フランスを救った少女が火刑に処されたのはなぜ?悲劇のヒロイン「ジャンヌダルク」っていったいどんな人物?

フランスのヒロインとして神格化された唯一の女性ジャンヌダルク。現在も小説や映画、舞台などで世界中の人々に感動を与え続けるジャンヌダルクってどんな人物だったのか気になりませんか?今回は、悲劇のヒロイン「ジャンヌダルク」の人物像に迫ってみたいと思います。

ジャンヌダルクの人柄

ジャンヌダルクの人柄

image by iStockphoto

ジャンヌダルクは、1412年1月6日にフランス東部のドンレミ村の農家に生まれています。
父と母と3人の兄と妹の5人兄弟の4番目の子として生まれました。
その田舎生まれの少女が国民的なヒロインへと成長するのです。
初めて奇跡が起こったのは13歳の時でした。
教会の方から「行いを正し、教会に通いなさい」と声がしたのです。
ここから彼女の数奇な人生がはじまります。

彼女の母も敬虔な信者で、ローマまで巡礼に出かけ洗礼を受けています。
その母から英才教育を受けたジャンヌは、進んで教会に行き、人に施しを与える慈悲深い少女へと育っていました。
何よりも教会から鳴り響く鐘の音が大好きだったようです。
それにちょっと泣き虫だったとか。
村の誰もが、慈悲深く、優しく、賢い乙女と後の魔女裁判の審問で話しています。

敬虔な信者のジャンヌダルク

敬虔な信者のジャンヌダルク

image by iStockphoto

ジャンヌダルクには、好きな人はいたようですが、恋に発展することはありませんでした。
魔女裁判で行われる処女検査は、医学的な検査ではなく学校や隣人の評判から純潔性を判断するというものでした。
その審問の際、ジャンヌが少年を献身的な看護で救ったなおよい話しは出てきましたが、浮いた話しは一つもありませんでした。

しかし、両親が進める縁談があったのは事実のようで、ジャンヌはその人との結婚を望まず、婚約破棄事件にまで発展したようです。
明るく社交的な性格から男女の間柄では誤解を生むことがありました。
しかし、純潔を犯すことは、聞こえてくる聖ミカエルの声が聴けなくなることだと知っていたのだから、男性を見ても恋愛対象として見ることはなかったのでしょう。

聖ミカエルの声ってどんなもの?

聖ミカエルの声ってどんなもの?

image by PIXTA / 22442752

先程お話した神の声以降もジャンヌは色々な声を聞いています。
それも何年にも亘って聞こえているのです。
ほとんどは聖ミカエルの声と言われていますが、聖カトリーヌや聖女マルガリータも現れたことがあったとか。
ある日、幾人かの気高いお姿が現れ、ジャンヌにこう告げました。
「フランス国王を救いに旅立ちなさい。
オルレアンの包囲を解くのだ」との声がしました。
この言葉を告げたのが、天使の羽を持った審判と戦いの天子ミカエルだったのです。

お告げは1度にとどまらず、週に2,3度繰り返されました。
その後、「ヴォークルールにいる守備隊長のボードリクールに会いに行くのです。
彼があなたを王の下へ導くだろう。
聖カタリナと聖女マルガリータの加護のもとに」と告げました。
すぐに行動することはなく、3年間胸に秘め、自らの身を神に捧げ、生涯純潔を守ることを誓ったようです。

ヴォークルールへ出発

ヴォークルールへ出発

image by iStockphoto

ジャンヌの父は、普通の娘としての幸せを願っており、結婚話を持ち掛けました。
その時、ジャンヌは伯父に聖ミカエルとの秘密を打ち明けます。
伯父の助けもあり、ヴォークルールへ着いたジャンヌですが、百姓の娘と相手にされず、苦労したようです。
ある日、公爵の方から会いたいと使いが来ました。
これって、神がかっていませんか?やっと、1429年2月にシノンの護衛隊の紹介を受け、危険な旅へと出かけました。
到着すると城の大広間へと通されました。
300人もの人がいる所にシャルル王太子がいたのですが、ジャンヌは迷うことなく王太子の下に進み出ていきました。

王太子に「神様のお告げがありました。
あなたが戴冠を受けて王位に就く手助けをすることを命じられました。
ランスへお連れします。」と公衆の面前で言い放ったのです。
しかし、シャルルもすぐには信じず、神職者や神学者に真意を確かめさせました。
その結果、シャルルは、ジャンヌがお告げにより行くように命じられた、オルレアンにブロワから兵を送ると共に、当時17歳のジャンヌを戦闘司令官としました。
シャルルはこの時、フランス王は自分がなるしかないと自信を回復したようです。
だって、ジャンヌが訪れるってことは、神様のお墨付きってことですもの。







いざ!オルレアンへ

いざ!オルレアンへ

image by iStockphoto

オルレアンは、この時イギリスとの100年戦争の真っただ中。
イギリス軍によって南部に追い詰められており、オルレアンはまさに、最後の砦だったのです。
王太子にジャンヌは「私が神から使わされたことを、オルレアンの包囲を解く奇跡を起こし証明します」と告げました。

オルレアンの状況は、橋を全て壊され周囲にはイギリス軍がたくさんの砦を築き兵糧攻めにしていました。
1429年4月29日に、オルレアンに到着。
多くの食料を積み込みロワール川を船で渡って、手薄だった東側のブルゴーニュ門を通り街に入りました。
しかも、城に入場した時の姿は、甲冑に身を固めた乙女が白馬に乗ってやってきたのです。
これで、戦況が一遍!優位に立ちました。

オルレアンでの活躍

オルレアンでの活躍

image by iStockphoto

ジャンヌは「神の名において、撤退を進める」と和解を促すも、イギリス軍は罵声をあげるのみでした。
そっと攻撃を仕掛けたイギリス軍に気づき逆襲をかけ一気に攻めました。
別の砦にイギリス軍が逃げ込みましたが、ジャンヌの神がかった勢いは止まりません。
一挙に砦を陥落させイギリス軍を追い払い、シャルルとの約束を簡単に果たしました。

7月17日には、シャルルの戴冠式がランスで無事行われました。
戴冠式はランスで行われるのが慣習となっており、政治と宗教が密接に結びついた時代だったことが分かりますね。
しかし、シャルルは、ヒロインとなっていたジャンヌの人気が気に入らなかったのです。
ジャンヌの言葉には耳を傾けなくなりました。

ジャンヌ捕虜となる

ジャンヌ捕虜となる

image by iStockphoto

イギリス派のブルゴーニュは、休戦協定を求めてきました。
ジャンヌはイギリスの支配下にあったパリを攻めることを進言しましたが、シャルルはNOを突き付けました。
でも、休戦は、ブルゴーニュ軍の時間稼ぎだったのです。
休戦条約が切れると、ブルゴーニュ軍は兵も増員しており、フランスの街をいくつか占拠しました。
騙されたと気づいたシャルルは、1430年5月22日にジャンヌをブルゴーニュに攻められているコンピエーニュに行かせました。

ブルゴーニュ軍の様子を見ながら入城に成功したジャンヌでしたが、翌日の夕方に敵との戦いになりました。
跳ね橋で味方の兵が渡った所で門を閉めてしまい、ジャンヌは城の外に追い出されました。
剣を振り回すもあっけなく捕まってしまいました。

次のページでは『イギリスに売られたジャンヌ』を掲載!
次のページを読む >>