なぜ「天動説」でなく「地動説」なのか?文系でもわかる天文学の歴史

太陽を中心に地球や惑星が回っている……。コペルニクスの唱えた「地動説」を、わたしたちは当たり前のように信じています。でも、地動説が正しいとどうしてわかるのでしょうか?「天動説」を唱えた昔の人たちは単純にまちがっていたのでしょうか?今回は天文学をめぐるいろいろな説とその歴史を、わかりやすく紹介します。アリストテレスやプトレマイオスなど「天動説」を唱えた人々には、じつはとても深い考えがあったのです。

天体を合理的に説明する試みが、古代ギリシアではじまった

天体を合理的に説明する試みが、古代ギリシアではじまった

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天体にまつわるたくさんの謎

旅先で、ふと夜空を見上げると、満天の星。
日常のささいな悩みなど忘れて、このひろい世界と、そのなかにいる自分について考えたくなる……。
そんな瞬間はありませんか。
これから紹介するのは、そのようにして夜空と世界に取りつかれた人たちの物語です。
その時代は高層ビルも街の灯りもなく、いまよりもっと、夜空が身近に不思議に感じられた時代でした。

空をながめていると、いろいろな不思議と出会います。
太陽はかならず東からのぼって西にしずみ、翌朝には休むことなくまた東からのぼってきます。
また月も東から西へと移動し、しかも28日周期で満ち欠けをくりかえします。
夜空にかがやく星々も、日没から夜明けにかけて東から西へと動いているようにみえます。
なぜこれらの天体は1日かけて、東から西へと動くのでしょうか。

また毎夜おなじ時間に夜空をながめると、いくつかの星は位置がちがってみえます。
そこで昔の人は、これらの星をまるで惑うように動くことから「惑星」、そして位置のかわらない星を「恒星」と名づけました。
なぜ惑星は夜ごとに位置がちがってみえるのでしょうか。
そして恒星も季節の変化によってすこしずつ西から東へ動き、1年経つと元の位置にもどってきますが、これはなぜでしょうか。

こうした疑問の数々に、はじめて合理的に答えようとしたのが、古代ギリシアの人々でした。

イオニア学派アナクシマンドロスの天体説

古代ギリシアで最初に学問が花開いたのはトルコ西海岸、昔でいうイオニア地方です。
イオニア学派を代表する哲学者タレスは、日食の日にちを予言したといわれています。
そしてタレスの弟子であるアナクシマンドロスがギリシアではじめて、天体にかんする体系だった説をつくりあげました。

アナクシマンドロスによると、この世界は「アペイロン」という万物の根源からできています。
アペイロンは水や火や物質などすべての素で、現代の素粒子理論に似ていなくもありません。
そしてアナクシマンドロスは、われわれの大地は平らな円盤型をしており、そのまわりを太陽や月や星がまわっていると考えました。
これで天体の1日周期の運動(日周運動)が説明できます。
空をながめていれば、天体のほうがわれわれの周りをまわっていると考えるのが自然でもあります。

ただアナクシマンドロスの説では、なぜ惑星が奇妙なうごきをするのか、また恒星が1年周期で西から東へうごくのはなぜなのかを、説明できませんでした。
またアナクシマンドロスはこの大地を平らな円盤型としましたが、やがてこの説も否定されていきます。
地球は丸いと、ピタゴラスが唱えたからでした。

ピタゴラス学派の「地動説」

ピタゴラス学派の「地動説」

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数学を愛したピタゴラス学派

「ピタゴラスの定理」で有名なピタゴラスは、紀元前6世紀に活躍した学者で、タレスやアナクシマンドロスと同時代人です。
ピタゴラスはイタリアで教団をひらき、数学による調和を重視した学問をつくりあげました。
弦の長さと音の関係を見出したり、整数に神秘的な性格をあたえたり、ピタゴラスの定理から無理数(√2)が出てきそうになると発見した弟子を溺死させたりといったエピソードが伝わっています。

またピタゴラスとかれの弟子たちは、もっとも美しい形として円や球を愛しました。
円や球には始まりも終わりもなく、どこまでも完全で調和がとれているからです。
この円や球を愛する傾向はのちのギリシア人たちにもひきつがれました。
ピタゴラスがこの大地は球であるとしたのも、あるいは球という形を愛していたからかもしれません。

このピタゴラスの説は、「万学の祖」アリストテレスによって確かめられました。
水平線のむこうからやってくる船は帆の上側から見えてくること、月食を観察すると地球の影が丸いこと、北極星を見上げる角度が緯度によってちがうことなどから、地球はたしかに丸いと、アリストテレスは結論づけました。
こうして古代ギリシアでは、地球がまるいことはひろく知られるようになりました。







