「暗黒の木曜日(Black Thursday)」から始まった世界恐慌!いったい日本にはどんな影響を及ぼしたの?

1929年10月24日にアメリカで起こった株の大暴落「暗黒の木曜日(Black Thursday)」と、その後の10月29日に「悲劇の火曜日(Tragedy Tuesday)」という大暴落を起こし、世界中を巻き込んだ「大恐慌」って世界経済にとって印象的な事件ですよね。この世界的な不況が、日本に及ぼした影響ってどういうものか気になりませんか?今回は、昭和恐慌ともいわれる、ウォール街の大恐慌が及ぼした日本経済の弱体化の歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

ニューヨークのウォール街が不穏な空気に包まれた「暗黒の木曜日」ってどんなもの?

ニューヨークのウォール街が不穏な空気に包まれた「暗黒の木曜日」ってどんなもの?

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アメリカは1920年代の半ばかつてないほどの好景気に沸いていました。
農作物を中心に経済にゆとりが生まれており、株取引がトレンドとなりみんなが株を買っていたのです。
しかし、1929年10月24日に、ゼネラルモーターズ株価が80セントほど下落し、株の売りが多くなってしまいました。
それを、新聞がオーバーに大暴落って報じちゃったので、みんな大騒ぎ!だって株って最悪、紙切れ1枚になっちゃうでしょ。
信頼性の高い新聞が「大暴落」と書いちゃったから不安になっても不思議はないですよね。

ウォール街では今にも暴動が起こりそうな雰囲気で、400人の警官隊が配備され警戒態勢に入りました。
シカゴとバッファローでは市場が閉鎖されました。
この日だけで投機業者の自殺者が11人も出てしまいました。
木曜日だったため、後に「暗黒の木曜日」と呼ばれました。
翌日の25日には、大手株仲介人と銀行家たちが買いを支えたため一時的に市場は静けさを取り戻しました。
でも、長くは続かなかったんです。

「悲劇の火曜日」

「悲劇の火曜日」

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24日一日で、時価総額140億ドルが泡と消えてしまいました。
驚くことに週間では300ドルが消え去ってしまったのです。
28日にまた、大暴落が起こってしまいます。
ダウ平均が13%下がったのです。
翌日29日にはさらに大暴落という悲劇となりました。
これが「悲劇の火曜日」です。
投資家たちにとっては大問題でした。
この損失を埋めるために様々な地域や分野から資金を引き上げるなど損失補填に奔走しました。
しかも、アメリカに依存していた各国の経済も連鎖的に破綻したのです。
もちろん日本もあおりを受けています。

世界的には影響の少なかったウォール街の大暴落

世界的には影響の少なかったウォール街の大暴落

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アメリカの株式市場における存在はさほど大きいものではなく、被害はアメリカ内に留まったといわれています。
しかも、経済ではこれまでも不況を乗り越えたという実績もあったので、世界恐慌の原因は、その後の銀行の連続した倒産による金融システムの停止とFRB(アメリカ連邦準備制度理事会)の金融政策の見込み違いが重なったためだったとの説もあります。

だいたい、世界恐慌の始まりはこんな感じです。
それでは、日本に及ぼした世界恐慌の影響を見てみたいと思います。

日本で起こった昭和恐慌

日本で起こった昭和恐慌

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日本が世界恐慌の影響で苦しめられたのは、昭和5年(1930年)~翌昭和6年(1931年)です。
これは後に「昭和恐慌」と呼ばれました。
でも日本って世界恐慌に入る前から、不況の渦の中だったんです。
第一次世界大戦での大戦景気が終わり、大正9年(1920年)には反動恐慌となり、大正12年(1923年)の関東大震災では日本経済に更に追い打ちをかけ震災恐慌となりました。
ここでインフレーション的な経済救済措置が行われ破綻せずに済んだのです。
ここまでが大正時代に起こったことで、やっと昭和を迎えることができました

でも、昭和2年(1927年)には、多くの銀行が倒産や休業に追い込まれており、「金融恐慌」が起こりました。
もうここまで来たら、日本経済はどこへ向かってしまうんだろうって感じですね。
追い打ちをかけるかごとく起こったのが、昭和4年(1929年)の世界恐慌です。
さらに日本は大打撃を受けることになります。







輸出の激減による日本経済への打撃

輸出の激減による日本経済への打撃

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世界遺産の「富岡製糸場」などでお分かりのように、日本は質の良い生糸を作ることで世界でも有名になっていました。
富岡製糸場では昭和5年(1930年)には、繭の生産量が399トン、生糸の輸出量は581千俵にまで上っており、全国の製糸場は黄金期を迎えていました。
この頃の農家の4割が養蚕を行っています。

世界恐慌での損失補填に湧くアメリカは、輸入する品の関税を上げることで、国内製品の消費拡大を図り外国製品を追い出したのです。
アメリカへの製糸輸出に頼っていた日本では、製糸業がどんどん倒産に追い込まれました。
見る見るうちに失業者も増えたのです。
これには日本は悲鳴を上げました。
だって、生糸で稼ぎ日本経済を立て直そうと、一致団結していた時に起こったんですもの。

昭和恐慌は財閥が救った?

昭和恐慌は財閥が救った?

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悪いことは続くもので、製糸業倒産のあおりを受けて連鎖的に多くの会社が倒産に追い込まれました。
生糸はアメリカが主な取引先でしたが、綿製品や雑貨などは中国を始めとしたアジア諸国に輸出していたんです。
アジア諸国が取引先なら大丈夫だろうって思いませんか?それが、…。
アジア諸国も世界恐慌の犠牲者だったんです。
日本よりも、受けたダメージが大きかったといわれています。

昭和5年(1930年)3月には商品市場が大暴落してしまいます。
金融界を直撃し、更に物価と株の下落を招きました。
この年につぶれた会社は823社にも及んでおり、減資した会社は311社にも及んだようです。
ここで救世主登場!三菱や三井、住友など皆さんご存知の財閥が、倒産した会社を吸収しています。

「ルンペン時代」と呼ばれた昭和不況

「ルンペン時代」と呼ばれた昭和不況

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会社が倒産してしまうと必然的に、失業者の数も増えるのは当たり前ですよね。
今まで、きちんと就職できていた大学や専門学校の新卒者の3分の1が職に就けない時代でした。
大学を出ても職に就けないという事態に、「大学は出たけれど…」という言葉が流行語になっています。
今だから笑える流行語ですが、日本のユーモラスのセンスといっていいのか…。

昭和5年(1930年)の全国の失業者は250万人以上にも及んでいます。
「ルンペン時代」という言葉もこの時代に生まれました。

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