東京オリンピックまでに知っておきたい「オリンピックの歴史」

2013年9月7日、アルゼンチンで開催された国際オリンピック総会で2020年のオリンピックとパラリンピック競技大会の開催地が東京に決まりました。1964年の東京オリンピックから56年。日本中が注目し、経済的にも大きな貢献のあったオリンピックが日本にやってきます。
2020年にオリンピックが始まるまでに、オリンピックの歴史を知っておくことで、ちょっと違った楽しみ方もできるかもしれません。
オリンピックは古代ギリシャの時代から一度廃止され、19世紀の終わりに復興され、現在に至ります。オリンピックが始まり現代まで受け継がれるまでの間、オリンピックはどのように変わっていったのでしょうか。まずは古代のオリンピックの様子からみていきましょう!

はじまりのきっかけは神様のお告げ

はじまりのきっかけは神様のお告げ

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古代ギリシャの国と人々

古代オリンピックと呼ばれる「オリンピアの祭典」が文献などに記述されているのは紀元前776年が最古になります。

場所はギリシャのアテネより西側にあるオリンピア。

今では遺跡として残るゼウス神殿の周辺にある競技場で行われました。

当時のギリシャは都市国家と言われる都市を中心とした小さな国家が1500以上も乱立しており、互いに対立している時代でした。

ギリシャには山が多く、都市国家同士が山に隔たれており、まとまった大きな国家になりにくい地形だったためこのようなことがおこりました。

しかし、同じ言葉を話し、食習慣も似ていたため、彼らは違う都市国家の人間であっても同じギリシャ人だと考えていました。

そんな彼らが信仰していたのがギリシャ神話でおなじみのオリュンポス12神たちを中心とする信仰。

ギリシャ人たちは自然の中に神を見出し、敬い感謝し、時には恐れながらも身近に神様を感じて捧げものや祈りをささげていました。

アポロン神のお告げ

オリュンポス12神の中でも有名な全知全能の最高神・ゼウスの名前を聞いたことがる方も多いのではないでしょうか。

ゼウス神は主に天を司る神で雷を持った姿であらわされることが多いのですが、雷には雨の意味もあり、農耕をするうえでとても大事にされている神でした。

その息子の太陽神アポロンは預言・信託の神でもありました。
人々はアポロンのデルフォイ祭壇に供物を捧げながら神の声を乞うことを日常的に行っていました。

ある時、戦争が続き、さらに疫病が治まらず困った都市国家エリスの王がアポロンのデルフォイ神殿に行き、神託を乞うたところ「すべての争いを止めてゼウス神殿の祭典を復活させよ」という答えが返ってきました。

エリス王はその神託に従い、戦争を止めて古来より行われていたゼウス神への生贄と競技会をおこなったことで疫病が治まったのです。

その紀元前776年の祭典を第1回とし、以降4年に一度392年に禁止されて終わりを迎える1200年間中止されることなく開催されました。

忘れてはならぬ。神へ捧げる祭典である

忘れてはならぬ。神へ捧げる祭典である

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開催を告げると同時に休戦を告げる使者

4年に一度の開催期間はエリスの識者たちによって決められます。

神託にあったように祭典を行う期間中は一切の戦争は禁止になりますので、開催を告げる使者は休戦を告げる使者でもありました。

当初の開催期間は1日でしたが、時代を経て規模が大きくなり、仕組みが変わって5日間の開催になったことから、休戦期間が3カ月程度設けられるようになります。

最初はギリシャ半島の都市国家からの参加でしたが、植民地のシチリアやスペインからも選手が加するようになります。
3か月の休戦期間は参加する選手たちが安全にオリンピアへ来て帰れる期間だったのです。

建前だけでない平和の祭典

古代の戦争には共通認識のようなルールがありました。
夜討朝駆けはしないといったものから、飛び道具は使わないなど。
その中に戦争は夏の期間だけ行うというものもあります。

たいへんおおらかな時代に感じますが、彼らの戦争はシンプルで、基本的に生きていくための食糧の確保のために領地を広げる戦争になります。
農業に従事している自由民が兵士たちなので、通年で戦争を行うと国の農作物が育たず、国自体が弱体化してしまうのです。
そのため、戦争は小麦の借り入れが終わり農閑期にすることが習わしでした。

