ざっくりわかる!空を飛ぶ夢を実現したライト兄弟と飛行機の歴史

自由気ままに空を飛ぶ鳥を見て「気持ちいいだろなぁ~」と羨ましく思う時があります。ジェット機が空高く飛んでゆく雄姿を見ると、飛行機を考えた人はどうやって作り上げたのだろうって気になりませんか?今回は、ライト兄弟と飛行機の歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

短い間に驚くほどの発達を見せた飛行機

短い間に驚くほどの発達を見せた飛行機

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1903年12月17日のライト兄弟が作ったライトフライヤーが飛行に成功してから、アームストロング船長を乗せたアポロ11号が月面着陸に成功した日までたった66年なんです。
この成長って凄いと思いませんか?でも、ライト兄弟の1903年に人が乗ることができる動力飛行機の飛行までには、長年の苦労がありました。

もっとびっくりすることは、万能人として有名な「レオナルド・ダ・ヴィンチ」も、人間が空を飛ぶ装置の研究をしています。
しかし、これは成功しませんでしたが…。
空を飛ぶ道具の一つである飛行船においては、1852年9月23日にフランス人のアンリ・ジファールが蒸気機関を付けた飛行に成功したことが有名です。
その前の熱気球は、1783年に発明されて以降、今では観光などにも使われていますね。
これを見ただけでも、人類がどれほど空を飛ぶことに夢を抱いていたかが分かります。

機械いじりが好きだったのは母親譲り?

機械いじりが好きだったのは母親譲り?

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ライト兄弟はアメリカで牧師の3男、4男として生まれました。
母親は機械いじりが好きで、その才能を引き継いだといわれています。
彼らは、教会新聞を手伝いながらお小遣いをもらっていました。
その時に、新聞を郵送用に折る機械を作ったりしたようです。
母は結核で死んでしまいますが、牧師の父親はライト兄弟が飛行を成功したことにより、飛行機に乗っています。
親孝行者ですよね!

このライト兄弟って、大学は出ていません。
全く機械のことを勉強せずに独学で、飛行機を作った努力家なんです。
印刷機を作った後に印刷所を起業しました。
アメリカで自転車がブームになり、手先の器用な二人には修理を頼む人が多くおり、自転車の販売、修理、組み立て業に転身します。
自転車を製作する工場では、単気筒の内燃発動機も作りました。

ライト兄弟が飛行機に目覚めるまで

ライト兄弟が飛行機に目覚めるまで

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最初に彼らが飛行機に出逢ったのは、兄のウイルバーが11歳、弟のオービルが7歳の時に、父親が買ってきたコルクと竹と紙でできたおもちゃのヘリコプターでした。
1891年頃からハンググライダーを開発・研究をはじめた初期ドイツの航空パイオニアの一人「オットー・リリエンタール」が、グライダーの草分け的存在として一躍有名人となっており、コウモリのような翼を付けて跳ぶ写真が人々の目を釘づけにしていたのです。

彼もまた、有人の飛行機を飛ばすことを模索していました。
しかし、絶頂期の1896年にグライダーが強風にあおられるという不幸にあい、15メートルの高さから落下。
翌日、「犠牲はつきものだ」との言葉を残し亡くなりました。
ライト兄弟は、リリエンタールのことをお手本としていたので、この事故は大きな衝撃でした。
彼らはこれを反動に、リリエンタールの夢を実現すべく、一気に飛行機への熱い思いが加速します。

人類初の動力飛行への前進

人類初の動力飛行への前進

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1899年の春には兄のウイルバーはスミソニアン協会に、飛行機で分かっている資料の全ての提示を求め手紙を出しています。
その中には、サミュエル・ラングレーの『空気力学の実験』や、オクターヴ・シャヌートの『飛行機械の進歩』が含まれており、ライト兄弟は彼らに色々教えを請い、後に友人かつ支持者となります。

この頃には、蒸気機関車や蒸気船、自動車なども既に開発されていました。
しかし、飛行機だけは、まだ、未踏の存在で、多くの人が自由に空を飛ぶことを夢見て開発に励んでいました。
そんな中、ついに完成させたのが、ライト兄弟が作った、自前のガソリンエンジン搭載の『ライトフライヤー号』です。
しかも、12馬力のエンジンでした。
1903年12月14日の失敗はあったものの、2日間で修理を終えました。
やっと、空を飛ぶ夢が実現する時がやってきたのです。







『ライトフライヤー号』の飛行大成功

1903年12月17日木曜日10時35分に、再度飛行試験がノースカロライナ州、キティホークにて行われました。
この日は、凍えるような寒い朝で、風速毎秒12メートルの風が吹き荒れていました。
決してこの日の飛行状態は良くはありません。
むしろ、失敗に終わった14日の方が良かったのです。
でも、決行しました。
この日の1回目の操縦者は弟のオービルです。

1回目のフライトは12秒、約36.5メートルでした。
この記録が、世界初の飛行となっています。
兄弟で交代しながら3回の試験飛行を行い、4回目は59秒、約259.6メートルに達しました。
凄い!でも、突風にあおられ着陸に失敗してしまい、機体は大きく損壊しました。
写真を撮り、沿岸警備隊の3人を含む5人が確認しましたが、人数が少ないこともあり始めは信用されず、実績のない彼らには批判さえ浴びせられました。

実用的な飛行機の完成

実用的な飛行機の完成

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この成功の後も2人は飛行機の開発を進めました。
3番目に作られた『ライトフライヤー3号機』が、実用的な飛行機として1905年の春に完成しています。
ガソリンタンクが空になるまで飛べるという、世界で初の飛行機です。
今では、当たり前のことですが、当時では画期的なことでした。
この頃には39分、40キロメートルほど、飛べるようになりました。
最初の12秒、36.5メートルに比べたらかなりの進歩。
しかも、機体を左右に傾けたり、旋回したり、円を描いたり、離陸や着陸を何度も繰り返すほど頑丈なものでした。

世界初の飛行機事故

世界初の飛行機事故

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世界初で有人飛行を成功させたのは、ライト兄弟だという説をご紹介しました。
でも、飛行機事故を世界で初めて起こしてしまったのも、このライト兄弟です。
1908年になってもまだ、アメリカ国民に飛行の時代が訪れたことを納得させることができないでいました。

9月3日に弟のオービルは、軍の士官たちが見守る中で素晴らしい飛行を見せたのです。
誰よりも高く長く飛んでいる姿を見せつけ、飛行時間は1時間に迫るほど伸びました。
9月17日に若い士官のセルフリッジ陸軍中尉を乗せての飛行試験中に、機体のワイヤーがプロペラに当たって損傷。
エンジンを停止して着陸を試みるも頭から地面に叩きつけられました。
中尉は頭蓋骨を割ってその夜に死亡。
飛行機事故初の犠牲者となったのです。
オービル自身も重体でした。

次のページでは『事故から復帰後のライト兄弟』を掲載!
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