スペインからの侵略によるアジア情勢不安が起因?『朝鮮出兵』は秀吉の宿命だった

朝鮮出兵の本当の敵は、中国の明だったことをご存知でしょうか?朝鮮を通って明を攻撃するルートだっただけ、朝鮮にとっては踏んだり蹴ったりの戦争だったんです。現在も朝鮮人の間で悪名高い日本人の一人となった秀吉の、朝鮮出兵ってどんなものだったか気になりませんか?今回は、朝鮮出兵の歴史について紐解いてみたいと思います。
  • style="display:inline-block;width:336px;height:280px" data-ad-client="ca-pub-1386733479651016" data-ad-slot="6199981080">

謎に包まれた朝鮮出兵の理由

謎に包まれた朝鮮出兵の理由

image by iStockphoto

そのまま放置しても、秀吉は手を緩めません。
日本から臣下の礼を取るよう再度と使者を送りました。
この時、たまたま、一斉蜂起が起こりスペイン総督府を襲いました。
しかし、使者として来ていた原田喜右衛門は、スペイン軍に加勢し、あっという間に滅ぼしています。
日本は強いと再認識させることに成功し、圧力を与えることができました。

スペインは大国だし、対等な関係を築こうと申し出るも秀吉は相手にせず、日本へ臣下の礼を尽くせというばかり。
手を緩めることは一切ありませんでした。
この時代に対等な立場なんてあるわけがありません。
勝つも負けるも運次第。
強硬姿勢を取るほか道はなかったのです。
でも、秀吉が亡くなると共に、朝鮮出兵は終焉を迎えました。
でも、秀吉が朝鮮出兵をせずにいたら、日本はスペインの植民地となっていたことでしょう。
日本にもいろんな人が入り込み、日本人も多民族国家となっていたに違いありません。
そういう意味では、日本人として現在があるのはとっても誇らしいことであます。

天下統一をやってのけても安らげない秀吉の苦悩

天下統一をやってのけても安らげない秀吉の苦悩

image by PIXTA / 16100226

秀吉が、朝鮮出兵を行った、本当の事実は分かっていません。
いえることは、「耄碌による無謀な戦い」とか「名誉欲にかられた」からとかそんなに単純なものではないということです。
ちょっとだけ、朝鮮出兵の事実から、新たに秀吉の素晴らしさを垣間見ることができたのではないでしょうか?

謎に包まれた朝鮮出兵の理由

謎に包まれた朝鮮出兵の理由

image by iStockphoto

豊臣秀吉は、サルと呼ばれて織田信長に可愛がられて出世したとの印象が強い人物です。
織田信長も「一日も早く戦乱の世を終わらせること」に尽力しました。
百姓出身の秀吉も、戦乱によって自分たちが作った作物が荒らされた上に、年貢を納めないといけないという地獄を知っているだけにその思いが強かった人物です。

やっと天下統一を成し遂げた秀吉は、次に、明国を滅ぼすべき朝鮮出兵へと歩みを進めました。
どうして、そんなことをしたのか?その本当の理由は、明らかにされていません。
実力を証明するため起こしたとか、当時全世界の8割を手中に収めていたスペインに目を付けられて仕方なく戦ったとか、雑兵対策をしたかったためとか、今も謎めいた日本史の朝鮮出兵の原因は諸説あるのです。

天下統一をやってのけても安らげない秀吉の苦悩

天下統一をやってのけても安らげない秀吉の苦悩

image by iStockphoto

秀吉って知力でどんどん勝ち進み、出世した人物としても有名ですよね。
そういった意味でも武力的にも、日本でNo.1の存在でした。
しかも、農民上がりの秀吉が支配を維持することは、戦乱の世を治めるのは大変なことだろうと思います。
一節によれば、自分の軍に加担すれば、戦争に勝利した際に領地を増やすという信頼関係があったようです。

だからこそ、領地拡大が最大の栄光だった戦国大名たちは、農民上がりの秀吉に従ったとされています。
だから、秀吉が天下を統一しても、自身の安らぎの日は訪れませんでした。
徳川家康の存在があったのも事実ですが…。
秀吉の支配の仕方は、ある意味ずっと実力があることを見せつけて諸国大名を治めなければならなかったという、つらい現実もあったようです。