そして、オリンピアの祭典も農閑期にあたる8月下旬ごろに行われたのでオリンピアの祭典がある年は戦争がない年になるのです。

そのため平和の祭典と言われるようになったのではないでしょうか。

この休戦の期間中に戦いをした都市は祭典を汚したとして、その都市の選手は参加資格を失います。
実際にスパルタがこの禁を犯したときには有力選手であったスパルタの選手は参加できなくなったことがありました。

神へ捧げる祭典であることを忘れず、建て前での戦争中止ではなかったようです。

オリンピアの祭典のルール

オリンピアの祭典のルール

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オリンピアの祭典への参加資格

オリンピアの祭典に参加できる選手たちも今と同じ選ばれた人たちではありましたが、その参加資格は近代のオリンピックとは異なった点も多いのです。

まず、アマチュアという概念がありませんでした。
参加する人たちは幼少のころからその素質を見出されて、専門のコーチに鍛えられたプロの選手たちでした。

そして、参加できるのは男性だけで女性は選手としての参加は元より、観戦すらもできなかったと言われています。
例外としては戦車競技の戦車の持ち主であった場合だけでした。

続いて、男性であってもギリシャ人の自由民であること。
自由民とは両親ともがギリシャ人であって、奴隷と外国人には参加資格はありません。
ローマ時代になるとギリシャ人は自らをローマ人と言うようになり、純粋なギリシャ人は少なくなってきたことから両親のうちのどちらかがギリシャ人またはギリシャ語を解する者で奴隷や女性でなければ参加が許されたようです。

神の前で誠実であるように

そして最大の特徴としては、選手は元よりコーチと審判も全裸で参加します。
前あてなどは一切なく、全裸です。

これはさまざまな説がありますが、神の前で不正をしない証としてなにも隠すことができないよう全裸になったといわれています。

また、古代ギリシャ人にとって裸体は恥ずかしいものではなく、逆に鍛えられた体は大変美しいものであってみせるものだという意識があったので、鍛え抜かれた選手の体を神に披露することは当然だと考えたのかもしれません。

熱くて長い5日間の祭典

熱くて長い5日間の祭典

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訓練に訓練を重ねた選手たち

参加選手の条件をクリアした男性だと誰でも参加できるわけではありませんでした。
現代もそうですが、素質のあるものに専任のコーチが何年にもわたり指導し、都市国家の中で代表として選ばれた者だけがオリンピアへ行く権利を得るのです。

そして選ばれた選手たちは開催日の前の満月までに国家都市エリスへ赴き、そこで参加の意思を宣言する必要がありました。

ここでゼウス神に対して正々堂々と戦うことと、9か月の訓練を受けたことを誓います。

このエリスには現在でいうところの選手村のような宿泊施設と体育場があり、選手はここで最終1カ月の調整が義務づけられます。

そう聞くとそれぞれがコーチの元でトレーニングをしそうですが、そうではなく、エリスの専門コーチと参加する選手とともにトレーニングをするのです。
そうして実力を互いにチェックしていくのですが、審判も兼ねているエリスのコーチたちはある一定のレベルに達していない選手については参加を認めないということもありました。
体をぶつけ合う試合になるため死者が出ないよう配慮されていたのです。

こうしてさらに1カ月の訓練を経た選手たちがいよいよ競技場へ向かっていきます。

祭典のスケジュール

祭典のスケジュール

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初期のころはスタディオン走と言われる徒競争の競技だけでしたので1日の日程でしたが、その後競技の種類が増え、祭典の期間は5日となっていきました。

近代オリンピックとは違うそのスケジュールを簡単にご紹介しましょう。

#1 初日:ゼウス神への選手宣誓

選手たちは審判とコーチとともにゼウス神の祭壇がある神域に入ります。
そしてひとりずつ10人の審判とゼウス像の前でルールを守り不正をせず全力で戦うことを誓い、10カ月のトレーニングをクリアしたことをゼウス神に報告します。

