香り高い紅茶は美しいティーカップで!紅茶をよりおいしくさせるティーカップの歴史に迫る

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「ティーカップの歴史」をご紹介します。

ティーカップって紅茶をよりおいしく見せる魔法の器

ティーカップって紅茶をよりおいしく見せる魔法の器

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紅茶は、ティーカップで決まるってところありますよね!ティーカップを変えると、味もいつもと変わってなんだか得した気分になっちゃいます。
そんなティーカップの形状は、古くから紅茶をおいしく飲めるよう工夫されてきたんです。
好きな器で香り高い紅茶を飲むひとときってとても素敵ですよね。
気の利いた喫茶店に入ると、ティーカップを選ばせて楽しませてくれるサービスもありますよね。
それだけティーカップは、紅茶を飲むために重要な存在なんです。

私にとってのティーカップって、昼下がりのティータイムをより華やかなものにしてくれちゃう魔法の器って感じなんですよ。
普段何気なく使っているティーカップにも、ちゃんと歴史があります。
アフタヌーンティーといえば美しいティーカップに注がれた紅茶がつきものって感じで、貴族がおしゃべりしながら穏やかな時間の流れを楽しむという高貴なイメージがありますよね。
そんな紅茶文化と共に成長してきたティーカップの歴史を少しだけ紐解いてみたいと思います。
少しだけお付き合いくださいね!

紅茶が生産できない英国が紅茶王国となった理由

紅茶が生産できない英国が紅茶王国となった理由

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英国が紅茶を扱うようになった理由はご存知でしょうか?英国って気候的な問題で、紅茶を作ることができないんです。
それなのに英国=紅茶っていうイメージが根強いですよね。
17世紀半ばに初めて紅茶が輸入されてきました。
自国で生産できないため、紅茶は王族や貴族を中心に、セレブ階級にたしなまれていました。
そのため、洗練されたインテリアとして茶道具が輸入され、おいしいティーフードも作られたんですよ。
そして、アフタヌーンティーが生みだされています。

実は、英国はオランダとコーヒー販売競争に敗れてしまい、その代わりになるものはないかとイギリス東インド会社が血眼になって探したところ、紅茶がヒットしたのです。
当時唯一の紅茶輸出国だった中国からの輸出量は格段に増加していきました。
ここから、イギリス東インド会社が紅茶貿易を独占するようになり、大量の紅茶が英国内に持ち込まれるようになったのです。

中国産が主だったティーカップ

中国産が主だったティーカップ

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紅茶って結構湿気を吸っちゃいますよね。
海外から物を持ち運ぶのは船が多く、湿気を吸いやすい紅茶を風味高いままに運ぶために、船底にバラスト(底荷)として陶磁器がヨーロッパに持ち込まれるようになったのが、ティーカップが英国に入ってきた理由です。
船に積む陶磁器の割合は6%ほどだったとか。
これが、18世紀になると年平均4000トンの紅茶が輸入されていたので、最盛期にはティーカップやティーポットなどの陶磁器は約240トンも輸入されていたようですね。

当時、中国にはポットを使う習慣がなかったんです。
それに初期の頃はティーカップにも取手が付いていませんでした。
しかも、このような陶磁器はイギリス人の特注品だったといわれています。
中国からは茶道具としてたくさんの茶碗が輸入されていました。
西洋では磁器を作る技術はなく、その珍しさと美しさに西洋の人々は魅了されたのです。
白くて透き通るほどに薄いのに耐久性に富んだ中国の陶器は東洋を連想させるエキゾチックなものとして珍重されました。
1662年にキャサリン妃がポルトガルからチャールズ2世に輿入れした時に英国にお茶の文化が入ってきたようです。
このキャサリン王妃の影響で宮廷紅茶の習慣が定着しました。

