洪水の説話「ノアの方舟」って実在したの?メソポタミアに実在する説とは?

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「ノアの方舟の伝説」をご紹介します。

ノアの方舟って?

ノアの方舟って?

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旧約聖書『創世記』の6~9章に書かれている大洪水に纏わる「ノアの方舟」の話は映画としても紹介され、知らない人はいないほど有名な伝説ですね。
実は、この伝説に似た文献がいろんな国で見つかっており、本当にあった話では?と話題になっているんです。

人類が堕落して地上は悪で満ちたために、心を痛めた神様が人類を絶滅させる決意をしました。
神様に敬虔な生活を営んでいたノアだけは救いたいと思われ、彼に方舟を作らせ、家族とカップルの動物を乗せるようにお告げを授けます。
この後、40日間も雨が降り続き、150日間も水が引きませんでした。
もちろん方舟に乗れなかった、生き物は全て死んでしまいます。
この話は全てではないにしろ、実際に起こっていた話だという説が浮上しているのです。
今回は、このノアの方舟が実在したかの謎に少しだけ迫ってみたいと思います。

古代シュメールにあったノアの方舟伝説

古代シュメールにあったノアの方舟伝説

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今から、約5500年前、アダムとイブから10代目の子孫だったのが、先ほどお話しした「ノア」です。
彼が作った方舟に乗って神の怒りの洪水から身を守り、雨が止むと空にハトを放ち、オリーブをくわえて戻ってきたことで水が引いたことを知り、大地に戻ったという伝説。
この話からハトとオリーブが結び付けられるようになります。
ノアの方舟が乗り上げたのは東トルコのアララト山だったんですよ。
実は、中近東にはこの話に似た伝説がいくつも残っています。

古代メソポタミアに、「ギルガメシュ」という叙事詩があるんです。
これは、19世紀の中頃にイラク北部のチグリス川周辺で見つかった、アッシリア帝国の都“ニネヴェ”が発掘されました。
ここから発見されたのが、アッシュル・バニパル王の図書館です。
ここに眠っていたのが2万5000枚以上の粘土板の文章でした。
この中の一つが「ギルガメシュ叙事詩」でこの中にノアの方舟と似た内容があり、ノアの方舟は実在していたのではと話題になっているんですよ。

ギルガメシュ叙事詩とは?

この叙事詩は紀元前2000年ごろのシュメール時代から、断片的に書かれたとの説があります。
これは、ウルク第1王朝時代に実在したギルガメシュを主人公にした英雄叙事詩で、永遠の生命を求めて不死の賢人と会うための旅をするという内容です。
苦難の末、旅の目的の賢人ウトナピシュティムと出会った時に「大洪水」が起こり、四角い船を造って危機から逃れたことが書かれています。

こう見てみると、「ノアの方舟」の原型は、この話にあるのでは…?との説も納得ですね!このメソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』は、楔形文字で書かれた世界最古の文章として知られています。
でも、一番古いころには書かれていませんでしたが、旧聖書が書かれる何千年も前から存在していたんです。
しかも古代オリエントに書かれた、大洪水に纏わる伝説のほとんどはこれを起源にしているとか?

メソポタミアで実際に起きていた洪水

メソポタミアで実際に起きていた洪水

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実は、メソポタミア南部には頻繁に洪水被害が起きていたんです。
中には悲劇を生んだ甚大な洪水もあったでしょう。
その中でこの伝説が書き加えられたものだと考えられています。
ということは、なんだか本当にあったのかもしれないって感じませんか?ノアの方舟が乗り上げたトルコ東部の山岳地帯の雪解け水により、しばしば大洪水が起こっていたんです。

シュメール人が建設したとされる、都市のウルやウルク遺跡などからは、大洪水が起こったことが確認されています。
紀元前3500年ごろに作られたのでは?といわれる分厚い洪水沖積層が見つかり、洪水があったと立証されているんですよ。
これは地質学的にも立証され、ウルやウルク以外のメソポタミア都市遺跡のニネヴェやシュルッパクなどでも確認されています。
ノアの家があったのはシュルッパクの街とされているのです。







