クロワッサンの旗印?アジアとヨーロッパにまたがるオスマン帝国の歴史

クロワッサンを食べたことはありますか。フランス語で「三日月」という意味ですが、このパンの由来がオスマン帝国にあることは、きっと御存じないでしょうね。オスマン帝国の国旗は、三日月と星。ではなぜ、オスマン帝国の象徴である三日月が、があの有名なパンの名前になったのでしょうか。オスマン帝国の全盛期には、かつての東ローマ帝国をしのぐほどの領土があったのですよ。それに、科学技術もヨーロッパより進んでいたのです。さあ、アジアとヨーロッパにまたがるこの大帝国の歴史をひもといていきましょう。

オスマン帝国のルーツはアジアから来た遊牧民

オスマン帝国のルーツはアジアから来た遊牧民

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1299年がオスマン帝国建国の年とされています

オスマン帝国は、オスマン・トルコの名前でも知られていますね。
小アジア半島とも呼ばれるアナトリアの遊牧民が、オスマンのルーツとされています。
アナトリアは、かなりの期間、ビザンツ帝国の支配下にありましたね。
ビザンツ帝国はもともと、395年にローマ帝国が東西に分裂したあとの東ローマ帝国ですね。
東ローマ帝国、すなわちビザンツ帝国は、西ローマ帝国がゲルマン民族によって滅ぼされたあとも、ヨーロッパのバルカン半島と、アジアのアナトリアからアラビア半島の西側、さらにアフリカ北部までを版図として存続します。

この地域には、さまざまな民族が住んでいますが、イスラム教という共通の宗教をもっていますね。
第1回十字軍からほぼ200年たった1299年が、オスマン帝国の建国の年ということになっているのですよ。
オスマンのルーツは、13世紀後半から、アナトリア西部に根拠地をおく遊牧民。
十字軍というと、キリスト教徒とイスラム教徒との戦いというイメージですが、オスマンの一族は、キリスト教徒たちと比較的うまく付き合っていた、とも言われています。

スレイマン・シャーの伝説とアナトリア

1290年代から、オスマンの一族は、戦士の集団となって、ビザンツ帝国とも争うようになったのですね。
そして、いくつかの小都市を占領し、ひとつの「国家」となったというわけです。
それが1299年。
まだ「帝国」と呼べるような大きな国ではありませんでしたが、戦士集団となった一族を率いるオスマン・ベイが、オスマン1世になったのですね。
この国が、周辺地域を次々と支配していき、ついに1453年にビザンツ帝国を滅ぼすことになるのですが、それはまだまだ先の話。
この時点では、アナトリアにあったいくつもの小さな「侯国」のひとつにすぎません。

オスマン・トルコの歴史については、1400年以降に作られた叙事詩『イスカンダル・ナーメ』に語られているのですが、伝説の域を超えるものではないようですね。
それ以外にも、いろいろな歴史書が書かれていますが、そのなかで、スレイマン・シャーの伝説が興味深いので、ここで紹介しておきましょう。
オスマンのルーツが遊牧民ということは、そもそもモンゴルから来た可能性がありますね。
スレイマン・シャーこそ、まさにその遊牧民のリーダーで、アナトリアまで来たものの、やはり東に帰ろうとして、崖から転落死し、そのため、彼に率いられた一族は、ここに定住したというのです。

オスマン帝国の国旗が三日月と星になった理由

オスマン帝国の国旗が三日月と星になった理由

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オスマン帝国の始祖オスマン・ベイが見た夢

オスマン帝国の始祖は、1299年に「スルターン」になったオスマン・ベイ。
もっとも、この時点でスルターンを名乗っていたかどうか、不明な点もありますが、彼が、自分の名前をそのまま王朝の名前にしたのは確かです。
そのルーツにしても、また建国にまつわるいくつかの物語にしても、どこまでが現実でどこまでが伝説なのか、よくわかりませんね。
オスマンがまだ若いころ、ある女性に恋をして求婚するのですが、長老であるその父親は断固としてこれを拒否。
それはなんと2年間も続いたのでしたが、ある日、オスマン・ベイはその長老の家に宿泊して、夢を見たのでした。

その夢のなかで、彼は、ある谷間の都市に来たのですが、そこには、黄金の円屋根の家が建ち並び、三日月の印がつけられていたのですね。
木立に風が吹きつけて、木の枝がコンスタンティノープルの方向を指したのでした。
その風景はちょうど、2個のサファイアと2個のエメラルドで飾られたダイヤモンドに見えたのでした。
これこそまさに、黒海とエーゲ海、アジアとヨーロッパとを支配するオスマン帝国の姿の象徴。
この夢を長老に話すことで、彼は長老の娘マル・ハトンとの結婚を許されたというのですね。