選手と同様に審判たちも公正な判定と情報を漏らさず祭典を汚さないことを誓います。
これが近代オリンピックでいうところの開会式のようなものでした。

午後からは少年の部が行われ、翌日からの競技の優勝者の読み上げや祝福のラッパを吹く人のオーディションが行われます。

#2 二日目:大興奮の戦車競技と五種競技

日の出とともにとても人気のあった戦車競技が始まります。
40台以上の戦車がすれ違うこの競技ではコーナーを回る際には派手なクラッシュが起こりやすく、観客は大興奮ですが、死者の多い競技でもありました。

午後は伝統的な五種競技が行われます。
内容は幅跳び・円盤投げ・槍投げ・スタディオン走・レスリングになります。

#3 三日目:最大の見せ場・犠牲獣の奉納

朝からエリスの神官や預言者、審判団、着飾った100頭の牡牛、各国からの使節、選手とコーチが神域に入ります。
ゼウス神のための祭壇に牡牛たちののどをかき切っては解体し、焼いた大腿部をどんどんゼウスに捧げていきます。
この奉納はオリンピアの祭典のメインイベントであり、最大の目的でした。
大腿部以外の箇所は優勝者の晩餐や観客たちにふるまわれました。

午後からはスタディオン走が行われます。

夕方は大宴会となり貴重な肉が食べられると肉目当ての人でオリンピアはごった返したといいます。

#4 四日目:ガチンコ勝負の格闘技

格闘技はレスリングとボクシングとパンクラティオンが行われます。
ボクシングは現代のようにリングはなく、常に近づきながら戦うスタイル。
グローブはシンプルに柔らかくした皮を拳の関節を保護する目的のもので防御性はなく、素手に近い状態で頭部を殴りあうものでした。
パンクラティオンは総合格闘技ともいわれ、眼つぶしと噛みつき以外の禁止事項はなく、相手が降参するまで戦い続けます。
これら格闘技はたびたび死者が出るほど危険なものでしたが、観客には大人気で大いに盛り上がった種目でした。

午後からは武装競争と言われる重装歩兵の甲冑を付けてスタディオン走を行う競技で、特に修錬を必要としない競技である分最後のホッとした癒しの競技だったようです

#5 最終日:生涯の記憶に残る表彰式

各競技の勝者であることを示す松の枝を手に左腕のリボンを揺らした選手たちがゼウス神殿に入っていきます。

彼らは神聖なゼウス像の前で名前を読み上げられ、頭にオリーブの冠を頂きます。

表彰式が終わるとコーチや友人・家族たちに祝福され、故郷へ帰っていきます。

オリンピアの祭典の落日と終焉

オリンピアの祭典の落日と終焉

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祭典の光と影

オリンピアの祭典では戦いに勝利した優勝者たちは一生涯の栄誉と恩賞を手にすることができました。
優勝者たちはこのオリンピアの祭壇に自らの像を作って置くことを許されます。

また故郷に帰ると大きく歓待され英雄のように扱われ、年金をもらい税を免除されることもありました。
選手たちにとってオリンピアの祭典で優勝には一生がかかっている戦いでもありました。

その栄誉や恩賞は指導者のコーチにも与えられ、有名なコーチになると毎回仕事の依頼が来るようになります。
そのため、コーチによっては選手を無理矢理勝つようにする動きをとるものもいました。

ドーピングに当たる行為ですが、筋肉を増強するための薬を飲ませたり、相手選手に呪詛をかけたり、また八百長を持ちかけることもありました。
この様な不正が明るみに出ると、罰金を支払う仕組みになっており、そのお金で不正を戒める文言の入ったザネス像が作られました。

オリンピアの祭典が盛り上がれば盛り上がるほど、このような不正に走るものも増えてきました。
ドーピングにしても呪詛も八百長も資金が必要なものです。
資金がないものは選手に無理を強いるようになります。
格闘技の試合で降参しようとする選手を許さずさの許可を与えないということもありました。
そのために命を落とすという選手もいました。

キリスト教の波に飲み込まれる

ローマ帝国支配になっても、ローマ人達はオリンピアの祭典が好きで水道施設や建物の整備をした事からギリシア人たちと一緒にその祭典を楽しんでいました。

紀元1世紀にはキリスト教がバルカン半島内には広がりはじめ、ローマ帝国が東西に分かれる頃にはその信者の数は古来のギリシャの神々を信仰する人と逆転するようになります。

