圧倒的な強さで大帝国を築いたアレクサンドロス大王は、1匹の蚊によって絶命した

アレクサンドロス大王は、哲学者アリストテレスを師としてギリシア文化を学び、東方遠征でペルシア帝国を滅ぼし、インダス川の東までの広大な領地を治めた人物です。色白で結構イケメンの王だったと伝わっています。イケメンで実力のあるアレクサンドロス大王ってどんな人物だったのか気になりませんか?今回は、アレクサンドロス大王の歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

アレクサンドロスの誕生

アレクサンドロスの誕生

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有名なフランスの王ナポレオン・ボナパルトが7人の英雄の一人に選んだ凄い人物の一人が、アレクサンドロス大王。
他には、ガイウス・ユリウス・カエサルやグスタフ・アドルフなどが挙げられています。
紀元前356年、マケドニア王国の都ペラで、アレクサンドロスは、フィリッポス2世とエペイロス王女オリュンピアスの間に生まれました。
実は、戦地にいたフィリッポスに王子の誕生の知らせが入った時、自身の戦いの勝利と将軍の勝利という2つの戦争に勝ち、王の馬がオリンピックで優勝という3つの勝利が重なっており、この王子は負け知らずになると非常に喜んだようです。

アレクサンドロスが13歳の時、マケドニア出身の哲学者アリストテレスが家庭教師になりました。
「勇気ある行動をとることによって、勇敢になれるのだ」など、名言を数多く残した人物に学問を学んだからこそ、大王と呼ばれる存在にまでなったのでしょう。
元々アルゲアス王家の父と西隣モロシア王家の母というサラブレッドの間に生まれた王子なんですけど。

王となるアレクサンドロス3世

 王となるアレクサンドロス3世

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諸説はありますがアレクサンドロスは、髪は金髪で色白ととっても美しい青年だったようです。
左右の目の色が違い右目は黒、左目は青みがかった灰色だったとか。
この目の色から「一眼は夜の暗闇を、一眼は空の青を抱く」という伝説が残っています。
彼は父が遠征で留守の時、反乱を起こしたマイドイ族を難なく鎮圧しました。
その上マイドイ族の町を占領し、ギリシア人を入植させ都市を建設しています。
この町を彼は「アレクサンドロポリス」と名付けました。

紀元前338年に父に伴い一軍の大将としてギリシア地方に出兵。
アレクサンドロスが18歳の時、初陣にもかかわらずアレクサンドロスが騎兵を任されたのです。
これはカイロネイアの戦いといいマケドニア軍の圧勝でした。
紀元前336年に父フィリッペは目標としていたペルシア遠征を目前にしており、1万の先発部隊が出発しています。
次にフィリッペが出陣する前日、彼は娘の結婚式の宴会で席を離れ一人になった時に、側近護衛官のパウサニアスによって暗殺されました。
即死だった父の後を継いだのはもちろんアレクサンドロスです。

有能だったアレクサンドロス3世

有能だったアレクサンドロス3世

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彼は即位してすぐ、父の葬儀を執り行い立派な墓を建ています。
父を殺した護衛官は事件の時に既に槍で突き殺されましたが、その後共犯者が続々出てきたためその全てを捕らえ処刑しました。
20歳という若さででマケドニア王を継承したアレクサンドロスは、敵対者を排除しマケドニアで揺るぎない権威を確固たるものとすると、ペルシアと内通して反旗を翻したテーベをギリシア諸国の見せしめとして、徹底的に破壊ています。
マケドニアは、アテネやテーベなど他の国から見れば辺境の地にある粗野な国として馬鹿にされていたのです。

しかし、テーベを破壊したことで更に権力を強めたアレクサンドロス大王は、いよいよ父の遺志を継ぐべく、東方遠征が始まります。
遠征を始めると、大王のマケドニア軍は当時の強国ペルシアを倒しちゃうほどの力を持っていたのです。
紀元前334年のグラニコスの戦い、紀元前333年のイッソスの戦い、紀元前332年のエジプト征服、紀元前331年ガウガメラの戦いと続き最終的にペルシアを倒しました。
この時のアレクサンドロス大王の強さは神がかっており、モザイク画などにも残されており、有名なモザイク画「イッソスの戦い」はナポリの考古学博物館に所蔵されています。

グラニコスの戦い

グラニコスの戦い

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それではどういう戦いだったかを簡単にご説明します。
紀元前334年5月のグラニコス川の戦いでは、マケドニア軍3万8000人でペルシア連合軍は4万人でした。
アレクサンドロス大王は先頭をきって突撃し、敵の大将ミトリダテスを自ら破っています。
しかし、混乱戦だったために大王自身も襲われ側近のクレイトスの助太刀で命拾いしました。
彼の人生における戦いの場で一番危うい瞬間だったとか。
しかし、戦いで勝利したことにより、小アジア遠征へ突き進んでいきます。






イソックスの戦い

イソックスの戦い

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紀元前333年10月には天下分け目の大戦争といわれる、大王率いるマケドニア軍とダレイオス3世率いるアケメネス朝ペルシア軍の戦いです。
この戦いでアレクサンドロス大王軍は、ペルシア軍に対して初めて勝利しています。
この勝利によりマケドニア軍の強さを、当時「世界最大にして最先端の帝国」と称されたペルシア軍に見せつけたのです。
マケドニア軍は4万足らず、ペルシア軍は12万の軍勢だったといいます。
ナント3倍の軍にマケドニア軍は勝利したのです。
神がかっているとしかいえませんね。

この時、ダレイオスはマケドニア軍をみくびっており、母・妻・娘を戦場に連れて行っていたようです。
もちろん戦利品として連れ帰り捕虜としました。
その時の捕虜は婦女子を含む3万人にも及び、ペルシアから和解の申し出があったほど。
しかし、アレクサンドロス大王は拒否し更に前進します。

エジプト征服

エジプト征服

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シリアとフェニキアを征服するとエジプトを目指すべく更に南下しました。
当時エジプトはペルシアの支配下にあったんです。
エジプトでは解放者として大歓迎を受けています。
エジプトの人々に認められ「アモン神の子」として王の称号ファラオを与えられました。
彼の像が造られ、アメン神殿に祀られています。
このエジプトに半年間滞在した大王は、紀元前331年にナイル川の河口に町を建設。
ギリシアとエジプトを融合した都市造りをし、文化的にも経済的にも大繁栄しました。
現在もこの街は彼に因んだ名前の「アレキサンドリア」と呼ばれています。

ガウガメラの戦い

ガウガメラの戦い

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紀元前331年10月1日に起こったイソックスの戦いで、大王軍に大敗を期したダレイオス3世が、ガウガメラの平原で戦った会戦です。
敗戦の教訓を活かし、国運を賭けて挑む決意でのぞんでおり、ペルシア全土に総動員をかけました。
ペルシア軍は20~30万を超えており、それに比べてマケドニア軍は4万7000人が、チグリス川東岸のガウガメラという小村の平原において激突。
マケドニア軍も重臣が負傷し死者が出るなど痛手を負いましたが、大勝し名実ともに「アジアの主」としての地位を固めました。
翌年ペルシア帝国は滅亡しました。
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