影響力の強かったティーカップ

影響力の強かったティーカップ

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オランダやポルトガルをはじめ、王侯貴族たちの間ではティーカップの収集家がでるほどでした。
ティーボウルはある意味芸術作品として扱われたのです。
中には集めた磁器を収納するための部屋を作る貴族までいたほど。
この頃に貴族の間で流行したのは、高価な茶具を持った肖像画を描かせることでした。

このティーボウルが初めて入ってきた頃は、小さなものでした。
一回のお茶をたしなむのに、10杯も20杯もお茶を継ぎ足していたとか。
それはお茶が薬として入ってきたことと、高額商品だったことを表しています。
オランダインド会社が輸入する陶器には茶碗だけでなくお皿も付いていました。
同じ柄のティーボウルと皿を組み合わせてティーセットとして使っています。
中国ではお茶にはお菓子がつきものですが、この頃の西洋では、紅茶にお砂糖を入れる文化はあっても、お菓子と一緒にたしなむことはなかったといえるでしょう。







取手がなかったティーカップはどうやって飲んだの?

取手がなかったティーカップはどうやって飲んだの?

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これまでの作法はポルトガル式でした。
オランダの宮廷で花嫁修業をしていた、メアリー王妃が流行の最先端だったオランダ式の作法を英国宮廷に紹介したのです。
それは、やかんで煮だした紅茶をティーボウル(取手の無いティーカップ)に移し、その後受け皿に移して飲むというものでした。

紅茶は熱いお湯でないとおいしく入れられません。
しかし、熱い紅茶は西洋の人には飲みづらく、お茶受けに移したのは覚ますためだったといわれています。
受け皿にお茶を移す飲み方は、フランスやオーストリア、ドイツ、ロシアなどヨーロッパ各地にオランダから広がっていましたが、英国には知られていなかったのです。

ティーポットの普及

ティーポットの普及

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この頃の宮殿にはお茶を飲むためだけに造られた茶室がありました。
中でも1702年に英国女王として即位したアン王女はお茶好きで、朝に寝覚めの一杯を飲んでいたことは有名です。
アン王女の影響で上流階級の人々の日常には紅茶は欠かせないものとなっていました。
アン王女の時代には新たな茶道具が流行します。

17世紀末頃に東洋からポット(急須)が輸入されるようになったのです。
このポットは西洋の人には小さく、お茶会などもよく開かれる西洋では大きなポットが理想だったので、アン王女は純銀で大きなポットを造らせました。
王女が大好物の洋梨形をしたティーポットが作られ「クィーン・アン・スタイル」と呼ばれるようになったのです。
ここから人前でお茶を入れるようになりました。
そのおかげで、女主人も社交の場で会話を楽しむように変化します。

取手付きの器っていつごろからできたの?

取手付きの器っていつごろからできたの?

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1740年代より国産陶磁器が作られるようになりました。
そうすると、これまで使いにくかったティーボウルにも変化がでてきます。
ボウルの部分に持ちやすいようにハンドルが付けられたのです。
これで現在の形の「ティーカップ&ソーサー」の形になりました。
このハンドル付きのティーカップが出回ると誰もが使いやすさに人気が殺到したのです。

でも、まだ初期の頃は、ハンドルは受け皿に注ぐための役割でした。
どれだけ西洋の人って猫舌なんでしょうね。

その理由の一つには、初期の頃は糸尻部分が作られてなく、ソーサーも飲めるように深いものだったことも要因しているようです。
ティーボウルにこだわる傾向は19世紀半ばまで続きました。
これ以降はティーボウルの製造が徐々に減り、お皿も薄くなり現在の様なティーセットが出来上がります。

次のページでは『近年から現代のティーカップの進化』を掲載!
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Writer:

世界遺産ブームをきっかけに歴史に目覚めてから、国や城、庭園などの成り立ちに魅了された主婦です。何だろう?と思ったことを調べて、皆さんにお伝えすることで気持ちを共有できたら幸せだな~と感じながら仕事をしています。ちょっとマニアックな歴史記事ですが、軽い気持ちで触れてみてくださいね!

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