313年、ローマ皇帝コンスタンティヌスがミラノの勅令でキリスト教を容認。
ついで東西が別れる直前のローマ帝国皇帝テオドシウスが380年にキリスト教を国教とし、392年にはキリスト教以外の宗教を禁止します。

これにより、古来から信仰されていたオリュンポスの神々への信仰は禁止され、当然ゼウスへ捧げるオリンピアの祭典も禁止となり、1200年続いた祭典に幕が下りたのです。

オリンピックの復興

古代ギリシャ熱に沸くヨーロッパ

古代ギリシャ熱に沸くヨーロッパ

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続いてはどのようにしてオリンピアの祭典が「近代オリンピック」として復興したのかを、当時の時代背景と合わせて「近代オリンピックの父」と言われた男爵の残したものをみていきましょう。

オリンピアの祭典が終焉を迎えてから1500年の時が過ぎた19世紀、ヨーロッパでは遺跡発掘がブームになっていました。
オリンピアの遺跡は1830年頃には着手されており、1900年代には競技場なども全貌がわかっています。

1851年にシュリーマンによるトロイアの遺跡が発見され、ヨーロッパ中でギリシャに注目が集まり、古代ギリシャがブームになります。

自分たちのルーツは古代ギリシャにありとその遺跡にロマンをはせるようになり、ギリシア風の服や絵画の主題にギリシャ神話が用いられたりしたのです。

後にベルエポックと呼ばれるフランスの古き良き時代。
普仏戦争からの痛手から立ち直り、遅まきながら産業革命で農業以外の経済基盤が確立したフランス。
この時代に生きた一人のフランス貴族の教育者が提案した「オリンピアの祭典の復興」がきっかけで近代オリンピックは生まれました。

その人の名はピエール・ド・クーベルタン男爵。
彼はイギリスのパブリックスクールの学生が紳士にルールを守りながらプレイする姿にスポーツによる教育を見出します。
また、アメリカの大学や街の雰囲気には階級社会はなく、当時流行の古代ギリシャのようだと感じ、これこそが社会の理想とみます。

その時に触れた歴史書のオリンピアの祭典の素晴らしさをもとに、スポーツに世界全国が参加をするオリンピックを復興を夢見たのです。

この提案が全員一致で承認され、近代オリンピックの開催にむけて、国際オリンピック委員会・IOCが創設されます。

オリンピアの祭典の復興の第1回はやはりギリシャで行いたいと財政や設備の準備などに男爵をはじめする16人の委員が尽力し、1896年第1回近代オリンピックが開催されました。

クーベルタン男爵が残したもの

クーベルタン男爵が残したもの

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「オリンピックは勝つことではなく参加することに意義がある」この言葉を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
この言葉は長く男爵の名言として伝えられてきました。
しかし実際は1908年ロンドン大会の際、ペンシルベニア大主教がアメリカの選手団にかけた励ましの言葉でした。

当時、国際情勢的にイギリスとアメリカが対立していたことから、アメリカの選手団がロンドンで嫌がらせを受けました。
彼らは大変気落ちしていたので、気分転換にセントポール大聖堂の聖餐式に出席した際にこの言葉をかけられたのです。


後にこの言葉を聞いた男爵がオリンピックの本質をついたこの言葉に大変感銘を受け、各国のオリンピック関係者を集めた晩餐会でこの言葉を披露しました。

そのことからこの言葉が男爵の言葉だと言われるようになったのです。

男爵が残したものもうひとつが近代五種競技。
1912年のストックホルム大会から種目に採用されました。
その内容は1人で射撃・フェンシング・水泳・馬術・ランニングの5競技をこなし順位を決める複合競技です。
この組み合わせは19世紀ナポレオン時代のフランス騎兵将校が報告のため戦火をくぐり抜けた故事を基にしていると言われています。

そして、今でも使用されているオリンピックのマークである五輪も彼の発案です。
ベースの色と赤・青・黄・緑・黒の6色で、参加国の国旗の色が必ず1色は入るように考えられており、五つの輪は5大陸を表しているともいわれます。

