百万の罪なき人々を殺した原因でした。
要するに聖職者などによる集団的殺戮であり、中世キリスト教社会の闇の部分だったといえるでしょう。

苦しい思いをしている民衆は、躍起になって魔女を探しました。
自分たちを苦しめる魔女を探し出して殺せば、幸せな暮らしが戻ってくると信じたのです。
だれにも止められない伝染病の様に、魔女告発は広まっていました。
魔女と疑われたものの人生はその時点で終わりでした。
決して逃げられることができなかったのです。

残酷なやり方で魔女にされる人々

残酷なやり方で魔女にされる人々

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魔女裁判ってどのようにして行われたのでしょう。
実は裁判は先ほどお話しした、幸せを求める民衆の魔女告発から始まったのです。
単なる密告や世間の噂話、幼児が発する言葉なども証拠となっています。
風変わりな容貌、住所不定の輩たち、貧乏人や棚ぼたで急に裕福になった人など誰が魔女にされてもおかしくない状況でした。
一旦目をつけられたら即牢獄行き。
牢獄に入れられると重い鉄鎖をかけられたり、十字架に縛り付けられたり、身動き一つ満足にできない上に、環境も劣悪だったのです。

拷問室からの悲鳴と絶叫が聞こえ、死にそうなほど痛めつけられた人たちの呻き声や姿を目の当たりにしました。
中には拷問もされず、何ヶ月も審問開始を待たなければならず獄死する人さえいたようです。
審問は、悪魔とどんな契約を結んだか?魔女になって何年か?サバトに出席したかなど100件近い審問が行われています。
魔女との自白を強要され、違うといえば次の日から更に過酷な拷問が始まり、自白をすれば例外なく火刑や絞首刑に処せられたのです。







いつまでたっても終わらない魔女狩り

いつまでたっても終わらない魔女狩り

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こんな状態が続き、いつしか魔女発見業者という職に就く人まで出ていました。
次は自分じゃないかという不安が人々を恐怖へと追い込みました。
しかし、こんな状態になっても魔女狩りが終わることはありませんでした。
なぜかというと、魔女裁判を行う審問期間は私腹を肥やそうとする教会の餌食と化していたのです。
犠牲者の財産を狙い、言いがかりをつけては告発して自分の欲望を満たしていました。
なんて怖いことでしょう。

魔女裁判にかけられた人々の財産は、裁判官や教会へと流れていくのです。
しかも、拷問や処刑に使う物資などを斡旋すると、業者からはリベートが入るという状態でした。
民衆から始まった告発が、このころになると教会の資産を増やす格好の餌食となったのでした。
その証拠に、多くの人が処刑直前に無実を叫びながら死んでいったのです。

終わりごろには、処刑直前に最後の自己弁護の機会が設けられ、命と引き換えに多額のお金を払えば助かるというものでした。
ほんの一握りの人たちは、全財産をはたいて自らの命を取り戻したのです。
もう、ここまで来たら、合法的な殺人ということは明白ですね。

魔女狩りの終焉

魔女狩りの終焉

image by iStockphoto

全く根拠もなく殺されていく魔女とされた人々。
無実無根の罪で処刑された人々はもう数え切れないほどになっていました。
17世紀から18世紀にやっと反対運動が起こったのです。
中世末から魔女狩りが始まりましたが、始まった当初から反対派の声はありました。
やっとその声が神に届いたように、終息に向かい始めたのです。
いくつか要因はありますが一番大きかったのは、魔女裁判の見直しでした。

これまで自白が重視されていたのですが、裁判官たちに証拠の探索を行わせるようになったのです。
拷問を行うことが魔女狩り批判の中核となり、魔女狩り衰退へと繋がっていきました。
科学の発展により、民衆たちにも新しい思想が広がり、魔女信仰なんて馬鹿らしいという思いもあったのでしょう。
生活環境が改善されたことも大きな要因です。
ヨーロッパ中で広まっていた魔女狩りはやっと終焉を迎えることができました。

キリスト教は素晴らしいものという考え方を崩してはならないという思想から異端審問に端を発し、魔女狩りへと繋がった長く暗い歴史です。
無実無根の人々が二度と殺されてしまうようなことが、起こらないことを願います。

数え切れないほどの人々を火刑台に送った魔女狩りは忌まわしき過去

中世キリスト教の闇ともいわれる魔女狩りは、民衆の不満と不安の叫びから始まったもの。
いつしか、教会などの食い物にされるようになり、科学の発展と共に衰退していったようなイメージを持ちました。
人の命って本当に重たいものだということを感じると共に、平和が続くことを切に願います。
photo by iStock

Writer:

世界遺産ブームをきっかけに歴史に目覚めてから、国や城、庭園などの成り立ちに魅了された主婦です。何だろう?と思ったことを調べて、皆さんにお伝えすることで気持ちを共有できたら幸せだな~と感じながら仕事をしています。ちょっとマニアックな歴史記事ですが、軽い気持ちで触れてみてくださいね!

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