フィロラオスの地動説は2つの天体をつけくわえたもの

またピタゴラス学派は、当時としては画期的な天体説をうちだしていきました。
その代表例が、フィロラオスによる地動説です。
フィロラオスは地球が自転も公転もしていて、惑星とともに宇宙の中心のまわりをまわっていると考えました。

ただ現代の説とちがっているのは、太陽もまた惑星とともにまわっていること、そして宇宙の中心には「中心火」、地球と反対側には「対地球」というあらたに2つの天体を仮定したことです。
そんな天体は見たことないという反論にたいしては、地球は中心火と対地球につねに背をむけるように自転・公転しているから見えないのだ、と説明しました。

フィロラオスの生きた紀元前5世紀には、すでに水星・金星・地球・火星・木星・土星、月と太陽という8つの天体が発見されていました。
しかしピタゴラス学派の人たちにとって、天体はぜんぶで10個である必要がありました。
なぜなら10という数は1+2+3+4の答えであり、特別な数だったからです。
そこでフィロラオスは「中心火」と「対地球」という2つの天体を加えて、宇宙を体系づけたのでした。

しかしフィロラオスの説もまた、惑星の奇妙なうごきや恒星の1年周期での運動(年周運動)をうまく説明することはできませんでした。
イオニア学派もピタゴラス学派も、どちらかといえば観念的な説明だったのです。
天体のうごきをより正確に説明しようという試みは、紀元前4世紀以降のことになります。

アテネで花開いた古代ギリシアの天文学

アテネで花開いた古代ギリシアの天文学

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マトリョーシカのボール版?エウドクソスの同心球説

紀元前4世紀前半に活躍したプラトンは、ギリシアのアテネにアカデメイアという学園を建て、数学をはじめとしたさまざまな学問を奨励しました。
古代アテネの絶頂期でもあるこの時代に、ギリシアの天文学もまた花開き、いろんな説が登場しました。

プラトンと同時代人であるエウドクソスは、ギリシアではじめて、惑星の奇妙なうごきを体系だって説明しようとしました。
エウドクソスの考えた宇宙とは、不動の地球を中心に、同心円ならぬ同心球が何重にもとりまいているというものでした。
ちょうどロシア人形のマトリョーシカがボール型になっていると想像するといいでしょう。

いちばん外側のボールには無数の恒星がはりついています。
そのひとつ内側には土星のはりついたボール、さらに内側には木星、以下同様に火星、太陽、金星、水星、月とつづき、最後には地球が中心にあります。
それぞれのボールは地球のまわりを回転していますが、回転方向がちがっていたり、回転軸がずれていたりして、それが惑星の不規則なうごきをもたらすのです(正確にはひとつの惑星が3、4個のボールをもっているとしました)。

エウドクソスは数学者でもあったので、回転速度や軸のずれをうまく調節して、惑星の動きを説明することに成功しました。
しかしこの説にも弱点がありました。
地球と惑星との距離が近くなったり遠くなったりすることは当時から知られていたのに、この説ではそれがうまく説明できなかったのです。
ただこの同心球説はアリストテレスなどに影響をあたえていきました。

ヘラクレイデスの説と、円運動にとらわれる天文学者たち

エウドクソスより20歳ほど年下のヘラクレイデスは、アカデメイアでプラトンに学び、さらにアリストテレスにも学んだ人でした。
ヘラクレイデスの考えた宇宙はエウドクソスとおなじく地球を中心としたモデルでしたが、3点ちがいがありました。
地球は不動ではなく自転していること、惑星の軌道は球ではなく単純な円であること、そして水星と火星だけは太陽のまわりをまわっているとしたことです。

当時から水星と火星はとくに不規則なうごきをすることが知られていました。
そして太陽のそばをあまり離れないこともわかっていました。
そこでヘラクレイデスは、太陽もまた地球のまわりをまわるが、水星と火星のみは太陽のまわりをまわっているとしたのです。
つまり水星と火星は太陽という惑星の衛星のようなものだとみなしたのでした。

エウドクソスやヘラクレイデスなどの説は、いずれも天体の軌道を円、または球であるとしているところが特徴です。
これはプラトンがピタゴラス学派の教えを受け継いで、円や球の美しさ・完全性を強調したところから来ています。
ネタバレをすると、じっさいの惑星軌道は円ではなく楕円です。
17世紀にケプラーがこれを発見するまで、天文学者たちはみな円運動にとらわれていたのでした。
こうした思い込みは、つづくアリストテレスやアリスタルコス、プトレマイオスやコペルニクスたちにも引き継がれていきます。

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