スペインに侵略されかけていた日本

スペインに侵略されかけていた日本

image by iStockphoto

朝鮮出兵は、1592~1596年の文禄の役と1597~1598年に起こった慶長の役の2回行われました。
結果をいえば、2回とも負けています。
先ほども少し触れていますが、スペインは大航海時代に世界の約8割を植民地にしていました。
アジアで侵略されていなかったのは、中国の明国と日本だけだったのです。
そのころ朝鮮は明国の植民地だったので、支配されていません。

実は、文禄5年(1596年)に、スペインのガレオン船が土佐の浦戸に漂着しました。
その時に、五奉行の一人である増田長盛が救助した乗組員から、「スペイン王のフェリペ2世は、宣教師を使ってアジアを侵略している」と聞き出し、日本中が大騒ぎになりました。
これを聞いた秀吉は、国中でキリスト狩りを行い残虐な行為をしたことは有名です。

スペインは日本の凄さを認めていた?

スペインは日本の凄さを認めていた?

image by iStockphoto

この頃、戦乱の渦にあった日本の戦力はかなり強いものでした。
1543年に、種子島にポルトガル人がやってきて鉄砲を伝来したことはご存知ですね。
この頃既に日本人はイエローモンキーが如く、コピー力に優れていたのです。
購入した2丁の鉄砲をすぐに作り、世界中にある銃の半分は日本にあったといわれるほどでした。

スペインが、日本に初めて刺客を送ってきたのが、天文18年(1549年)のフランシスコザビエルです。
そんなに悪い印象は日本人にはない人物ですが、本当の姿は宣教師という顔を持つ僧兵軍団でした。
彼らは、先ほどお話した鉄砲のコピー力を見て、日本とは戦争すべきではないと直接戦争を避けたとの逸話があります。
本当かどうかは謎ですが…。

どうして、秀吉は朝鮮出兵をした?

どうして、秀吉は朝鮮出兵をした?

image by iStockphoto

ヨーロッパからの侵略を阻止するための説が正解だとすると、この頃の日本の軍備を見ると直接対決だと日本が勝てそうだったのです。
だって、日本まで海を渡ってくるには、人数も兵力も限られます。
鉄砲をかなり持っていた日本にとっては朝飯前といった具合です。

でも、スペインが先に明国を支配し、日本を責めてきたらどうでしょう。
遠くからくることもないので、兵力も充実し兵の数も多数。
こんなの叶う訳ありません。
スペインより先に明国を我がものにしたいという目論見があったと考えられます。
どうして朝鮮かというと、大きな勢力を持つ明国と戦わずとも朝鮮を手に入れておけば、もし、スペインが明国を手に入れたとしても、朝鮮を自国の植民地にしておけば日本への侵略を抑えることができると考えたからです。

16世紀東アジア最大の戦争朝鮮出兵

16世紀東アジア最大の戦争朝鮮出兵

image by iStockphoto

実は、ちょっとびっくりすることに、朝鮮出兵はスペインから話を持ち掛けられたとの説があります。
でも、その頃の日本は、信長の時代でまだそんなことには関心すらありません。
だって天下統一すらできておらず、戦国乱世をいかにして終わらせるかという問題に直面している頃だったんですもの。
当たり前のことですが、誘いに乗らなくてよかったですよね。
まんまと策略にはまっていたら、日本も植民地にされていたでしょうから。

朝鮮出兵の兵の数は日本が16万人、朝鮮と明国の合併郡は25万の大軍だったようです。
天下分け目の戦いとして知られる戦国最大の関ケ原の戦いだって、東軍7万人、西軍8万人の総計15万人でした。
その両軍を合わせた数でも、朝鮮出兵においての日本軍だけの数にしかならないのです。
どれだけの規模だったか…。

情報量が多かった秀吉はやっぱり策略家

皆さん、一向一揆などが起こらないよう、秀吉が刀狩りをしたことはご存知ですよね。
でも、刀狩りをすることは、日本の兵力をそぐ形になると思いませんか?外国から侵略があった時に、「本当に日本を守れるの?」って思いませんか?庶民と比べて上の人って色々と考えているのですね。
秀吉は、1588年のアルマダの戦いで、スペインの無敵艦隊がイギリス艦隊に敗れ勢力が衰えていることを知っていたんです。