はじめてビザンツ帝国に勝利した記念日

この夢の話もたぶん作り話ではありますが、ただ、オスマンと、西部アナトリアの有力者エデバリとの結びつきが語られている点では、真実かもしれませんね。
こうして、オスマンは、ビザンツ帝国のキリスト教の諸侯が支配する国々を、自分の領土にしていったのですね。
その最初が、1291年のカラジャ・ヒサルという都市の獲得で、この年をオスマン建国の年とする説もあるようですね。
その後の10年間で、オスマンは、最初はごくわずかだった領土を、次々と拡大していったのでした。

1302年7月27日、ビザンツ帝国軍との戦いに勝利。
この日はオスマン帝国の記念日になっています。
1258年に生まれたとされるオスマン1世は、このとき40代半ば。
支配者としての風格も備わってきた頃でしょうね。
イスラム教徒対キリスト教徒という構図で、これらの戦いをとらえてしまいがちですが、実際には、オスマンはキリスト教の騎士なども取り込んでいます。
また、キリスト教では異端にされてしまう神秘主義の教団員たちも加わったのですね。
それが、この時点ではまだ小さな「侯国」でしかなかったオスマンの国が、やがて多くの民族を支配下に置く「帝国」になった理由のひとつと考えていいでしょう。
なぜなら、神秘主義は、天文学や物理・化学をベースにした科学技術の側面も持っているからです。

オスマン1世とその後継者たちはバルカン半島に進出

オスマン1世とその後継者たちはバルカン半島に進出

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「緑のブルサ」攻略の最中にオスマン1世は戦死

1308年、オスマン1世は、アク・ヒサルの城を陥落させることに成功。
これで、ビザンツ帝国への道を確保したのでした。
そして次は、「緑のブルサ」と呼ばれるブルサで、ここは豊かな自然だけではなく、手工業の中心地でもあったのですね。
しかし、それだけにここを陥落させることは、容易ではありません。
オスマン1世は、用意周到にブルサの攻撃の準備をしたのでした。
そして、1326年、満を持してブルサを攻撃。
しかし、ブルサを陥落する直前に、オスマン1世は戦死していまったのですよ。

オスマン1世を継いだ息子のオルハンは、ブルサを手に入れ、ここを国の首都にしたのですね。
この第二代スルタンであるオルハン1世の時代に、オスマン侯国は、法を整備したり、軍制を改革したり、新しい貨幣を鋳造したりして、国家としての基礎を築いたのでした。
世界史の教科書にも載っている、この時代の有名な旅行者イブン・バトゥータは、トルコ系遊牧民の君主のなかで、オルハン1世がもっとも優れていると書き残しているのですよ。

ビザンツ帝国の後継者争いに介入

皇帝はただひとり、ということなので、とかく後継者争いが起こりますね。
ビザンツ帝国でも、ヨハネス5世とヨハネス6世との間で争いが起こりましたが、オルハン1世はヨハネス6世の娘と結婚して、ヨハネス6世と同盟。
そのため、ヨハネス5世の同盟者であるセルビア人やブルガリア人と戦うことになったのでした。
セルビアもブルガリアも、現在はバルカン半島にあるヨーロッパの国家ですね。
その結果、オスマン侯国はアナトリアを越えて、バルカン半島に進出する大義名分を得た、ということになりますね。

1354年にヨハネス6世が死んで、この同盟が解消したあとも、オルハン1世のバルカン半島侵攻は継続し、1357年にはトラキアに進出。
ビザンツ帝国も、「帝国」という名称は維持していたものの、もはや実体は「帝国」ではなかったのですね。
オルハン1世の後継者は、その長男で、すでにオスマン軍の長であったスレイマン・パシャと決まっていたのに、なんと1359年に、狩猟中に落馬して死亡。
期せずしてオスマン侯国の三代目は、ムラト1世ということになったのですね。
「強者三代続かず」などと言われることもありますが、オスマン侯国は、ムラト1世の慎重な政策によって、その後ますます発展したのですよ。

piaristen

Writer:

Piaristenというのは、教育を主体とする修道会のことで、あちにちにそれが運営する教会や学校があり、ウィーンに住んでいたとき、うちの子どもが八区にあるピアリステン小学校に通いました。専門はオーストリア文学ですが、私の研究している劇作家もここのギムナジウムを卒業し、壁には彼のレリーフが飾ってあります。

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