近代オリンピックの確立

近代オリンピックの黎明期

近代オリンピックの黎明期

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1896年4月に行われた第1回アテネ大会(ギリシャ)は10日間の男子だけの開催でした。
選手がいなかったわけではなく、オリンピアの祭典と同様に女人禁制だったのです。

1900年の第2回パリ大会ではテニスなどの種目が増え、女性の参加も認められるようになります。
この大会は万国博覧会の開催と同じ年に行われたことで、万博の付属大会のような扱いになってしまいました。
そのため、賞金付きの競技があり、本来のオリンピックの趣旨と異なることになりました。

1904年の第3回セント・ルイス大会では、後世にまで語り継がれる「キセル・マラソン」事件が起こります。
マラソンの途中で倒れた選手が通りすがりのトラックに乗せてもらい、ゴール近くから走り出してゴールテープを切ってしまったのです。
すぐに不正が明るみになってゴールが取り消されましたが、近代オリンピックで最初の大きな不正事件でした。

続いて、第4回ロンドン大会では選手は国際オリンピック委員会を通してのみ参加が認められるようになり、第5回ストックホルム大会では政治とオリンピックの領域は異なることを明言し、オリンピック内に政治上の問題を持ち込まないという現代にまで続く理想が確立されて行きました。

その後、冬季オリンピックやパラリンピックなどが開催されました。

近代オリンピックのかかえる問題

近代オリンピックのかかえる問題

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近代オリンピックが始まってから現代までの間に2つの世界大戦や東西冷戦など世界規模の戦争があり、何度か中断されることがありました。
また、政治的な問題からボイコットなど古代のオリンピアの祭典では起こることなかった問題が生まれました。

オリンピックの指針として政治との分離がありますが、過去にも政治的に利用されることがありました。

特に1936年の第11回ベルリン大会ではアドルフ・ヒットラーがベルリン大会の組織委員会総裁に就任したことで政治色を強めました。
ナチスの宣伝にオリンピックが利用されたことは明白で、目を引く演出が多く、聖火リレーの開会式イベントを最初に始めたのもこの大会でした。
ヨーロッパの源流である古代ギリシャの聖なる火がベルリンまで人の手によって運ばれる姿は大きな感動を呼び、続くロンドン大会でも聖火リレーは踏襲され、正式にオリンピックの正式なセレモニーとして定着することになりました。

そして現代私たちも目にしている開催誘致運動とドーピング問題がオリンピックにおいて課題として今なお続いています。

1984年の第23回ロサンゼルス大会でアメリカは大きな黒字を得たと言われていることから、開催地に大きな経済的な効果があるとして、年々加熱していく開催誘致運動。
正式な場でのアピールだけでなく地道に国際オリンピック委員会のメンバーへ何年もかけてアピールしていくロビー活動など水面下での運動であるがゆえに賄賂などの癒着が懸念されています。

また、古代でもあったドーピング問題は大変複雑で、個人だけでなくコーチや国が関与している可能性もあり、選手によっては無意識のうちにドーピングとされてしまうケースもあるようです。

人が紡ぎだすスポーツの夢舞台

神へ捧げる神事として始まったスポーツの祭典が、現代にまで形を変えても受け継がれていくのは素敵なことだと感じます。

現代のオリンピックは神の前で誠実であることから、自らの心に誠実であることを常に問いかけられるスポーツの夢舞台のような印象を受けました。

その夢舞台が輝くほど、その周りの問題の影は一層濃いものとなります。
それは古代の時代から変わらないのではないでしょうか。

でも観戦するときは一旦そんな諸々の問題などは忘れて、古代の観戦者のように選手たちの活躍に胸躍らせて楽しみましょう!
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yuchico

Writer:

旨いものとヨーロッパが大好きなアラフォー女子。背中に羽の生えたペガサスのようにジャンルを問わず様々なことに興味を持ってはアレコレと調べるクセがあります。 1人でも多くの方が、今まで見たことのない景色や面白さを感じていただけるような記事を書けるよう、精進の日々です。

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