これで、スペインとの直接対決は無くなりました。
とはいってもいつ息を吹き返すか分かりません。
サル知恵はここでも開花。
1回目に行われた文禄の役の前には、スペイン領ルソン島の総督府に「日本に入貢せよ」と手紙を出したのです。
こんなことやってのけたのは世界が広いと言えども日本だけでしょう。

朝鮮戦争の始まり

朝鮮戦争の始まり

image by iStockphoto

スペイン政府の無敵艦隊は撃沈しているし、日本なんか相手にしている場合じゃないと放置したのです。
ここで秀吉は、「朝鮮へ出兵せよ」と命令をくだしました。
驚いたのは、ルソン島にあるスペイン総督府。
船で朝鮮に渡って戦争をする技術を日本が持っているんですもん。
鉄砲で凄いコピー術を見せつけられているから、すぐに海軍力も身に付けるかもと思ったのです。

慌てたスペイン総督府は、ドミニコ会士の宣教師フアン・コポスを大量の貢ぎ物と共に日本へ送り込み、秀吉に友好関係を持ち掛けています。
しかし、秀吉は手を緩めません。
コポスに、日本に対し臣下の礼を取るよう、自国スペインに伝えろといったのです。
でも、コポスは遭難し伝わりませんでした。

秀吉の死と共に終焉を迎えた朝鮮出兵

秀吉の死と共に終焉を迎えた朝鮮出兵

image by iStockphoto

そのまま放置しても、秀吉は手を緩めません。
日本から臣下の礼を取るよう再度と使者を送りました。
この時、たまたま、一斉蜂起が起こりスペイン総督府を襲いました。
しかし、使者として来ていた原田喜右衛門は、スペイン軍に加勢し、あっという間に滅ぼしています。
日本は強いと再認識させることに成功し、圧力を与えることができました。

スペインは大国だし、対等な関係を築こうと申し出るも秀吉は相手にせず、日本へ臣下の礼を尽くせというばかり。
手を緩めることは一切ありませんでした。
この時代に対等な立場なんてあるわけがありません。
勝つも負けるも運次第。
強硬姿勢を取るほか道はなかったのです。
でも、秀吉が亡くなると共に、朝鮮出兵は終焉を迎えました。
でも、秀吉が朝鮮出兵をせずにいたら、日本はスペインの植民地となっていたことでしょう。
日本にもいろんな人が入り込み、日本人も多民族国家となっていたに違いありません。
そういう意味では、日本人として現在があるのは、とっても誇らしいことであます。

朝鮮出兵は、負けてもそれによってほかに大切なものを守った日本の歴史です

秀吉が朝鮮出兵を行った本当の事実は、分かっていません。
いえることは、「耄碌による無謀な戦い」とか「名誉欲にかられた」からとかそんなに単純なものではないということです。
ちょっとだけ、朝鮮出兵の事実から、新たに秀吉の素晴らしさを垣間見ることができたのではないでしょうか?
photo by PIXTA and iStock

ピーターラビット

Writer:

世界遺産ブームをきっかけに歴史に目覚めてから、国や城、庭園などの成り立ちに魅了された主婦です。何だろう?と思ったことを調べて、皆さんにお伝えすることで気持ちを共有できたら幸せだな~と感じながら仕事をしています。ちょっとマニアックな歴史記事ですが、軽い気持ちで触れてみてくださいね!

この記事のカテゴリ

歴史

歴史の記事を見る

洋と和が混ざり合った港町神戸の歴史観光スポット12選
幕府が大名統制のために作った基本法令「武家諸法度」とはどんなもの?
古代地中海世界に繁栄をもたらしたフェニキア人の歴史
アドリア海の女王と呼ばれるヴェネツィアが巨万の富を得たレヴァント貿易ってどんなもの?
百人一首にも詠まれた「若草山」から古都奈良の景色を望む
漫画キングダムのその先は…?秦の始皇帝の歴史
一夜城や水攻めもあった?戦国オールスターが小田原城を包囲した「小田原征伐」とは?
愛知県観光なら「東山動植物園」は必見!行き方や予算、営業時間は?
観光する前に知っておきたい!日本最古の官寺「四天王寺」の歴史と見どころ
チェコ観光なら次はここ!「チェスキー クルムロフ」で見たい絶景10選
秀吉の妻ねねの高台寺、やさしさと魅力に溢れた京都の名所
愛知県観光なら「竹島水族館」は必見!行き方や予算、営業時間は?「竹島水族館」の観光情報まとめ

関連記事を見る