アララト山で見つかったノアの方舟の残骸

アララト山で見つかったノアの方舟の残骸

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このアララト山はアルメニアとイランの国境をまたぐように聳えており、聖なる高峰といわれています。
標高5165メートルもあるこの山には、「ノアの方舟」の伝説を信じてその残骸があるのではと多くの探検家や冒険家がこの山に登っているんですよ。
実際に、ノアの方舟を発見したとの報告もされています。

1883年にアララト山付近で地震が発生し、氷河の中から木造船っぽいものが見えたのです。
この時に、トルコ政府の要望で登頂が行われています。
そこには、木造物の一部が氷河から突き出ていました。
全体は見えませんでしたが、約50フィートも見えていたとか。
これは巨大な木でできたものであると報告されています。
しかも、1892年にはカルディア教会の副司教も「ノアの方舟」の存在を信じて山へ登りました。
彼も「まるで全て聖書の記述通りだった。」と発表し、木片の一部を持ち帰っています。
他にも色々な人々が発見しました。

1954年のフランスのフェルナン・ナヴァラが氷河から突き出た木片を持ち帰り科学鑑定にかけたのです。
鑑定権限のある研究施設で、年代測定が行われました。
最新が1250年前で最古のものは紀元前5000年ごろだとの結果でした。
かなりの誤差は出たものの、化石化したかなり古いものであることが分かりました。
期待は膨らみますね。
氷河の下でなければすぐにでも分かりそうなものですが…。

船形地形の発見!これこそノアの方舟?

船形地形の発見!これこそノアの方舟?

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別の場所にもノアの方舟説があります。
アララト山の南方約30キロメートルにある、アキャイラ連山の、標高1900メートル付近で発見されたのです。
これは、木の船が出たというわけではなく、地表に方舟らしき船形が現れました。
1948年に最初に発見された時は、まったく注目されなかったのです。
1595年突然脚光を浴びることになります。
トルコ空軍のパイロットのA・クルティス中尉が高度約3000メートルから撮った写真に偶然写っていたのです。
船縁が地上に見えています。

これが本当に船なのか、どの時代のもので本当にノアの方舟か?ということは全然分かりませんが、船縁らしきものということだけが見えたのです。
早速調査が行われました。
地形の長さは全長150メートル、中央の幅約45メートル、高さは15メートルに及んでいます。
この大きさなら、ノアの方舟といってもおかしくはないと、世界中で大騒ぎになったのです。

1985年にまた一歩調査が進み、新たな説ができています。
方舟の研究家デヴィット・ファーソルド。
彼が最新機器を使って再調査した結果、巨大船が浮かび上がったのです。
彼のたてた仮説はノアの方舟が最初にあった場所で、アキャイラ連山の頂上付近。
その後、地滑りが起きて今の位置に来たのではないかというのです。
土に埋もれたため、ほぼ原形を残せたのではといわれています。
地震や風雪で地表が侵食され、船の形が現れたようです。
この説も納得できますね。

「ノアの方舟」って素敵なファンタジー!

「ノアの方舟」って素敵なファンタジー!

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「ノアの方舟」ってやっぱり現実に起こっていたような気がします。
アララト山の氷河の下に眠っているのが本当か?地表に現れた船形地形が本物か?はたまた、はじめからノアの方舟なんてなかったというのが正しいのか?まったく未知の状態です。
伝説が現実になるかもってとっても素敵なファンタジーですね!
次のページでは『ノアの方舟ってなんだか神秘的で興味を惹かれますよね!』を掲載!
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Writer:

世界遺産ブームをきっかけに歴史に目覚めてから、国や城、庭園などの成り立ちに魅了された主婦です。何だろう?と思ったことを調べて、皆さんにお伝えすることで気持ちを共有できたら幸せだな~と感じながら仕事をしています。ちょっとマニアックな歴史記事ですが、軽い気持ちで触れてみてくださいね!

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歴史
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