世界で初めて文明を生んだ国、イラクの歴史っていったいどんなんだろう?!

イラクって戦争ばっかりしている国という悪役のイメージが強いのですが、実は、世界で初めて文明を生んだ国なんです。古代4大文明の一つメソポタミア文明は、文字を作り、家や町をつくり、舟や道路、ダムなども造ったという優れた文明でした。そんな、イラクって気になりませんか?今回は、イラクの歴史について、簡単にご紹介したいと思います。

不便な土地が生んだ世界初の文明

不便な土地が生んだ世界初の文明

image by iStockphoto

メソポタミア文明は、生きるための苦労を強いられた場所に出来たものです。
名前のメソポタミアという言葉は、ギリシア語で、「2つの川に挟まれた地」という意味を持っています。
チグリス川とユーフラテス川が運んできた砂などが三日月地帯を作りました。

栄養分をたくさん含んだ肥沃な土地で、農作物が良く育ち人々は定住をはじめました。
でも、洪水が多々おこる地で、干ばつとなるような乾いた土地もあったんです。
ここに住んだネアンデルタール人は、ダムや用水路を作りました。
このような苦労からメソポタミア文明が出来上がり、文明が栄えた地は、ほぼ現在のイラクと同じ地域です。
ここからだんだん北へ勢力を拡大していきます。

シュメールの都市国家群

シュメールの都市国家群

image by iStockphoto

メソポタミアの人々は、初めての町を造りました。
これは、6000年も前に造られた世界最古の町、エリドゥです。
この頃の日本人の記録は残っていません。
生存はあったでしょうが、まだ穴倉暮らしで文明なんて、「蚊帳の外」といった頃だと思われます。

南側では、マアダン(沼の人)と呼ばれる住民が住んでいました。
彼らは、葦で束ねた島を作りその上に葦の家を作って暮らしました。
また、タッラーという黒塗りの木舟も作り交通手段も確保しています。
沼の人の沼は、マシューと呼ばれる、マアダンが古代の葦文化を伝える重要な存在です。
しかし、悪名高き大統領のサダム・フセインが埋め立ててしまいました。
これも、イラン兵士が葦に隠れて攻撃してくるかもという観点があったようです。
せっかく残った古代人の遺跡の一つなのにもったいない…。

ここに住んだのはシュメール人で、紀元前2700年ごろには、数千人が済む都市国家が多数形成さます。
その一つが、ウル・ウルクで、イラクという名称自体が由来しているともいわれています。
彼らは、農耕技術を向上させ武器を発明しました。
とても、頭の良い人々で、時間、面積、測定方法、楔型文字まで作っています。
しかも、貿易の走りとして、トルコやイランにまで商売に出かけていたようです。

バビロニアやアッシリア帝国の起こり

バビロニアやアッシリア帝国の起こり

image by iStockphoto

残念なことに、シュメールの都市国家群は、メソポタミア中部のアッカド人によって征服されました。
紀元前2000年ごろ南メソポタミアを統一し、王国を作りました。
これが、「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典のできた、古バビロニアです。
法典のハンムラビ王は6代目ですが。
法典の中には、商売、財産、犯罪、裁判などの問題も扱われています。
法律が既にこの頃にあったなんてビックリ!

そのころ北では、2003年に世界遺産に登録されたアシュール遺跡で知られる、アッシリア帝国が建設されました。
人面有翼牡牛像が守る最後の都です。
彼らの勢いは素晴らしいもので、シリアやエジプトまでを支配する大帝国を築きました。
しかし、100年も経たない内に、カルデア人の反乱で帝国が滅びてしまったのです。
彼らは、紀元前626年ごろ新バビロニアを建設しました。
ここまででも分かるように、大変多くの王国や王朝が支配しています。

ペルシアとギリシアに支配されるイラク

ペルシアとギリシアに支配されるイラク

image by iStockphoto

ペルシア(イラン)とイラクの戦争は、この頃から何度も行われています。
アケメネス朝ペルシアが、紀元前539年に新バビロニア王国を滅ぼしました。
ペルシア帝国は非常に強く、西アジアのほとんどを200年以上に亘り支配しています。
ペルシアの支配は残酷なもので、今でも仲が悪いのはこの頃からの思いもあってのことだとか。

ヨーロッパの西にある、マケドニア王のアレクサンドロスがペルシアを追い払いました。
この大王は、ペルシア、トルコ、エジプトをはじめ、ヨーロッパ、アジア、北アフリカまでを征服し、専制帝国を作ったのです。
大王は至る所に遺跡を造っており、アジアとヨーロッパが融合したヘレニズム文化を花開かせました。

しかし、アレクサンドロス大王が亡くなった後の後継者を決めておらず、後継者争いが勃発し滅びちゃいました。
ここでイラクを支配したのが、ギリシア系のセレウコス朝シリアでした。
こんなに凄いことをやってのけた大王が、一匹の小さな蚊に殺されちゃったんだから、後継者を選んでなくても仕方ないですよね。







イスラムの布教とイスラム帝国の支配

イスラムの布教とイスラム帝国の支配

image by iStockphoto

610年ごろにムハンマドが起こしたイスラム教は、彼の死後イラク周辺地域にあっという間に広まりました。
ムハンマドの後はイマーム・アリーが選ばれ、彼の後はカリフ(指導者)を相談して決めるスンニ派が継ぎました。
しかし、ムハンマドの血族がカリフになるべきとのシーア派に分裂してしまいました。

スンニ派はウマイヤ朝を建設しました。
中央アジア、スペイン、フランスまでを征服した、シリアのダマスカスを首都とする王国です。
しかし、シーア派と反乱軍が手を結び、更に内乱が起こり滅びました。
749年に、500年続いたスンニ派のアッバース王朝が起こします。
この王朝は、イスラムの教えを根づかせ、イスラム帝国を開花させました。
非アラブ人でも高い地位に就くことができ、本来のアッラーの教えが定着しました。
この頃にアラブ人によって、イラクと呼ばれるようになったようです。

オスマン・トルコ帝国の支配と滅亡

オスマン・トルコ帝国の支配と滅亡

image by iStockphoto

500年続いたアッバース王朝が、チンギス・ハーンの孫、フレグ・ハンによって1258年に滅ぼされました。
しかし、1535年から380年間メソポタミアは、トルコ系のオスマン帝国に支配され、第一次世界大戦にまで及びました。
しかし、ヨーロッパは、トルコを「ヨーロッパの病人」と呼び、トルコ領を狙いました。

19世紀に入るとヨーロッパは、オスマン帝国の領地を奪い合うようになります。
それほど帝国の勢力はなくなっていました。

近代ヨーロッパの国力と第一次世界大戦

近代ヨーロッパの国力と第一次世界大戦

image by iStockphoto

1836年に、イギリスはユーフラテス川で蒸気船を運航したのです。
ドイツも負けじと電線を設置して上に、トルコ中部からバグダッドまで汽車を走らせました。

ここで、900万人の大量虐殺といわれる、第一次世界大戦が勃発しました。
オスマン帝国は、ドイツと同盟を結びました。
しかし、イギリス軍に追い込まれ、1917年にバクダットが陥落。
1918年にオスマン帝国は降伏しています。
戦勝国のイギリスは、「イギリス委任統治領イラク」を設立し、アラブ独立運動の指導者、ハシム家のファイサル・イブン・フセインを国王としました。

次のページでは『出た~!大油田発見』を掲載!
次のページを読む >>